長野県塩尻市「桑の湯(くわのゆ)」-銭湯めぐり・昭和レトロ

仕事繋がりでもあり、銭湯仲間のINOUE氏(レトロ銭湯フリーク)が、写真を送ってくれたので紹介したい。長野県塩尻市にある銭湯「桑の湯(くわのゆ)」(長野県塩尻市大門一番町15−17)です。

旅の最後に今日は塩尻市の桑の湯に行ってきました。
中は都内の銭湯かと思うほど綺麗で、銭湯では珍しくシャンプーとボディーソープが備え付けなので銭湯初心者にオススメ出来ます。
どうやら廃業から復活した銭湯みたいです。
お湯は丁度いい温度でした。

INOUE氏より

長野いいですね。調べると塩尻唯一の銭湯らしい。今の時代、廃業からの復活っていうパターンは素晴らしいです。シャンプー&ボディソープ備え付けは助かりますね。タオルだけ買えば、手ぶらで行けますね。

INOUE氏は、古い銭湯が好きなだけではなく、古い日本の靴も大好きで収集している古靴コレクターなのだ。革靴好き必見!同氏のインスタグラム→@japan_shoes_1870

桑の湯(くわのゆ)
長野県塩尻市大門一番町15−17


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1992年(中学3年生・15歳の時)、入院中に見た不思議な幽霊の夢

私は、中学3年生の時、右腕を骨折して手術のために二度入院した。(一度目の手術で折れた骨をボルトで固定し、二度目の手術でボルトを抜いた。共に全身麻酔だった。)
骨折の原因は、体育館での体育の授業の後、調子に乗って友達に披露しようと、マットも敷かず助走をつけてロンダート(側転)からバック転したところ、肩から落ちてしまい、上腕骨の骨頭が見事にきれいに折れてしまった。小学6年まで体操を習っていたので、中学1年くらいまでは何なくできたのに、中学3年生になると身長も20cmは伸びていて体重も増えていたので、体のコントロールができなくなっていた。(落ちたのが肩からだったのは幸運だった。首だったら大変なことになっていた。)
母親もたまたまPTA活動で学校にいて、すぐ保健室に来た。(今考えるとこれも偶然だが。)
学校からタクシーで病院へ行くと、そのまま入院になってしまったため、数日後に控えた、楽しみにしていた京都への修学旅行が急遽行けなくなってしまった。

一度目の入院の時だった。ある朝、不思議な夢を見て起床した。
その夢は、自分が死んだ夢だった。(後から知ったのだが、自分が死ぬ夢は、夢占いでは大吉夢らしい。)
自分が、自分の体から抜け出し、下を見ると自分が入院した病室のベッドの上で死んでいる。
周囲に母親や友達が何人かいて、悲しみで泣いていた。

入院中に見た不思議な幽霊の夢
(死んだ自分を見下ろす自分と、背後から来る幽霊のおじさん。)

泣いている家族や友人に話しかけても、私の声はまったく聞こえないようだった。
焦った私は、夢の中で何度も「僕、死んでないよ!ここにいるよ!」と繰り返し叫んだ。
母親や友人の肩をいくら両手で掴もうとしても、すり抜けてしまい掴めない。
「あ、僕本当に死んじゃったんだ。」そう思って落胆した。
夢の中で、しばらく気を落として、泣きたい気持ちを抑えられなかった。
「もう、誰とも話せないんだ。」そう思い、孤独が怖くて、たまらなくなった。

その時、背後から声が聞こえた。
私とだけは話せるんだよ。」男の人の声だった。
少し嬉しくなって振り向くと、なんと三角巾を額につけた、白い着物を着た中年のおじさんだった。
足もなく浮遊していて、いわゆる俗に言う「幽霊」そのものだった。(笑)
後から考えると、わかりやすく死装束(しにしょうぞく)を着用していたところが非常に面白いというか興味深い。

そっか、僕は死んだんだから、幽霊の方とは話すことができるんだ。」そう思って少し嬉しくなった。さっきまでの孤独の恐怖は和らいで、話し相手がいることに安堵した。

その時、夢から覚めた。
目が覚め「夢でよかったー!」と心から思い、嬉しくなった。
それにしても不思議な夢だったと思った私は、仲良くさせてもらっていた同じ病室で隣のベッドのGさんという年配の男性にさっき見た夢の話を始めた。
病院は朝食前だった。起床したばかりのGさんは興味深く私の話を聞いてくれた。
その時だった。

