今月(2025年12月)の12日、私の宇宙人遭遇体験談で、オカルト界巨匠の山口敏太郎さんのYouTube番組「ATLASラジオ」に私が電話出演したのを聴いてくださり、ある男性Tさん(以下「とっちゃんさん」とする)から連絡をいただいた。
とっちゃんさんは、過去に二度ほど同じATLASラジオに電話出演しており、私の動画を観て共感いただき、連絡をくれたのであった。
連絡を取り合うと、偶然にも私の住まいの最寄り駅近くに1年前に越してきたと言うので、先日(2025年12月20日)、近くの喫茶店で会って話すことになった。
とっちゃんさんの話を聞いて取ったメモの一部
とっちゃんさんは、年齢は私より6歳上の1971年生まれの54歳、静岡県出身、理系の大学を出て、理系(科学技術系)のお仕事に就いてらっしゃって、とても真面目な印象の方だった。兄弟は、下に妹が二人いる。
▼ 胎内記憶(0~1歳)
▼ 寝ている間だけの別世界(0~4歳くらい)
▼ UFOとの出会い(12歳、中学1年生、1983年ごろ)
▼ 宇宙人との交信と人体実験(13~15歳、中学1~3年生、1984~1986年)
・宇宙人による人体実験
・宇宙人との交信
▼ 宇宙人との別れ(15歳、中学3年生のおわり頃、1986年)
▼ 宇宙人からのメッセージとその後
▼ シャドーマンと遭遇(18歳、高校3年生)
▼ その他の話
・1歳の時の指輪飲み込み事件
・9歳(小学3年生)頃の不思議な声
・小学生の時の不思議な音
・大学教授から聞いた不思議な話
・地震予知
▼ とっちゃんさんの出演動画
▼ まとめ
(イラスト・文/大嶋 信之)
胎内記憶(0~1歳)
とっちゃんさんの不思議体験の中で、特徴的な体験のひとつが胎内記憶だ。
動画でもお話しされているが、胎内記憶というよりは、生まれる前の世界の鮮明な記憶があると言う。
その記憶があるのに気がついたのは、なんと0~1歳の時というから驚いてしまう。
普通、その時期の記憶がある人は少ないと思う。
とっちゃんさんは、自分が生まれた病院に、出生後何度か連れていかれるうち、病院の壁にその病院の航空写真が飾ってあるのを見つけた。
その瞬間だった!
「この空から見た病院の光景、見たことあるぞ。」と不思議な感覚に陥った。
なぜ見たことあるのか、記憶をたどると、芋づる式に、その光景を見るに至った記憶が蘇ってきたという。これが実に興味深い。
自分がなぜ、この写真の光景を見たことがあるのか頭を巡らすと、病院を上から見下ろすに至った記憶が蘇ってきた。
そうだ、自分は、雲の上にいたんだ。
とっちゃんさんは、生まれる前に、雲の上の世界にいたという。
その雲は「パーソナルスペース」と呼ばれる一人一つの小さめの雲だった。キント雲のようなものだろうか。
隣にも同様の雲があり、その上に一人の人間(自分のような存在)がいた。
その世界は、明るくて、楽しいことのみの場所だった。
その場所を仕切っているのが、二人の老人だった。
二人とも白い衣服を着ていて、白い髭を生やし、杖を持っていて、旧約聖書の預言者モーゼのような風貌であった。
ある時、その二人の老人の元へ呼ばれた。
「お前は、もう行く時期だ。」
そう告げられると、前世の親戚たちのような方々がいる場所に挨拶しに行き、「とうとう、呼ばれてしまいました。」とその親戚たちに告げた。この世界では、肉体という概念がないため、「会いたい」と思った瞬間に、その人に会いに行けるらしい。これも興味深く、複数の臨死体験をされた彗星ハンターの木内鶴彦氏(故人)も、ある動画で同様のことを言っていた。臨死体験中は、「会いたい」と思った瞬間にその人の元へ移動できたという。
次に、老人の元へ再び戻ると、呼ばれた者たちで長い列ができていた。
みな、残念そうな暗い顔をしていたという。
とうとう、自分の番がきた。
二人の老人は、それぞれ分厚い本を持っていて、バン!っと同時にページを開いた。
開いたページには、人の情報が書き込まれていて、
「お前は、この人と、この人の間に生まれる子供だ!」
と命令されたという。
すると、黒い門の前に移動し、門の扉が少しづつ開いた。
