神、精霊(妖精)、宇宙人、人類、幽霊の関係。宇宙と脳、アカシックレコードと量子情報、ブラックホール、フォログラフィー宇宙論(ホログラフィック宇宙論)などを考察する。

先日、宇宙人とお稲荷様との関係があるのではないかという記事を書いたが、その延長で、我々が”神”と呼んでいる存在や精霊、宇宙人や幽霊など、より視野を広げて考察したいと思う。
同じタイミングで出演させていただいたDave Fromm Channelさんの番組で、聞き手のアリさんに「”宇宙人”と”精霊”の関係」を検証していただいたのだが、驚くほど共通点が多く、益々興味がわいてしまった。

神、精霊(妖精)、宇宙人、幽霊の存在とは
アカシックレコード
 ・ブラックホール

フォログラフィー宇宙論とシュミレーション仮説
 ・フォログラフィー宇宙論
 ・シュミレーション仮説
高次元意識体の存在
まとめ

(イラスト・文/大嶋信之)


神、精霊(妖精)、宇宙人、幽霊の存在

神とは、世界や自然の根源に関わる“超越的存在”として扱われている。
宇宙や生命の創造者、人間の理解を超えた力・意志を持つ、宗教・哲学の中心的概念だ。

精霊(妖精)とは、自然界(森・水・風・火)や場所に宿る存在として扱われるもので、古くから人間とは身近の存在だ。神ほど絶対的ではなく、人間と交流する物語が多い。

日本の神の使いとされるお稲荷様なんかは、この精霊(妖精)に属するのではないかと考えることができる。

宇宙人は、近代になって言われる存在で、他の星から来た存在として語られる。
宇宙工学がなかった過去の時代では、宇宙人は精霊や妖怪などと言われていた可能性が大きい。時に、神様同様人間の理解を超えた存在として語り継がれていることもあるだろう。

幽霊は、死者の魂とされ、神や精霊よりも人間に近く、人間の心の延長に存在すると考えることができる。

以上を整理してみる。

存在世界観位置づけ人間との距離
宇宙・根源超越的最も遠い
精霊自然・地域身近な超自然やや近い
宇宙人物質世界異文明中間
幽霊人間の死後個人的存在最も近い

そして、その4つがこの一つの世界に存在しているとするならば、

神:宇宙の法則を司る
精霊:自然のバランスを保つ
宇宙人:物質文明の異文化
幽霊:人間の記憶と感情の残滓

ということが言えるのではないだろうか。

アカシックレコード

アカシックレコードとは、現在多くの物理学者たちが研究し、存在するのではないかと言われている「宇宙のあらゆる情報が記録された領域」のこと。宇宙の始まりから未来までのすべての出来事が二次元空間に記述されていると考えられている。

アカシックレコードのイラストメモ(大嶋信之)
アカシックレコードをイメージした私のイラスト

宇宙のすべての出来事、個人の記憶・感情・経験、生命の進化の記録、物質・意識・魂に関する情報が、サンスクリット語(古代インドの言語)で“アカシャ(虚空・エーテル)”と呼ばれる領域に蓄積されているというのが「アカシックレコード」なのだ。

「アカシックレコード」は、科学的には今はまだ存在が確認されているわけではないが、ユング心理学での「集合的無意識」や、宇宙の情報は消えないという量子情報論、神智学者ヘレナ・ブラヴァツキーやルドルフ・シュタイナーなどの「霊的な感覚によって宇宙の記録にアクセスすることができる」といった主張などから、”世界には膨大な情報が存在し、それが何らかの形でつながっている。”という直感は、時代を超えて人間が抱いてきたものなのは確かだ。

ブラックホール

最近の研究では、ブラックホールの中に入ったものは完全に無くなるわけではなく、その中の情報すべてがブラックホールの外側の表面つまり二次元に書き込まれているということが分かってきたのだ。

ブラックホールと言えば、寿命を迎えた恒星が爆発してできたとされ、重力が強すぎるあまり言わば空間に開いた穴なのだが、その中に吸い込まれたというか落ちたものがどこへ行ってしまうのか、ずっと謎のままだった。

おそらく、私の考察では、異次元(三次元より高次元の四次元など)に行ってまうと安易に予想しているが、その情報が表面に書き込まれているというのは、驚くべき発見というか仮説だ。