急に病棟全体が慌ただしくなった。
私の病室(4人部屋)含め、他の病室の患者さんも「何だなんだ?」となった。
私が入院していた病院は、大きな都立病院で、ワンフロアがまるまる整形外科の入院病棟だった。

複数の看護婦さんが大慌てで廊下を行き来し、4室くらい先のある一つの病室に集合していた。
大がかりなギブスを装着していた私は身動きが難しく、Gさんが看護婦さんに聞きに行ってくれた。

どうやら、4室くらい先の一室(4人部屋)で入院していた90代のお婆さんが、朝亡くなったらしい。整形外科で亡くなる患者さんは珍しいため、対応できる先生が常駐しておらず、大騒ぎになっていたらしい。

まあ、偶然だとは思うが、こういった夢を見てすぐに、なおその話をしている最中の出来事だったので、「なんか、霊界が近づいていることを、察知してしまったな。」と自分で思った。なので、強く記憶に残っている。

以上でこの話は終わりだが、
余談があって、京都の修学旅行から帰ってきた友人が何人もお見舞いに来てくれた。
わざわざお土産を買ってきてくれた友人も何人もいた。非常に嬉しかった。
しかしだ、みんな揃いに揃って「八ツ橋」だったのだ(笑)
私のベッドに八ツ橋の箱が山積みになって、一時、八ツ橋に飽きてしまいしばらく食べられなくなったほどだ。
だけど、限られたおこずかいの中から、私のために買ってきてくれて、本当に感謝している。

あと、不思議な話がもう一つだけあって、入院中にお見舞いに来てくれた人の話。

まずは、同級生で大好きだった親友のお姉ちゃん。
私が入院した時、バイクで転倒して片足を骨折して偶然同じ病棟で入院中だった。
入院当初、腕を牽引していて身動きが取れない私の部屋に、たまに松葉杖でお見舞いに来てくれた。入院してすぐは寂しい気持ちだったので、とてもありがたかった。
これは本当にたまたまで、嬉しかった偶然の話。

次に、幼馴染みの三つ上のお兄ちゃん(仮にYちゃんとする)の話。
これは今でも不思議な話。
Yちゃんは、生まれた時から近所に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだったのだか、数年前に引っ越してしまい、引っ越した当初はよく遊びに行っていたが、しばらく会っていなかった。
面倒見がよいYちゃんを、私は大好きだった。
入院中のある日、そのYちゃんがお見舞いに来てくれたというのだ。
私は手術の前後だったためかうろ覚えだが、Yちゃん家族の連絡先は、母しか知っておらず、私からも当然連絡していない。母も連絡していないと言うのだ。
どうやって私が入院していることを知ったのだろう。ましてや入院先の病院なんて、誰からか聞かなきゃ絶対にわからないはず。
その時の話になると、今でも母がこう言う、
Yちゃんがお見舞いに来てくれたのよ!私、何の連絡もしてないのよ。どうやって入院を知ったのか今でもわからない。不思議なことってあるのね。
それ以降、Yちゃんとは会っていないが、今何してるのだろう。会いたいな。(もしこのブログを見ていたら、Yちゃんだったらわかると思うので、よかったら連絡ください。弟のKちゃんにも会いたいです。)

あと、この記事を執筆しているときに、気づいたのだが、夢の中で会った幽霊のおじさんって、入院の約3年前に私が遭遇した自殺者だったりして、って少し頭によぎりました。
それはそれで、なんとなく腑に落ちる、ような気がする。


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1982年頃(5、6歳ごろ)の不思議体験-従兄弟(いとこ)がテレビに映る。

私の幼少期での不思議体験の中で、この現象が一番不思議だったと言っても過言ではない。
それは、親戚の出来事がテレビに映ることだった。
特に「従兄弟(いとこ)」の出現率が高かった。たいがい、従兄弟のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、つらい気持ちになっているシーンがテレビに映し出されていた。
親など家族に言っても当然信じてもらえないし、「似た人が(テレビに)出てたんでしょ?」といつも軽くあしらわれるのだった。当時、誰に言っても信じてもらえないのが辛かった。(まあ、どれも証明できないので、当然だが。)

そんな時、ある事件が起こる!!