その門が完全に開くと、自分はその門を出て、雲から降りるように降下していった。
1週間くらい長い時間をかけて降りていくと、小さな地球が見えてきた。
地球がだんだん大きくなり、陸地も見えてきた。
そうして自分の生まれた病院が見えてくる。
「ここだ!(航空写真は)この記憶だ!」
そして、病院の中に降りて、間もなくして母親から生まれたという。
病院の壁になにげなく飾られた、病院の航空写真。
その写真を見た0~1歳のとちゃんさんが、このような体験の記憶を蘇らせるなんて、なんとも不思議で仕方がない。
ただ、先日友人Mの不思議体験談を聞いていて、共通点だなと思ったのが、不思議体験をされる方は、幼少期の記憶力がすごい点だ。Mもそうだったし、私も多少だが1歳ごろの不思議な記憶がある。
私は、動画であらかじめこの話を聞いていたので、以前購入した絵本「胎内記憶図鑑」(のぶみ著)の内容に似ていると感じ、とっちゃんさんに見てもらった。
この絵本は、1999年より胎内記憶について研究をしている池川明先生(池川クリニック医院長)監修で、実に6000人にのぼる胎内記憶をもった子供たちからヒアリングした内容をまとめた絵本になっている。
絵本「胎内記憶図鑑」のぶみ著
雲の上での生活、髭を生やした老人など、絵本の内容と似た点はいくつもあったが、とっちゃんさんが過ごした世界とは少し違ったようだった。しかし、私にとっては、雲の上での生活や、髭を生やした長老などが、興味深い共通点だと感じた。
寝ている間だけの別世界(0~4歳くらい)
鮮明な胎内記憶の話だけでも、非常に興味深い話だが、とっちゃんさんの不思議体験は終わらない。
これも動画でお話しされているが、とっちゃんさんは、0~4歳くらいまで寝ている間だけ別世界で過ごしていたという。夢というよりは、別世界。のちに「パラレルワールド(平行世界)」という言葉を知って、その言葉が一番しっくりくると思ったという。その内容もとても興味深いのだ。
とっちゃんさんは、寝ている間(あえて夢と言わないようにする。)だけ、ある工場で働いていた。別世界では自分は0~4歳の子供ではなかった。仕事が終わると、いつも帰る風呂なしアパートもあった。その世界の女性の容姿は、その時代に流行っていた容姿と同じ(服装も髪型も同じ、山本リンダのような容姿)だったので、時代は同じ感じだったという。
その工場では、人の肉(人肉)を解体し、ある特殊な方法でパッキングするといった、センセーショナルな工場だった。ただ、それが食べるためなのか、何なのか不明だったとのこと。その世界では売られていなかったし、食べたこともなかったという。
人肉の材料は、なぜかすべて女性で、工場内の大きな冷蔵庫には、たくさんの女性の体(裸体)がカチコチに凍っていた。なので、とっちゃんさんは、工場に行くたび、心配でその冷蔵庫に母親や祖母がいないか、確認していたという。
体をカットし、部位ごとに、パッキングされていく。
パッキング方法も特殊で、水の中でコンニャクのようなものでパッキングされていたという。パッキング前に、カットされた部位を、油のような細かい気泡がある液体にさらすのだという。何のためかは不明だった。
とっちゃんさんは、働きながらその工程を学んだ。流れ作業でシステム化された工場だった。初めて見る光景だった。
そんな夢というか寝ている間だけの体験する別世界を4歳ごろまで経験した。
その後、小学校5年生くらいになり、社会の授業でコンベアシステムによる流れ作業を学んだ時に、びっくりしてしまった。自分が見た光景そのものだった。「自分は授業で学ぶはるか前から、このシステムを知っている。というより、そういった工場で働いていた。」そう思ったという。
その驚きはそれで終わらなかった。その後の小学校の社会科見学で、自動車組み立て工場を訪れた時のこと。
流れ作業で組み立てられていく自動車を目の前にし、自分が別世界で働いていた工場そっくりだったことに、再びびっくりしてしまった。
内容は「人肉」と「自動車」と大きく異なるが、流れ作業で製品が出来上がっていくその様は、自分がかつて働いていた別世界の工場そのものだった!