脳みそも同じではないか。生まれた赤ちゃんのときから脳みそは、様々な情報を取り入れ、大人になるにつれしわが増えていく。実は、そのしわに脳内の情報が書き込まれているのではないかと思うのだ。「脳は、勉強すればするだけしわが刻まれていく」と昔誰かから聞いた気がするが、そうなら納得がいく。
肌のしわも同じかもしれない。年を取ってしわが増えるというのは、人としての経験(情報)がどんどん蓄積されていくからではないだろうか。

話は脱線してしまったが、アカシックレコードもブラックホールと同様に、宇宙の外側の表面の二次元に書き込まれている可能性があるのではないだろうか。

アカシックレコードを”宇宙の情報場”と考えると、脳は情報を生み出すものではなく、受信するものだと考えることができる。
直感・ひらめき・インスピレーションなどはこの”受信”の一種ではなかろうか。

そして、精霊や神はアカシックレコードの情報を“意識”として具現化した存在なのではないだろうか。幽霊は個人の情報がアカシックレコードに残った断片と考えられる。
こう考えると、宇宙・霊界・神話が一つの体系にまとめることができる。

では、どうやって脳はそれらの情報を受信できるのか。
その方法の一つとして私が考えているのは、脳波だ。

脳波をイメージしたイラストメモ(大嶋信之)
脳波をイメージした私のイラスト

脳波とは、脳から発せられる電気信号で、その時の感情によって周波数の異なる信号になる。リラックスして落ち着いているときは周波数は下がり、怒りや興奮状態では周波数が上がる傾向がある。就寝時は最も周波数が下がる。周波数帯によって、デルタ波(δ)、シータ波(θ)、アルファ波(α)、ベータ波(β)、ガンマ波(γ)などと呼ばれている。当然だが、死ぬと脳波も0になる(発信されなくなる)。

脳波が周波数を伴った電気信号であるということは、この周波数に共鳴させることで、情報を伝達できる可能性があると私は思っている。ラジオやテレビを受信するのと同じ原理だ。

また、シューマン共鳴と言われる、地球特有の周波数は、リラックス時のアルファ波とほど同じ周波数ということを考えると、(リラックスしている)休日に仕事のアイデアが湧いてくる、何も考えていないときに突然ひらめきが降りてくる、夢の中で問題が解決するなどといったよくある不思議体験も説明できる。要するに、脳波の周波数が下がっているときに、宇宙の情報場であるアカシックレコードにアクセスできるのではないか。

また、ある量子科学者は、脳の働きには、量子現象が関わっている可能性を指摘している。脳は情報伝達時に、量子的な情報場とつながる可能性があるというのだ。そもそも脳は、時間や空間を超えた情報処理が可能であり、アカシックレコード的な概念と相性が良いのだ。もちろん、これはまだ仮説の段階だが、「脳は単なる生物学的コンピュータではない」という示唆になる。
脳の75%が水、宇宙の75%がダークマター(エーテル)という、興味深い類似点もある。

以上を考えると、神、精霊、幽霊などは、アカシックレコードの情報を、脳で受信し視覚化されたものなのかもしれない。私たちの考える宇宙人は三次元の存在なので、また別なのだが、もし精霊の種に入るとするならば同じ(高次元の存在)と言える。

ただこれらだけでは、アブダクション現象は説明できない。
そこで、加味したいのが「フォログラフィー宇宙論(フォログラフィック宇宙論)」と「シュミレーション仮説」だ。

フォログラフィー宇宙論とシュミレーション仮説

フォログラフィー宇宙論

フォログラフィー宇宙論(フォログラフィック宇宙論)とは、この世は三次元空間ではなく、低次元(二次元)から投影された世界、つまりフォログラフィーだという物理仮説で、日本の物理学者で東京大学およびカルフォルニア工科大学教授の大栗博司(おおぐり ひろし)教授などが研究している理論だ。