従兄(いとこ)の交通事故がテレビに映って見えた不思議体験

当時、茨城県水戸市にあった母親の実家に帰った日のこと。
実家に着いた夕刻、母の実家に当時住んでいた従兄(仮にMくんとする)がテレビに映っていた。(Mくんは出かけていて実家には不在だった。)
帰省してすぐで実家の家族たちと会話で盛り上がっている母親に「Mくんが、テレビに映ってるよ。」と言うと、母親は「何をバカなこと言ってるの?似た人でしょ?」と軽くあしらわれた。

見取り図
(当時の見取り図)

テレビの内容は、
従兄のMくんが当時乗っていた車(赤の小型クーペ)を運転していて、一歩通行っぽいやや細めの道路の左側に寄せて路駐した。
すると、後ろから白い車が結構なスピードで来て、路駐しているMくんの車を通過する際、Mくんの車のサイドミラーに当たってしまい、右側のサイドミラーが吹き飛んでしまった。
白い車は、停止せずにそのまま走り去って行ってしまった。
赤の車から降りたMくんは、とても怒った表情で、「おい、待てよ!」と走り去る白い車に向けて叫ぶのだった。
そこで、テレビは終了した。

「まあ、母親の言う通り、似た人がテレビに出てただけなのかもしれない」とも思いつつ、いつもそんな感じで従兄弟がテレビに映って見えていたので、不思議だとは思わなかった。

何時間か過ぎて、夕飯を食べ終わったくらいだったと思う。従兄のMくんが興奮しながら帰宅した。
開口一番「車を当て逃げされた。右のサイドミラーがやられた。」と。
しかも、逃げ去った車は白い車だったという。
すぐさま母親に「だから、言ったじゃん!さっきテレビに出てたのはやっぱりMくんだったんだよ!」と興奮しながら言った。当然、母親は「・・・(ポカーン?)」だった。

と、まあ、こういった不思議な話です。
大人になって、ある親しくなった女性友達にこれを話したところ、「私も小さいころ同じ経験をしたことある。親戚の不幸がテレビに映るの。言えば気持ち悪がられるし、誰にも言えなかった。」と。
そういう体験したのは自分だけではないんだなと思って、何かホっとした。

自分なりの考察では、脳波の共鳴なのではないかと考えている。
特に親戚や従兄弟などは、親和性が強く、共鳴しやすいのではないかと。
たとえば、離れた場所で従兄弟が辛い思いをすると、その脳波が拡散し、私の脳波と共鳴することで、その従兄弟が体験している光景が私の脳(視覚)に映し出される。
ちょうど、電波の共鳴で情報を受け取れる、テレビやラジオの同じ原理だ。
でもなぜ、大人になるとそういった能力は失われやすいのだろう。おそらく、言葉を覚えるとそういった能力は必要ないからだと予想できる。子どものうちは、言葉以外でコミュニケーションをとっていることが多いから、そういった能力が必要なのだろう。もしかしたら、言葉を話さない動植物もそうなのかもしれない。
きっと、人間の脳には、まだまだ様々な可能性があるのだと思う。

ここからは余談だが、今考えると、宇宙人に遭遇したのも同じ年ごろで、同じ場所(母の実家)だった。(関連記事:私が遭遇した宇宙人
何か、関係あるのかもしれない。

宇宙人遭遇場所とテレビ不思議体験の見取り図
(宇宙人遭遇場所とテレビ部屋)

デイトナインターナショナルさんのチャンネルで、幼少期の宇宙人の遭遇談UFO目撃談とともにこの不思議体験談を少しお話しさせていただきました。よろしければご覧いただけると嬉しいです♪


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1986年頃、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園)上空で見た不思議なロケットのような葉巻型UFO

幼いころ、夏になると毎年のように、うちの家族と近所の幼馴染みの家族とで、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園にあった遊園地)のプールによく行っていた。プールから上がると、乗り物に乗ったりして遊んで、夜になると花火が上がったので、それを見て帰るというルーティンだった。

そんなある夏の日、不思議なものを見た。
小学生の頃(8~10歳)ごろだったと思うが正確に思い出せない。

いつものように、プールから上がり、夕刻になり薄暗くなると、花火の時間になった。
花火が上がり始め、みんなで花火を見上げていた。

すると、頭上の雲の合間にロケットのような形状をしたものが、飛んでいくのが見えた。いくつかライトをつけていて、点滅はしていなかった。飛行機よりも細長い胴体、翼はなかったので、ロケットだと思った。高度はやや低空飛行で、大きくはっきり見えた。