とまあ、不思議な話なのだ。
0~4歳という幼少期に、それだけの鮮明な記憶があることに驚いてしまう。
とっちゃんさんは、後から雑誌月刊ムーで、「人食いパラレルワールド」の記事を見て、再度びっくりしたという。
UFOとの出会い(12歳、中学1年生、1983年ごろ)
とっちゃんさんが中学生になる1983年ごろ、小学生時代にそういった不思議体験を多く体験し、自分でも説明できないし、親や友人、妹たちにも当然信じてもらえず、苦悩していた。
そんな時、テレビでUFO特番を見て、「そうか!UFOなら、科学的に説明ができるかもしれないし、心霊体験より面白そうだ。」と直感したという。
早速、本屋に行って、UFOの本を探すもなかなか見つからず(同じような書籍が2冊だけあったので購入。)、図書館へ行くも見つけることができず、古本屋に行ってようやく何冊か購入することができた。
本を読み進めると、UFOは赤オレンジ色に発光していることが多いという記述を見て、「赤オレンジ色?」と疑問がわいた。
赤オレンジとは聞き慣れない言葉だったし、一体どんな色なのか、赤とオレンジのあいだの色だなんて、なかなか想像できなかったという。
その後、UFOなどオカルト情報を発信する雑誌「月刊ムー」の発売日を知り、発売日に本屋へ行ってムーを購入した帰り道に、なんとUFOに遭遇した!
場所は、静岡県浜松市、時間は20時半ごろだった。
周囲は畑の田舎道、暗くなり自転車を漕いで自宅へ帰る途中に、目の前の上空にまさに赤オレンジ色をした球体が現れた。
大きさは、星よりも明らかに大きく、といっても月の大きさの5~6分の1程度の大きさだった。
光は動いておらず、一定の高さに留まっていて、自転車を降りてしばらく観察することにした。10分間くらい目の前上空にその球体は留まっていた。
曇りだして、他の星は見えなくなり、小雨が降り始めた。それでもその球体ははっきり見えた。よく見ると、赤オレンジ色している球体は、赤オレンジではなく、赤とオレンジのマーブル模様が高速で回転していた。
その時だった。自分の背後から軽トラックが来るのが分かった。
道の端に避けようと、自転車のハンドルを持って道の端に移動するために、一瞬地面を見た。軽自動車が通過し、再び空を見上げるも、その球体はすでに消えてしまっていたとのこと。
この初めてのUFOとの出会いが、今後の3年間にわたり、とっちゃんさんは何者かとコンタクトできるようになった、ことの始まりだった。
余談:
私は、この話を聞きながら、ちょっと気になった点があったので、それをとっちゃんさんに伝えた。
それは、UFOは赤っぽくオレンジ色っぽい発光をすることは多いと以前から聞いているが、それはおそらくプラズマもしくは核融合が関係していると思われる。
1975年に発生した甲府UFO事件で、UFO宇宙人に遭遇した山畠克博氏もUFOが眩いばかりのオレンジ色の光に包まれた後消えたと言っている。核融合の代表例は太陽だが、太陽も同様の色をしている。甲府事件でもUFO着陸現場に原子炉由来の人工的な放射線物質が発見されている。
それはそれでさて置き、私が驚いたのは、とっちゃんさんがこの「赤オレンジ」に着目し興味がわいた点だ。
私は、宇宙人に遭遇したことはあるが、赤オレンジ色のUFOは見たことがない。
しかしだ、幼少期から、なぜかこの「赤オレンジ」という色が気になってしょうがなかったからだ。絵も好きでよく描くが、この赤オレンジ色の表現が難しく、いつも納得いかなかった。まさに、私もこの「赤オレンジ色」に固執しているのだ。
幼少期は、太陽がその色に一番近い(特に日没間近の太陽の色)と思い、それを見ると何かを感じる気持ちなり、その赤オレンジ色になった夕日をずっと眺めたり、その夕日や空の絵を描いて再現しようとしたりしたが、納得がいく色がなかなか表現できないでいた。大人になってタバコを吸うようになったときは、タバコの火の色がその理想色に一番近いなと思ったくらい、なぜか、この「赤オレンジ色」を追ってしまうのだ。
これは、不思議だと思った点だった。
宇宙人との交信と人体実験(13~15歳、中学1~3年生、1984~1986年)
とっちゃんさんは13歳のUFO遭遇体験以降、3年間(1983~1986年)にわたり不思議な体験を経験することになる。
宇宙人による人体実験
まずは、宇宙人との交信に伴う人体実験。
それらは、主に寝ているときに起きた。
まず最初に起こるようになったことは、寝ているときに、頭を銃のようなもので打ち抜かれる感覚で目が覚めることが、頻繁に起き始めた。
おでこ(額)の中央から何かが打ち込まれ、後頭部に抜けていく感覚で、「死ぬ!!」と思ってしまうほどのインパクトがあったという。
次に、寝ているときにふと目が覚めると、手足が縛られいる感覚で身動きが取れない状態(首から上は動く)で、頭になにか電波のようなものを当てらることがしばしば起こるようになった。その電波は、3種類(3本)あって、同時に当てられたという。
その時は、息は乱れ「はあ、はあ」といった苦しい感覚だった。
身に覚えのない傷
そういったことが起こるたび、翌朝には、見知らぬ傷が、体のあちこちにできるようになった。その傷は、10年以上残った。今は、30年経っているので、かなり薄れてしまっているというが、見せていただいた。
左腕にできた当時の傷跡。
不思議と、傷はいつも二つ同時できたという。
写真の傷のもう片方は数年前に消えてしまった。
当時の再現イメージ。
必ず二つ、対に同時にできた。
その間隔を定規で計ると、必ずぴったり1.0cmだった。
どこにできた傷も同様に、決まって1.0cm間隔だったことに、とっちゃんさんは「宇宙人も、人間と同じメートル法を使用しているのか!?」と驚いたという。
手のひらに、いきなり現れた切り傷。
この傷ができた時は、まったく身に覚えのないうえ、手のひらだったこともあり、大変驚いたという。
今でも鮮明に傷が残っている。
右腕の傷。
この傷には、私は驚いてしまった!!