アカシックレコードのようなこの世のすべての情報が書き込まれた領域があり、そこから投影されている世界が、私たちの住むこの世界という考え方だ。

シュミレーション仮説

シュミレーション仮説とは、「私たちの世界(宇宙)は、より高次の存在が作った“シミュレーション”である。」という、現代の科学者・哲学者が真剣に議論している仮説だ。

そもそも宇宙が、計算可能な情報構造になっているという点でも、納得がいく理論だ。DNA配列も同様、アインシュタインの相対性理論も同じだ。どれも数学的かつデジタルデータで、特に興味深いのは相対性理論での時間の概念(重力が強い場合と、速度が速い場合に時間が遅れる)で、これは負荷を減らすコンピューターやゲームと同じ現象とも思える。
また、最先端物理学である量子物理学では、粒子は観測するまでは波の状態、観測時に粒の状態に決定されるというのも、まさに負荷を減らすコンピューターのような振る舞いだ。これを発見した有名な実験は「二重スリット実験」、そしてそれら粒子の振る舞いを実際に活用しているのは、医療分野でのMRI検査(核磁気共鳴画像法)や、次世代コンピューターとして開発が進む「量子コンピューター」などだ。特に、”量子もつれ”という現象は、片方の素粒子を観測した瞬間に、もつれ状態にあるもう片方の素粒子の状態が決定するといった、摩訶不思議な現象だ。そこに距離と時間の制約は受けない。それぞれがいくら離れた場所にあっても瞬間的に決定する。これは、ゲーム(この世界)の操作に大きく関わった現象に思える。

量子もつれ(Quantum entanglement)のイメージイラスト(大嶋信之)
”量子もつれ”のイメージイラスト

高次元意識体の存在

この世界は、誰かが作ったゲームなのかもしれない。
もし仮に、そうだとすると、次の謎が湧いてくる。
それは「この世は、誰が作ったのか?」という謎だ。ただそれは、残念ながら今のところ私たちには理解が難しいだろう。次元の違う場所の住人の可能性が高いからだ。(その存在がわかったところで、「ではその世界は誰が作った?」と”鶏が先か?卵が先か?”的な永遠ループに陥ってしまうが。)
それは、コンピューターゲームの登場人物が、そのゲーム開発者や操作しているプレイヤーの存在を知ることができないのに似ているだろう。いくらがんばっても、彼らはモニターの中から出ることはできないし、モニターの外の世界を知ることも理解することも難しいだろう。

しかし、私たちはこの世界の管理者、いわば高次元意識体にアクセスできる可能性はゼロではない。
今後、人類の数学的進歩が進み、宇宙構造をより理解したとき、そのアクセス方法を解明できるかもしれない。
他の星の住人で文明が進んだ異星人たちで、すでにそこへアクセスできている可能性だってある。その異星人と人類がもし接触しているとすれば、我々人類もアクセス方法を教えてもらっているかもしれない。

また、その逆も考えられる。
管理者である高次元意識体の介入である。
それは、古代から伝承される神話や神の存在などかもしれない。
現代のアブダクション現象もそうかもしれないし、
日常で起こる、奇跡とか、シンクロニシティなどの現象もそうかもしれない。
ただ、どれも立証は難しい。

高次元意識体が介入する目的は、シュミレーション(この世界)がより良い方向へいくためと考えたほうが自然だし、そのために私たち人類の進化(文明の上昇)を早めたり、宗教心を変化させたりすることだろう。

なので、アブダクション現象(神、精霊、一部の宇宙人などの霊的存在との接触)は、そういった介入のひとつと考えることができる。

まとめ

以上、今回は神・精霊・宇宙人・幽霊などから、この世界の構造的仮説について考察してみたが、ますます謎が深まるばかりだ。
以前、アメリカのアート・ベル氏(故人)のトークラジオ番組で、エリア51の元職員を名乗る男性からの電話があり、「宇宙人は、私たちの考える宇宙人ではなく、本当は”霊的(異次元の)存在”なんだ。宇宙開発先駆者たちが初めて接触し、アメリカ政府はすでに深く彼らと関与している。」と緊迫した様子で話しているのを動画で聴いて、妙に信憑性を感じてしまった。しかも途中で番組が途切れてしまったのだ。(→アートベル氏の番組を取り上げた動画
この出来事(電話)は、今から20年近く前の1997年のことなので、現在はどうなっているのだろうと考えると、想像が及ばない。
今後もリサーチを続けたい。


追記

2026年2月27日:

以下、2025年6月19日配信のNewsNation(ニュースネイション)の番組で、ジャーナリストのRoss Coulthart(ロス・コーサート)氏が、不思議な体験をしたChris Bledsoe(クリス・ブレッドソー)氏へのインタビューが非常に興味深い。

Chris Bledsoe on presidents’ interest in UAPs, NASA missions and summoning orbs | Reality Check

クリス氏は、2007年1月、米国ノースカロライナ州ケープフィアの川沿いで釣りをしていた時、光る球体とともにUFOが現れ、4時間の記憶喪失を経験。当時、失ったビジネスの身体的ショックから発症していたクローン病が奇跡的に治癒し、その後、天使のような存在と継続的な交流を体験。「UFO of GOD」という本を2023年に執筆した。その体験は、NASAやCIAなどの政府機関からも注目されることになる。

特に興味深いのは、
その存在は、女神ハトホルや聖母マリアのような人物と結びつく”神聖な女性的存在”だとクリス氏が言っていることと、その存在から彼は、”目覚め”と”環境の緊急性”などのメッセージを受けたという点だ。
これは、私の体験にも共通する。
私の見た宇宙人の目は、母親のような愛情と抱擁感をしたテレパシーを伴う瞳だったし、私はその宇宙人から受けたメッセージというのも、”緑(植物)を大切にすること”というメッセージだと確信してるからだ。

そして、ロス・コーサート氏曰く、こういった体験をする人が他にも多くいて、みな同じようなことを口にしているというのだ。
今後もリサーチを続けたい。



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私の双子の弟Mが見たという、不思議な心霊写真。(土地の霊・亡霊・幽霊・怪談)

私の双子の弟Mが20歳ごろに見たという、不思議な写真の話を紹介したい。
私が中学生の頃の幽霊目撃談幽霊はモヤのようなもの)の話をしていた時に、自分も似た体験あると教えてくれたのである。

土地の霊が映り込んだ写真
幽霊はモヤのようなもの
 ・義理兄Sが見た幽霊

(イラスト・文/大嶋 信之)


土地の霊が映り込んだ写真(2026年1月18日著)

私の双子の弟Mが、若いころ建築現場でバイトをしていたときの話。
ある日のこと、現場監督から次回の現場の写真を渡された。

建築予定の現場写真に映った土地(地面)から沸き出た複数のモヤ(心霊写真)のイラスト

それは、建物を建築予定の、更地なった広い土地を写した、一枚の写真だった。

建築予定の現場の複数の写真に映った土地(地面)から沸き出た複数のモヤ(心霊写真)のイラスト

弟Mは、その土地の地面から何かモヤのような白いものが湧き出ていることに気づいた。
現場監督に、そのことを報告すると、その写真以外の数枚の写真も見てみることになった。
すると、すべての写真に同様なモヤが映っていた。

建築予定の現場の写真に映った土地(地面)から沸き出た複数のモヤの上部がすべて顔(心霊写真)のイラスト

よく見ると、そのモヤの上部が、人の顔のようになっていることに気づいた。
なんと、すべての写真がそうだった。現場監督は慌てふためいたという。
すべての写真に映っている、土地(地面)から沸き出た複数のモヤの上部が、すべて人の顔の形だったのだ!
監督含め、その場にいたスタッフは、
「これは大変だ!地鎮祭(じちんさい/とこしずめのみまつり)をしっかり執り行わなければいけないな。」となったそうだ。

とまあ、不思議な話だが、真相はいかに?!

(その他、関連記事→私の双子の弟MのUFO誘拐アブダクション体験談

幽霊はモヤのようなもの

私が以前、ラジオ番組「おはよう寺ちゃん presents 異次元電波クラブ 4~あなたを異世界に誘うラジオ~」(文化放送)を聴いていたところ、霊感のあるスピリチュアル芸人 小出真保(こいでまほ)氏が出演されていて、「幽霊はモヤのようなもの」と発言しているのを聞いて心から納得してしまった。私がはっきり見た幽霊も、雲のようなモヤのようなものだったからだ。(→私が見た幽霊
今回、私のその体験談と、弟Mがこの現場写真の話をしていると、親戚Sも以前同じようなものを見たと話してくれた。