1986年ごろ見たロケットか葉巻型UFO。
(雲の合間から見えたロケットのような飛行物体)

家に帰りテレビを観ると、ニュース番組で「種子島からロケット打ち上げ成功」というニュースが流れていた。

そうか、種子島のロケットが見えたんだ。
小学生の自分は、本気でそう思って納得してしまった。

しかし、後になって考えると不思議になった。
種子島で打ち上げたロケットが、東京都練馬区にある「としまえん」上空で見えるわけがない。しかもロケットにはライトがないはず。
では、自分が見たものは何なのか。

私は幼少期、離れた場所で起こっている出来事が、テレビに映って見えてしまうという、なんとも不思議な経験を何度もしていたので、きっとそういうこと(種子島の出来事が幻覚で見えてしまった)だろうなと思った。(→従兄弟がテレビに映る不思議体験
ただ、今考え直すと、ロケットにはライトはないはず。だから、飛行機を見間違えたか、UFOか。
でも、当時は今のように都心部を低空飛行する羽田新ルートはなかった。だから、豊島区や練馬区では飛行機が低空飛行では飛んでいなかったと記憶している。
そう思うと、UFOだったのか。

いろいろ調べると、私が見たものは「葉巻型UFO」に一番酷似していた。

ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)
ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)

「ムーweb」の記事に掲載されている、ジョージ・アダムスキー氏が撮影したという葉巻型UFO。私が見たものに非常に似ている。

発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より
発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より

2013年2月イギリス(英国マンチェスターのデントン市)で撮影されたという葉巻型UFO。(「怪奇動画ファイル」の記事より)
縦型にホバリングし、写真のように緑色などに発光していたという。
私の見たものに一番似ている。私が見た時も、縦型の状態だった。このような物体が上に進んで飛んでいた。

年代(日にち)を特定する

今になって調べてみると、その年代の夏休み期間に種子島宇宙センターから打ち上げられたロケットは以下である。

1981年8月11日 N-IIロケット2号機(N8F)(静止気象衛星「ひまわり2号」)
1983年8月6日 N-IIロケット4号機(N11F)(実験用静止通信衛星「さくら2号b」)
1984年8月3日 N-IIロケット6号機(N13F)(静止気象衛星「ひまわり3号」)
1986年8月13日 H-Iロケット試験機1号機(H15F)(測地実験衛星「あじさい」)
1990年8月28日 H-Iロケット7号機(H22F)(実験用中継放送衛星「ゆり3号a」)

※参考:JAXA>衛星打上げロケット実績(1966~2003年9月

以上より、おそらく、1984年、1986年、1990年、そのあたりの出来事だったのだと思う。自分の中では、1986年8月13日(当時9歳/小学3年生)が一番可能性が高いと感じている。


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銭湯「寿湯(ことぶきゆ)」(東京都板橋区上板橋1丁目)へ。―銭湯めぐり

昨日は、銭湯「寿湯(ことぶきゆ)」(東京都板橋区上板橋1丁目21-4)へ。

銭湯「寿湯(ことぶきゆ)」(東京都板橋区上板橋1丁目21-4)
(「寿湯(ことぶきゆ)」)

場所は、東武東上線「上板橋駅」南口「コモディイイダ」の目の前だ。
入り口はやや狭いが、奥に入れば昔ながらの宮造りで立派な銭湯がある。

銭湯「寿湯(ことぶきゆ)」(東京都板橋区上板橋1丁目21-4)入り口
(「寿湯(ことぶきゆ)」入り口)

湯舟は「バイブラ(気泡風呂)」「ジェットバス」「超音波風呂」「あつ湯」「水風呂」とシンプルだが、「サウナ」もあるので地元の方に親しまれている。熱いお湯好きの私は、ここの「あつ湯」が大のお気に入りでしょっちゅう来る。あつ湯はしっかりした熱さと、他ではなかなかない深めの湯舟で体の大きい人でもゆったり入れる。
熱いお湯のバイブラ(気泡風呂)も気持ちよい。

2023年 板橋区の銭湯スタンプラリーで回数券が寿湯から当選した!