なんと、私も物心ついた時から、同じ場所に、同じような傷があるからだ!
私の右腕の傷。
48歳になった今は、だいぶ薄くなってしまったが、幼少期はとっちゃんさん同様、はっきりした傷だった。
私は、幼少期この傷を見て、いつできたかわからず、いつも不思議だなと思っていた。
とっちゃんさんの右腕と私の右腕に同じ傷があった!
とっちゃんさんの傷と、私の傷。
右腕のほぼ同じ場所にある。
とっちゃんさんは、このような二点の傷(1.0cm幅)が、腕だけでなく、お腹など、様々な場所に出現。
その傷とは別に、白の斑点のような傷も出現しはじめたという。
それも2点の対の丸型で、片方が大きく、片方が小さく、間隔は3~4cmだった。
周りの皮膚より明らかに白く目立つため、お腹にできた時は、プールで多くの友達に「なにそれ?」とひやかされたという。
今は消えて残っていないが、両腕にも出現した。
決まって、寝ているときの不思議体験の翌朝に出現した。
当時、UFOとその乗員とコンタクトしたというビリー・マイヤーの書籍を読んで、自身の体験が似ていることに気づいたという。
宇宙人との交信
そのような、人体実験とおぼしき不思議体験と同時に、とっちゃんさんは宇宙人らしき存在から、メッセージを受信できるようになったという。
その内容は、複雑な数式だったり、曼荼羅だったり、ただの言葉だったりした。
主に寝ている最中に受信し、内容の詳細は起きると忘れてしまうことが多かった。
今考えると、ノーベル賞に匹敵するような高度で優れた数式もあったという。
受信方法は、言葉とテレパシーで、3種類あった。
一つ目は、一瞬で受け取れる方法。映像(イメージ)と言語などの情報が、一瞬で送られてくる、光のようなものだったという。
二つ目は、朗読型。言葉で朗読するように情報を伝えてくる。
三つ目は、映像。情報を映像(イメージ)として送ってくる。
とっちゃんさんは、一つ目の一瞬で受け取る方法で、主に受け取っていたという。
宇宙人らしき存在は、とっちゃんさんに、情報の受信だけでなく、送信方法も教えてきた。
その方法というのが、非常に興味深い。
送信には右脳を使い、頭の中に黒板のようなボードを想像し、そこに送りたいメッセージを書いたら、そのボードの右横にある(青と紫に光る)球体に意識を集中させ、青から紫に点灯させる。その(右脳で作り上げた)イメージを、右脳から後頭部へ移動させ、後頭部から後ろに押し出すように集中すると、メッセージが送れるのだそうだ。
とっちゃんさんは、その方法は最初は難しかったが、慣れてくるとスムーズに行えるようになったという。うまく送信できると、後日、送信したメッセージに対する返信がくるようになった。情報を受け取るのは簡単だったが、送信する方が難しかったという。
宇宙人との別れ(15歳、中学3年生のおわり頃、1986年)
そんな、宇宙人らしき意識体との交信が3年続いた。交信する頻度も多くなり、睡眠の障害(交信)、体にできる傷など、とっちゃんさんの負担が限界に達していた。
そんなある日、もう交信を打ち切ろうと決断し、そのメッセージ(交信を終わりにしようという旨)を送信した。
その数日後の夜中、寝ていると目が勝手に開き、身動きが取れないまま、上半身が勝手に起き上がり、目の前にグレイ型の宇宙人が立っていた。
暗がりの中だったが、容姿がしっかり見えた。頭は大きく、大きな目が光っている。耳や鼻や口は見当たらなかった。肌の色はグレー(灰色)で、しわなどはなかった。目の光は、猫やフクロウのような夜行性動物特有の反射して光っている目という感じだった。そのわずかな光で、部屋の中が少し照らされうっすら見えるくらいだった。
そのグレイ型宇宙人は、自分の足元に立っており、上半身から下は半透明だった。
頭のある位置の高さは1.0mくらいだった。
その後、宇宙人の姿が消えると、普段の部屋の暗がりに戻った。
通信手段の、いつもの黒板ボードを想像してみると、送信するための右上にある光の部分がロックされており、送信できない状態になっていた。