親戚Sが見た幽霊

地面から沸き出るモヤのような霊体(幽霊・心霊)のイラスト

親戚Sが20代前半の頃(1999年ごろ)、友人宅の庭でバーベキューをしていたある日のこと。
日は沈み辺りは暗くなっていた。
一人で用を足しに、皆から離れ、敷地内の駐車場の奥の草むらに移動。
用を足していたところ、少し離れた奥の地面からモヤのような白いものが湧き出ているのを見たという。きっと幽霊だろうと直感したという。
「あれは、湯気でも煙でもなかった。」と、Sは不思議そうに語った。
(その他、関連記事→親戚Sが見た不思議な武士の亡霊



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私の親戚Sが伊豆熱川で目撃した、不思議な武士の亡霊。(幽霊・心霊体験・怪談)

義理兄が目撃した不思議な武士の亡霊。(幽霊・心霊体験・怪談)

私の親戚Sが若いころに目撃体験した、心霊現象を紹介したい。

(イラスト・文/大嶋 信之)


武士の亡霊(2026年1月18日著)

私の一歳上の親戚Sが若かい頃、彼女と伊豆の熱川へ旅行に行った時の話。25年以上前の出来事。

伊豆熱川のオーシャンビューのホテルに宿泊し、その夜は満月だった。
深夜2時ごろ、二人で窓から夜の海の景色を楽しんでいた。

伊豆熱川の海岸と満月のイラスト

波打つ海の水面に、満月の月明かりがキラキラと綺麗に反射し、とても絶景だった。

伊豆熱川の海岸に不思議な影のイラスト

しばらく、そんな景色を楽しんでいると、岸からその反射する光が黒く消えていくのが見えた。
二人で「なんだ?」と思って、よく見てみた。

伊豆熱川の海岸に数々の人影の亡霊のイラスト(心霊・幽霊)

Sの視力は、両目とも1.5以上。その視力を持ってよく見ると、なんと、人影のような存在が、多数岸から海へ入っていくのが見えた。
その数えきれないほどの大勢の人影たちが、水面に反射する光をうち消していたことに気づいた。すぐ横にいた彼女にそれを伝えると、彼女も目を凝らし、その人影たちを目撃。

伊豆熱川の海岸に数々の武士の亡霊のイラスト(心霊・幽霊)

更によく見ると、その大勢の人影の先頭は、馬に乗った武士のように見えた。
その馬に乗った武士の後ろに、数えきれないほどの武士のような人々が続くような構図だったのだ。

二人は「この世のものではないものを見てしまった。」と、恐怖のあまりすぐさま窓のカーテンを閉め、「今のは何だったんだろう?見なかったことにしよう。」と心を落ち着かせ、就寝することにした。

伊豆熱川の海岸に数々の人影の亡霊を窓から見るイラスト(心霊・幽霊)

彼女が先に寝て、しばらく経って、どうしても気になった親戚Sは、恐る恐るカーテンを開けてみた。
すると、1時間くらい経過していたにも関わらず、まだその人影たちが、先ほどと同じように、大勢で海に入っていくのが見えた。

翌朝、気になった義理兄が、ホテルの係員にそのことを報告し、聞いてみた。
すると、驚くべき答えが返ってきた。
あ、昨日は、むかし熱川が戦場になった日なんです。」と。
二人は驚きつつも、納得してしまった。
俺たちはきっと、その武士たちの亡霊を見てしまったんだなと。
Sは、後にも先にも「あれは不思議だったな。」と話す。

とまあ、不思議な話なのですが、話を聞いて、後日私はネットで熱川での合戦の歴史など調べてみるも、何もヒットしないのである。地元の人が言うので、たしかに何かがあったのだろうと思う。果たして、真相はいかに?!
今後もリサーチを続けたい。