2023年板橋区の銭湯スタンプラリーで回数券が当選した貼り紙。
(「寿湯(ことぶきゆ)」入り口)

一昨年2023年、板橋区内の銭湯スタンプラリーで、区内で10人しか当選しない回数券10回分が寿湯さんから応募して当選した。写真は、区内の全銭湯に貼りだされた当選者の貼り紙。寿湯さんは粋にも赤丸をつけて「うちから当選者が出た」ことをアピールしてくれた。宝くじ売り場みたいで面白い(笑)

関連記事:銭湯「寿湯」で見つけた詩(田村隆一作)

寿湯(ことぶきゆ)
東京都板橋区上板橋1-21-4


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今日(2025年9月9日)の月

昨夜(2025年9月9日 19:00ごろ)満月に近い、オレンジに輝く大きな月が夜空にあった。

月の写真(2025年9月9日)

あまりの綺麗さに、思わずデジカメを手に取り撮影することにした。

月の写真(2025年9月9日)拡大ズーム

光学30倍のズームのカメラだったのだが、以外にも綺麗に撮れた。
調べると、前日の9月8日が満月だったらしい。

月のクレーターの写真/2025年9月9日

クレーターまでしっかり写すことができた。

月の海「月海(げっかい)」の写真/2025年9月9日

月の海「月海(げっかい)」まで、しっかり映っている。
(デジカメで)こんなきれいに写すことができるなんて、今後月の撮影にハマりそうだ。

小学生の時、父親にねだって買ってもらった天体望遠鏡で、毎晩のように月や木星を観測していた時を思い出した。月はもっと大きく観測できて、クレーターや海などより鮮明に見ることができた。木星は独特の横しま模様と4つの衛星が観測できた。(→小学生の時の天体観測


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ふと思い出す謎の知識

私には、ふと思い出す(というより頭から離れない)、誰から教わったのかわからない謎の知識があります。(皆さまもおありかと思います。)親ではなく、おそらく小学生の時の先生が言った言葉だと思うのですが、誰だか思い出せません。記録のために記述していきます。(まだまだ沢山あるので、思い出したら加筆していきます。)

人間の特性
人体に関わる知識
歴史にまつわる知識
地学
政治学
工学
自然について


人間の特性

・人間は血の色と同じ「赤色」を見るとびっくり(注意を引く)ような特性がある。その特性を利用したものが、信号機の赤、車のブレーキランプ(テールランプ)、緊急車両の警光灯など。

・人間の目は、人の顔を認識する能力に長けている。目や口の位置に当てはなる(3点がある)となんでも人の顔に見えてしまう錯覚を起こす。

・目の焦点、少し外したところがよく見える。焦点が一番視力が良いわけではない。

・動物によって目の位置が異なり、視野が異なる。草食か肉食かによっても異なり、魚は前も後ろも同時に見える視野を持っている。人間はなぜか前を見る面上に2つ目が付いていて、前しか見えない。これは肉食動物の特徴に近い。

・舌の神経は、一番好きな甘みを感じるのは先端、苦手な辛さ・苦みは奥で感じるようになっている。

・春になると、薄着の女性が増えるために、変な男が増える。

人体に関わる知識

・女性は子供を産むために、お尻が大きくなる。

・人間の赤ちゃんは、他の動物から見れば未熟児の状態で生まれてくる。ほとんどの動物は、生まれてすぐに立ち上がり歩くことができる。それは野生における防衛本能として当たり前で、人間だけがおかしい。

・人間の妊娠期間10カ月というのは、絶妙なタイミングで、これ以上お腹の中にいると、頭が大きくなってしまい産道から出られなくなってしまう。

・女性の陰部はデリケート、だから綿の薄い下着を着用し、通気の良いスカートを履く。

・血液は本当は液体でなく固体。

歴史にまつわる知識

・地球誕生から46億年、人類は誕生してたった100万年、人類の祖先の化石は見つからない。この年代をミッシングリンクと呼ばれている。

・言語の発達が、他の動物と違って人類の発達に寄与した

・美人の定義は時代によって変わる、今は西洋人の顔が美人ということに洗脳されている、日本人は浮世絵の女性が当時の美人だった。

※後になって見つけた動画

【人相と内臓の関係】
上の動画17:30あたりから「格好良いとか、可愛いとかされている顔は文化との相関関係」で紹介されているエスキモーの話がこの話(美人について)の的を得た面白い話。

地学

・地球のほとんどはマントルだから地殻は卵の殻のようなもの。我々は薄い殻の上に住んでいる。

政治学

・中国はどうしても海が欲しい

工学

・日本の多湿な風土には、高床式住居が理にかなっている。

・車のデザインは、ヘッドライトは人間の目、バッグライトの赤は、血の色。人間の注意を引くよう設計されている。

・車の車内には、物を置けぬよう、わざと平面を設けていない。(物を置くと危険だから)