とっちゃんさんは、「最後の別れに、きっと姿を現したのだ。」と確信したという。
その日以降、宇宙人からの受信もなくなり、黒板ボードもロックされたままでメッセージを送信できない状態が続いた。
その後、平穏な日々を過ごすことができた。
宇宙人からのメッセージとその後
宇宙人からのメッセージ
私が、どんな内容の交信をしたか、また宇宙人から受け取ったメッセージがあるか尋ねると、大別すると以下の三つあると言う。
・環境を大切にしなさい。
・神社やお寺には近づくな。(神社やお寺で、自分の願い事を願うことはやめなさい。)
・二酸化炭素(CO2)排出量を減らしなさい。
この三つだと言う。
私は、びっくりしてしてまった。
一つ目の「環境を大切にしなさい」と三つ目の「二酸化炭素(CO2)を減らしなさい」は、私が宇宙人から受けたメッセージと一緒だからだ。私の場合は、「自然(特に植物)を大切にしなさい。」というメッセージだった。植物をお粗末にすれば、食べ物にも困るし、二酸化炭素も増える。まさに同じ意味だ。
とっちゃんさんは、この教えを今でも守っているとのこと。今までもこれからも自動車を買うことはないという。二酸化炭素を排出するからだ。移動は電車と自転車と決めている。
二つ目の神社とお寺への参拝だが、交信当時は神社とお寺に行くのは避けていたらしいが、最近ではある一定のルールを守ったうえでたまに参拝するという。そのルールとは、「自分の願い事を願うことはしない。」というルール。他人の幸福を願うことはOKらしい。
これも興味深くて、私も誰に教わったわけではないが、幼少期からこの考えがあった。
不思議な共通点である。
また、何千件ものアブダクション経験者を調査した、コンピュータ研究者でUFO研究者のジャック・ヴァレという研究者は、宇宙人などの高度意識体のアブダクションの目的は、古い信仰システムを破壊しつつそれに代わる新しいシステムを構築することだと述べている。(参考:ウィキペディア>ジャック・ヴァレ)
まさに、二つ目の「神社とお寺に近づくな。」だ。
また、宇宙人の目的は何なのか尋ねると、
「宇宙人は、争いをなくすために、感情をなくしたから、それ(感情)を復活させるために、人間の喜怒哀楽を調査しに来ている。」と、とっちゃんさんは答えてくれた。
これも、強く納得してしまった。その理由は、別の機会にお話ししたいと思う。
その後
宇宙人と決別できた中学3年生以来、とっちゃんさんは宇宙人とのコンタクトはなくなった。しかし、25歳の時、たまたま矢追純一氏のUFO特番をテレビで観ていると、宇宙人にさらわれた人のアブダクション内容が紹介されていた。それを観て久しぶりに恐怖心が蘇ってきた。その翌朝、起きると昔のような傷が両腕にできているのを発見、また恐怖に陥ったという。ただ、その後は何事もなかったそう。
とっちゃんさんは、大人になった今でも、あれ(中学生の時の宇宙人体験)は何だったのだろうと興味を持ち続け、たまにだがUFOコンタクティの武良信行(むら のぶゆき)氏のUFOを呼ぶイベントなどに参加することもあるとのこと。
シャドーマンと遭遇(18歳、高校3年生)
この話は、動画2でも詳しくお話しされているエピソード。
とっちゃんさんが、高校3年生のとき、シャドーマンに遭遇したという話。
とっちゃんさんは、高校3年の後期、指定校推薦により周囲の生徒より一足お先に、進学する大学が決まっていた。
ほとんどの生徒は、その時期は受験勉強でピリピリモード。なので、休み時間などは、指定校推薦で大学が決まっている友人だけで、別の教室で集まって話をしたりしていた。
その場所のひとつに「進路指導室」という教室があった。
とっちゃんさんは、いつものように、休み時間に進路指導室に向かった。すると、天から頭の中に「今はまだ誰もいない」と声が聞こえた。
その言葉を無視し、誰かしらいるだろうと進路指導室のドアを開けた。
その時だった!