Sは、他にも二度ほど心霊体験を経験したことがあるという。
初めて幽霊を見たのは、20代前半に友人宅でバーベキューをしていたところ、夜に草むらから立ち昇る白いモヤのようなものを目撃。誰もいない場所で、湯気や煙でもなかったという。(→義理兄Sが見た幽霊
次に体験したのは、同じく20代前半、地元の友人数人で肝試しをしに心霊スポットを訪れた帰り道、友人と別れ帰路につこうと夜遅くに一人で車を運転中、交通事故に遭ってしまった。その内容というのが非常に興味深いのだ。
Sの運転する車が一時停止のT字路に差し掛かり、左折するために一旦停止し、右から車が来ていないことを道路ミラーで確認すると、ミラーには車の姿はなかった。目視しつつ左折したとたん、ドカーンとトラックに後部から追突されたという。
怪我もなく無事だったが、運転席のドアが変形し開かなくなってしまい、足で思い切り蹴ってドアを開けると、すぐさまトラックの運転手が駆け寄り、心配して「大丈夫か?」と声をかけてきた。トラックの左前方と、Sの車の後部が接触したかたちで、幸いお互い怪我もない事故だった。結果、Sの不注意(確認不足)による事故となったのだが、Sは、「絶対にミラーには車(トラック)が映ってなかった。目視もしたはず。」と話す。事故の直前に肝試しに行った心霊スポットで、霊がついてきていたずらというか警告したのではないかと私もSも共感した。双方のドライバーに怪我がなかったことが幸いだったとしか言いようがない、不思議な事故体験だ。
話を聞いて、私は、このような交通事故は、実は日常的にけっこう起きているのではなかと思った。その理由については、また別の機会でお話ししたい。
車の運転には気をつけたいものだ。



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1994年の夏、友人Gが三宅島で目撃した幽霊の話。(心霊スポット・怪談)

1994年の夏、友人Gが三宅島で目撃した幽霊の話。(心霊スポット・怪談)

先日、今までで一度だけ見たUFOの話をしてくれた古くからの友人Gが、今までで一度だけ幽霊をはっきり見たことがある話もしてくれたので、紹介したい。

(イラスト・文/大嶋信之)


1994年の夏、高校2年生だった友人Gは、学校の友人3人でサーフィンをしに三宅島へ旅行にでかけた。
三宅島に到着し、島の知り合いと合流し4人で、「夜になったら肝試しでもしよう。」ということになった。その島の人に聞くと、「廃墟になった学校があるから、そこに行こうか。」となった。聞くと、その学校は、火山で噴火した溶岩によって校舎が潰れ、廃校になったといい、地元でも幽霊がよく出ると言われているらしいのだ。

友人らは、昼間は島でサーフィンを楽しみ、夜になり、その島の人が車を運転してくれて、その学校へ向かった。
学校脇の道路に車を停め、4人は車から降り、学校へ近づいた。

時間は夜10時くらい。
真っ暗でうっすらと校舎が見えた。

4人は、暗がりの中から学校の校舎を眺めた。
すると、4人のうち1人が「教室に誰かいる!」と叫んだ。
「えええ!?」となり、みんなでその友人が言う教室を見た。
すると、校舎の数ある教室のひとつに、人影というか、母親と娘の親子のようなシルエットがあった。

友人Gが三宅島で見た女性の親子の幽霊(1994年ごろ)

よく見ると、その親子は白い服を着た、黒髪の長い女性で、娘と手を繋いでいるように見えた。上半身のみ(下半身は半透明)で、顔はのっぺらぼう、親子の全身のシルエットがうっすら青白く光っていて、暗闇の中で浮き上がっていたという。

三宅島で目撃した女性の親子の幽霊

4人全員で目撃。
そのはっきりした幽霊の姿に、みな恐怖が一気にピークに達っしてしまった。
学校脇に停めた車などおかまいなし、全力で走ってその場から離れた。

学校から離れた場所で、心を落ち着かせ、車を取りに戻る。
そのとき、恐る恐る再び校舎を見たが、先ほどの親子の姿はなかった。


とまあ、不思議な話だが、黒髪の長い白い服を着た女性というのは、幽霊の中でもよく言われる容姿だと感じた。私の従兄でお寺の住職も、若いころ同様の幽霊を見たと言っている。しかもその幽霊も親子(赤ちゃんを抱っこする女性)。(→従兄が見た幽霊

また調べると、三宅島は1983年の噴火によって、観光地のひとつ阿古地区が一夜にして溶岩に飲み込まれ、その時に地区内にあった学校にも溶岩が流れ込んだ。この心霊体験は、その学校での出来事だったと思う。
しかし、その地区の住人は全員避難していたため、人的被害は全く無かったという。なので、少しほっとした。


関連記事:1995年ごろ、友人が東京・巣鴨上空で目撃したUFOが、天空の城「ラピュタ」ならぬ、古代インドのUFO「VIMANA(ヴィマーナ)」そっくり!?