自然について

・夕焼けの反対側の空にも、うっすら同様の夕焼けが見える。


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浮世絵の美人画

昨日2025年9月8日、東京都板橋区若木1丁目にある銭湯「第一金乗湯(だいいちきんじょうゆ)」へ。

休憩所-銭湯「第一金乗湯(だいいちきんじょうゆ)」(東京都板橋区若木1丁目19-6)
(第一金乗湯の休憩所)

入浴中、外が土砂降りの雨になってしまい、風呂上りに番台で缶ハイボールを買って、休憩所で飲みながら時間を待つことにした。

休憩所に飾られた浮世絵の額装アート/銭湯「第一金乗湯(だいいちきんじょうゆ)」(東京都板橋区若木1丁目19-6)
(休憩所に飾られた浮世絵の美人画)

休憩所に飾られた浮世絵の額装アート。
いわゆる「美人画」と言われる浮世絵だと思われる。
昔、小学校の先生だったと思うが、「美人の定義は時代で変わる。」と言っていたのを思い出した。(関連記事:ふと思い出す知識
その先生は、「今の日本人にとって西洋人の顔つきが美人の定義になっているが、昔の日本人は浮世絵に描かれているような、一重で細くて少しつったような目、目と距離のある眉毛、すこしぽっちゃりした顔の女性が美人だったんだ。」と言っていた。「(現代の)目はパッチリで二重、目と距離の近い眉毛、細い顎が美人とは逆だった。なんならスタイルも細い方が良いというのは現代にできた風潮で、無理にダイエットするのは体に悪い。」と。
当時「なるほど~」と思ったのを強く覚えている。現に、自分の母方の祖母が浮世絵の女性のような顔つきとぽっちゃり体系だった。母が言うには祖父は一目惚れだったというから、納得してしまう。

第一金乗湯
東京都板橋区若木1丁目19-6


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銭湯「清水湯(しみずゆ)」(東京都板橋区大原町)へ。―銭湯めぐり

昨日は、銭湯「清水湯(しみずゆ)」(東京都板橋区大原町24−3)へ。

銭湯「清水湯(しみずゆ)」(東京都板橋区大原町24−3)
(「清水湯(しみずゆ)」入り口)

もともと綺麗で清潔感ある銭湯だったが、つい先日プチリニューアルして、外装も浴場内もより綺麗になった。

銭湯「清水湯(しみずゆ)」(東京都板橋区大原町24−3)の湯舟の種類
(「清水湯」の施設案内)

湯舟は「岩盤泉」「ハーブ風呂」「ボディマッサージ」「スーパーエステバス」「ミクロンバブルバス」「座風呂」と充実していて、特に私はやや熱めの岩盤泉がお気に入りだ。
また、ボタン式の強力スーパージェットが、温まった体のコリをほぐしてくれる。

清水湯
東京都板橋区大原町24−3


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千葉県茂原市「桜湯(さくらゆ)」-銭湯めぐり・昭和レトロ

仕事繋がりでもあり、銭湯仲間のINOUE氏(レトロ銭湯フリーク)が、写真を送ってくれたので紹介したい。千葉県茂原市にある銭湯「桜湯(さくらゆ)」(千葉県茂原市茂原461)です。

INOUE氏より:

千葉旅2日目は茂原にある桜湯に行ってきました。(→1日目
入るのは2回目で、外観は日本家屋ですが中は擬洋風建築のような大正ロマンを感じる造りで、特にタイルがオシャレでした。
お湯は丁度いい温度でした。

今回もさすがINOUE氏!と思える(良い意味で)レトロな銭湯。調べると、茂原市で唯一の銭湯のようです。佇まいと雰囲気が最高ですね。
茂原と言えば、むかし外房にサーフィンしに行くとき必ず通る道でした。また、私は高校卒業して間もなく白子のホテルにサーフィン修行を兼ねて1カ月半住み込みでバイトしに行ったのを思い出します。初日のホテルへは電車で茂原駅まで行き、バスに乗り行った覚えがあります。(帰りも同じ)懐かしい、30年前のことです。

INOUE氏は、古い銭湯が好きなだけではなく、古い日本の靴も大好きで収集している古靴コレクターなのだ。革靴好き必見!同氏のインスタグラム→@japan_shoes_1870

桜湯(さくらゆ)
千葉県茂原市茂原461


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