雨が降っている日で、電気も付いていない薄暗い教室の中に、影だけの何者かがいたのである。その影は不思議で、北側の窓から外のかすかな光がさしているにも関わらず、光とは反対方向(窓の方向)に濃く伸びた人型の影だった。
その影だけの存在が、私が教室に入るなり、驚いた様子でのけぞり、慌てふためいて教室内に置いてあった棚に隠れてしまった。
そして次の瞬間、その影は四方八方に放射線状に散らばるような形で分散し、消え去ってしまったとのこと。
なんとも不思議な光景を目にしたとっちゃんさんは、その場に立ち尽くしてしまった。
それから月日が経ち、大人になってから「シャドーマン」という言葉(怪奇現象)を知った。そうか、自分が見たのは”シャドーマン”だったのかと、その時とっちゃんさんは思ったのだそう。
その影の正体は、いったい何なのだろうか。
その他の話
1歳の時の指輪飲み込み事件
大人になって、とっちゃんさんは母親にある出来事を聞かされた。
それは、とっちゃんさんが1歳の時、母親の結婚指輪を飲み込んでしまったというエピソード。それを聞いたとっちゃんさんは、母親から詳細を聞く前に、当時の自分の行動を鮮明に思い出した。
1歳くらいの自分が、タンスをよじ登り、一番上の引き出しの中に保管されている指輪を取り出そうとしている光景が、少し上の目線から見た客観的な光景で蘇ってきた。それを母親に伝えると、その通りで、1歳のとっちゃんさんが、タンスの上の段に保管してあった結婚指輪をよじ登って取り出し、飲み込んでしまった。
急いで病院へ行くと、医師に「もし、お尻から出てこなかった場合は、お腹を切って(手術で)取り出すしかないですね。」と告げられたという。
幸いにも、後日お尻から出てきたのだそう。それはそれでよかったが、1歳の乳児が、タンスをよじ登って、上の段の指輪を取り出す、しかも飲み込んでしまうなんて、とっちゃんさん自身も首をかしげるエピソードだそうだ。その鮮明な光景(客観的に自分を見た)の記憶も不思議なのだそう。
この幼児期の自分を客観視した記憶については、前回の記事「友人Mの不思議体験談」の中でも似たエピソードがある。
9歳(小学3年生)頃の不思議な声
とっちゃんさんが小学生の頃、いつも外から聞こえる声があった。
その声には2種類あって、一つは「キャーーーー」と1分間くらい一定の音程で続く声、もう一つは「おぎゃおぎゃ おぎゃおぎゃおぎゃ」を繰り返す声。(決まって「おぎゃ」×2回のあとに「おぎゃ」×3回、の繰り返し)
とっちゃんさんは当然、両親、妹たち、周囲の家の人も聞こえているものだと思っていた。
小学3年生だったある日、とっちゃん家に、近所の友人が遊びに来て、いつもその声が聞こえる部屋で妹も含めて三人でトランプしていた。
その時、またいつもの声が聞こえた。「キャーーーー」と1分間くらい続く声。
妹と友人はびっくりし、「何この声、怖い!」と言った。とっちゃんは「いつも聞こえるけど、妹も、友人も聞いたことないの?」と聞いた。すると友人も妹も今まで一切聞いたことのないと言うのだった。
その後、友人はそのことを学校で他の友人に言いふらし、一時、とっちゃん家に肝試しに来る友人が増えたとのこと。
後に、とっちゃんはその声の録音に成功するが、そのテープは残念ながら今は紛失してしまったという。
余談だが、私も幼少期、夕方必ず犬の遠吠え(複数の犬の遠吠え)が、家の中にいたのに聞こえていたのを思い出した。私が住んでいたのは、東京都豊島区内の大通り(明治通り)沿いで、池袋駅からも程近い比較的都会に位置し、車通りも激しく騒音もうるさい場所だった。当然どこかの犬の遠吠えなんだろうなと思っていたので、家族の誰にも言っていなかった。でも、そんな都会に犬ってそんなたくさんいたのかな?と、とっちゃんさんの話を聞きながら、疑問が湧いてしまった。もしかしたら、私だけが聞こえていたのかも、と少し思ってしまった。
小学生の頃の不思議な音
とっちゃんさんの不思議体験を、いつも両親は信じていなかった。
私もそうだったので、とても共感できる。
しかし、そんな両親も不思議な気持ちになる出来事が起きた。
とっちゃんさんが小学生だったある日、5人家族全員で、2階建ての一軒家の1階で、夕食を食べている時だった。天井から「ドスン!ドスン!ドスン!」と大きな音が3回響いたのだ。当然2階には誰もいない。