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山口敏太郎祭りを訪れました。(at A・F・R Yokohama)

2025年12月27日(土)、オカルトイベント「山口敏太郎祭り」を訪れました。
会場は横浜・桜木町にあるA・F・R Yokohama(AFR横浜)で開催され、テレビやYouTubeでお馴染みの山口敏太郎さんほか、山口敏太郎タートルカンパニー所属の怪談師の方やタレントさんたち中心に、実話怪談などの持ちネタを披露またフリートークで、会場は終始賑わいを見せました。

オープニングの開催宣言-山口敏太郎祭り2025

オープニングの開催宣言。
写真左から、山口敏太郎さん、中沢健さん(UMA研究家)、幽玄姉妹さんお二人。
今回のステージは、学校の文化祭をイメージされたそう。

怪談師のレムリアmanaさん-山口敏太郎祭り2025

怪談師のレムリアmanaさん。(@lemuria.mana.room
得意の東南アジアの実話怪談をされた。ゾッとする内容でした。
後列は写真左より、桂子さん(@yoyohatamura)、近藤啓二さん(@ZePUNK)、線六本さん(@xianliuben)、福島のゴンベッサさん(写真が切れてしまい申し訳ないです。)も実話怪談を披露されました。どの怪談も非常に興味深い内容でした。

オカルトライターのおかゆうさん-山口敏太郎祭り2025

主に月刊ムーなどの記事を書いている、オカルトライターのおかゆうさん。(@o_ka_yu_u
今回は、1972年(昭和47年)9月に高知県高知市東部の介良地区で起きた謎のUFO事件「介良事件(けらじけん)」について、最新の独自の取材内容とともに自身の考察をお話ししてくれた。

介良事件(けらじけん)のUFOのイラスト-山口敏太郎祭り2025

介良事件で捕獲されたUFOのイラスト。
当時作られていた灰皿(実物も見せてくれた。)に似ているのだが、実は様々な証言から今でも謎は深まるばかりなのだ。

山口敏太郎さんと占い師のあーりんさん-山口敏太郎祭り2025

山口敏太郎さん(写真左/@bintarou.yamaguchi)と占い師のあーりんさん(写真右/@arinn110)のクロストーク。
あーりんさんの占いについての考え方や今後の抱負についてお話ししてくれた。

UMA研究家の中澤健(なかざわ たけし)さんとホラー映画監督で怪談家の住倉カオスさん-山口敏太郎祭り2025

UMA研究家の中沢健さん(写真左/@takeshigodzilla)と、ホラー映画監督で怪談家の住倉カオス(写真右/@sumikurakaoss)さん。
UMA(未確認生物)への情熱や、お二人でのテレビ出演のときの楽しいエピソードをお話ししてくれた。なお、中沢健さんの作った「ミニ図鑑:未確認生物 UMA図鑑」は現在マクドナルドの景品になっている!

株式会社カチモード代表の児玉和俊さん-山口敏太郎祭り2025

株式会社カチモード代表の児玉和俊さん。(@kachimode_kodama
事故物件のお化け調査専門会社ならではの、実際に体験した怖い話というか不思議な話をお話ししてくれた。
とてもリアルで聞き入ってしまった。

ファンキー中村さん-山口敏太郎祭り2025

ファンキー中村さん。(@ghost_contents_official
以前、怪談イベントのためにある地を訪れたときに体験した、怖く奇妙な体験談をお話ししてくれた。また山口敏太郎さんとの思い出話でも盛り上がった。
写真右は、現役高校体育教師で怪談師のうえまつそう(植松創/@uematsusou)さん。なんと、渋谷のモヤイ象の所有者とのこと!(調べたると、うえまつさんのご祖父さまが渋谷のモヤイ象を作ったとのこと。)これまた、興味深い怪談を披露されました。