2階に行って確認するも、変なことは何も起きていなかった。
屋根に何か落ちたか?と思ったが、一階まで聞こえないだろうとなった。
その時だけは、両親も「不思議なこともあるものだね。」と言ったそうだ。
大学教授から聞いた不思議な話
私が、「理系の方って、オカルトに興味ある人、意外に多いのでは?」と興味本位で質問すると、とっちゃんさんが卒業した理系の大学の教授から聞いた、不思議な話を二つ教えてくれた。
登山中の落石の話
その大学のある教授が、登山をしていた時の不思議な話。
教授がある山で登山中、突然、落石を知らせる叫び声が聞こえた。
自分は、右へ逃げるか、左へ逃げるか、一瞬迷い「右と左、どっちに逃げたらよいか?」と天に問うた。すると「右に逃げなさい。」とどこからともなく声が聞こえた。
その通り、右に逃げたことで、助かったという話。左に逃げていたら、落石に直撃していたらしい。この不思議な話を、その教授が当時学生によく話していたという。
男子トイレの鏡に映った女性の話
その大学の学長が、男子トイレを使用していた時の不思議な話。
ある日、学長が男子トイレで用を済まし、手洗い台で手を洗っているとき、目の前の鏡を見ると、自分の背後に黒髪の長い女性が立っていた。
すぐさま、「女子トイレは隣ですよ。」と、言いながら振り返えると、女性の姿はなく、消えてしまってどこにもいなかった。
その後、学長は怖くなってしまい、校内すべての男子トイレの鏡を取り外してしまった。
地震予知
とっちゃんさんは、学生のころ地震予知ができるようだった。予知というか、地震の起こるタイミングで自身の身にも何かをキャッチするという現象だ。
それは、国内の地震ではなく、海外の地震が多かった。
その現象は、地震が起こるタイミングで、自身の体が揺れるという現象だった。寝ているときにも起きた。
そんな現象(自身の体が急に揺れる)が起きた後、調べると必ず同時刻に海外のどこかで地震があった。
一番すごかったのは、学校の教室で、体が揺れすぎて椅子から転げ落ちてしまったことがあった。そのあと調べてみると、同時刻でイギリスのある地方で100年振りの地震、震度1というニュースがあった(笑)。とっちゃんさんは、さすがにこれは勘弁してくれと思ったそうだ。
それから何十年か経ち、地震予知もできなくなっていた2011年3日11日、東日本大震災は残念ながら予知できなかった。
この話を聞いて、私も寝ているときに体が揺れて地震かな?と思ったことが多々あったことを思い出した。その時は「きっと(自身の)心臓の鼓動だろう。」とか、東日本大震災の後だったということもあり「きっと地震のトラウマだろう。」とかいう気持ちで、地震予知かもしれないなんて思いもしていなかったので、その現象の同時刻で起きた地震など調べることもなかった。でも似た体験だなと思った。
あと、幼少期、兄弟三人でテレビを観ていたところ、2歳上の姉が先に寝てしまって、寝ていたと思うと急に上半身を起こし、目を閉じたまま上半身を大きく左右に揺らして「地震だ!」と言ったかと思うと、またすぐに寝てしまったことを思い出した。それを間近で見た私たち双子は大笑い。姉が夢見て寝ぼけたこと言ったのだと思ったが、とっちゃんさんの話を聞いて、「あれも地震予知だったかもしれない」と少し思った(笑)
余談だが、私は天才発明家ニコラ・テスラの自伝書「秘密の告白」を何度も読み返しているのだが、その中でニコラ・テスラがある振動数の共鳴実験をしている最中に、実験所のある(滅多に地震が起きない)ニューヨークのその地で大きな揺れが発生し、止まらなくなってしまいその装置を壊して止めたというエピソードの記述を思い出した。確か、地球の振動数と共鳴させたことが原因だったと思うのが、とっちゃんさんはその逆で、地震の周波数と共鳴してしまい、自身の体が揺れてしまった可能性があるなと思い、とっちゃんさんそれをに伝えた。
とっちゃんさんの出演動画
とっちゃんさんが電話出演した動画「ATLASラジオ」は、以下2本。
以上のような不思議体験を、詳細にお話しされているので、ご興味ある方はぜひご視聴ください♪
『ATLASラジオ29:激白!宇宙人にさらわれ○○を埋め込まれた男!』
https://www.youtube.com/watch?v=B-4LmRaEjX8
『ATLASラジオ3rd 018 大学進学を考えている?シャドーマン、人間の傷を治すイルカのヒーリング』
https://www.youtube.com/watch?v=mHHsrhSnli8
まとめ
とっちゃんさんとお会いして、お話しさせていただいた率直な感想は、素直な方だなという印象だった。永遠の少年のような、純粋な疑問を大切にしていらっしゃる方だと思った。
私も、共感する部分や共通する点が多々あったことに、驚いてしまった。
とっちゃんさんと私の共通点を以下に挙げる。
・不思議体験した時期
不思議体験は幼少期が多く、大人になったらほとんどなくなった。とっちゃんさんは20歳、私は25歳くらいまででほぼなくなった。
・信じてもらえないから、話したくない
両親はそのような体験を信じてもらえず、「何を馬鹿なこと言っているの?」という反応が多かったため、誰にも言えないことが多かった。
・身に覚えのない傷がある
身に覚えのない傷が体に複数ある。特に幼少期からある右腕の傷は、二人とも同じ個所にあったのには驚いた。
・「赤オレンジ色」に固執する
UFOの色とされる、「赤オレンジ」に固執する。
・オカルト、物理科学への興味
自身の体験から、オカルト番組や書籍、物理科学に興味を持つようになった。
・テレパシー
宇宙人からテレパシーを受信した。
・宇宙人からのメッセージ
宇宙人から同じようなメッセージを受け取った。とくに自然環境については完全に共通していた。
・宇宙人体験した時期
互いに宇宙人体験をした年代が近い。私は1982年ごろ、とっちゃんさんは1983~1986年ごろ。
・メッセージを受信する
とっちゃんさんは、幼少期に親戚の死を知らせるメッセージや、どこからか自分の頭にイメージや言葉が湧いてくることがあった。私も同様で、テレビに親戚が映る話など親族のなにかを受信することが多かった。
その他、細かい部分で共感できる点が多々あった。
上記の中でも特に右腕の傷、同じ個所に傷がある方は、初めてお目にかかった。そして宇宙人から受け取ったメッセージ、これも共通点があるし興味深い。
そして年代だ。とっちゃんさんが宇宙人とコンタクトしていた3年間は1983~1986年の約3年間、私が宇宙人遭遇したのは1982年ごろなので、年代が非常に近い。(→私が遭遇した宇宙人)
甲府UFO事件の山畠さんとお会いしてお話しした時もそうだったが、やはり体験者同士というのは、お互いの話の理解が早く、スムーズにわかり合えるという、なんとも言葉では表現できない心地良さを感じた。
私の宇宙人遭遇体験やテレパシーなどの幼少期の不思議体験を、興味深く聞いてくださった。特にデジャブ体験をした時の手の傷の話を関心深く聞いてくれた。
しかも、とっちゃんさんとお会いした後、その傷を改めて見ると、なんと傷が対になっている(二つある)ことに気づいたのだ!
(左手の甲にある謎の傷/2025年12月26日撮影)
写真右の人差し指側の傷は、デジャブ体験時にできた謎の傷。
写真左の薬指側の傷は、まったく身に覚えがない。念のため二つの傷の感覚を計るとちょうど3.5cmだった。
(追記:後日(2025年12月27日)、とっちゃんさんに再び会う機会があったので、この傷跡を見せると「私と同じですね、片方の傷の方が大きい。しかも間隔が3.5cmというのも同じです。私も3~4cmでした。」と仰っていた。)
最後にとっちゃんさんに、質問した。
「(とっちゃんさんは)お仕事も理系(最先端技術系)でしっかりされていて、きっとこういった体験も生かされていて、うらやましい。私は今のところ生かしきれていない。なので、あえて、こんな話(なかなか信じてもらえないような不思議体験談)を外でする必要もないのでは?」と。
すると、とっちゃんさんは笑いながら、
「私が経験した様々な不思議体験を、どこにも言わないまま死ぬなんて、なんかそれってどうなだろう?って思っちゃうんですよ。それくらいインパクトの大きい体験だったので。」と言った。
この言葉、私も強く共感してしまった。なかなか信じてもらえないような不思議体験談を人に話す意味があるのか、いつも自問自答するのだが、結局はいつかきっと話す意味がある日が来るんじゃないかと、根拠もなく思ってしまうからだ。
今後も、とっちゃんさんとは交流を深めていきたいと思う。