出演されたタレントさん全員の記念撮影-山口敏太郎祭り2025

出演されたタレントさん全員の記念撮影。
写真には撮れていませんが、そのほか、奇談ライター穂積昭雪さん(@hodumiakiyuki)による怪奇事件談と脳トレクイズ、福島でUFOを目撃したというシンガーソングライター水木ノアさん(@mizukinoah)の歌唱、スピリチュアル鑑定士ちかみつさん(@chikamitsulab)のZOOM出演など、盛りだくさんの約5時間でした。
私は、ちかみつさんにZOOMで「宇宙人が今後大衆の前に現れる可能性は?」的な質問をしてみました。すると、ちかみつさんから「すでに接触しているし、なんなら人間の姿になってもう混じっている。だから、すでに現れている。」と興味深い返答をいただきました。

山口敏太郎さんと私(大嶋信之)-山口敏太郎祭り2025
(山口敏太郎さんと私)

イベント終了後に、山口敏太郎さんと記念撮影させていただきました。
つい先日、ATLASラジオに電話出演させていただいたのですが、初めてお会いすることができました!ありがとうございました。

山口敏太郎さんと私(大嶋信之)-山口敏太郎祭り2025
(中沢健さんと私)

UMA研究家の中沢健さんと記念撮影♪ありがとうございました。

児玉和俊さん(カチモード代表 )と私(大嶋信之)-山口敏太郎祭り2025
(カチモード児玉さんと私)

(株)カチモード代表 児玉和俊さんと記念撮影♪ありがとうございました。

A・F・R Yokohama
神奈川県横浜市中区花咲町1丁目38 ビル M2


追記:

後日(2025年1月15日)、山口敏太郎祭りに参加されていた、香川県の”オカルト好きなおじさん”による山口敏太郎祭りの感想メールの中で、私のことも少し紹介いただきました。ありがとうございます。

ATLAS:山口敏太郎祭りの率直な感想/ウォシュレット奇談

動画8:08~9:00、オカルトライターのおかゆうさん登壇時のエピソード内にて。

”オカルト好きなおじさん”さん、私のこと書いてくださりありがとうございます。
香川県からお越しになっていたのですね。またお会いすることがあれば、ぜひUFO話しましょう!



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ある男性T(とっちゃん)さんの不思議体験談(心霊現象/UFO宇宙人アブダクション/シャドーマン)

ある男性T(とっちゃん)さんの不思議体験談

今月(2025年12月)の12日、私の宇宙人遭遇体験談で、オカルト界巨匠の山口敏太郎さんのYouTube番組「ATLASラジオ」に私が電話出演したのを聴いてくださり、ある男性Tさん(以下「とっちゃんさん」とする)から連絡をいただいた。

とっちゃんさんは、過去に二度ほど同じATLASラジオに電話出演しており、私の動画を観て共感いただき、連絡をくれたのであった。
連絡を取り合うと、偶然にも私の住まいの最寄り駅近くに1年前に越してきたと言うので、先日(2025年12月20日)、近くの喫茶店で会って話すことになった。

とっちゃんさんの不思議体験談のメモ書き
とっちゃんさんの話を聞いて取ったメモの一部

とっちゃんさんは、年齢は私より6歳上の1971年生まれの54歳、静岡県出身、理系の大学を出て、理系(科学技術系)のお仕事に就いてらっしゃって、とても真面目な印象の方だった。兄弟は、下に妹が二人いる。

胎内記憶(0~1歳)
寝ている間だけの別世界(0~4歳くらい)
UFOとの出会い(12歳、中学1年生、1983年ごろ)
宇宙人との交信と人体実験(13~15歳、中学1~3年生、1984~1986年)
 ・宇宙人による人体実験
 ・宇宙人との交信
宇宙人との別れ(15歳、中学3年生のおわり頃、1986年)
宇宙人からのメッセージとその後
シャドーマンと遭遇(18歳、高校3年生)
その他の話
 ・1歳の時の指輪飲み込み事件
 ・9歳(小学3年生)頃の不思議な声
 ・小学生の時の不思議な音
 ・大学教授から聞いた不思議な話
 ・地震予知
とっちゃんさんの出演動画
まとめ
番外

(イラスト・文/大嶋 信之)


胎内記憶(0~1歳)

「胎内記憶(0~1歳)」とっちゃんさんの話のメモ書き

とっちゃんさんの不思議体験の中で、特徴的な体験のひとつが胎内記憶だ。
動画でもお話しされているが、胎内記憶というよりは、生まれる前の世界の鮮明な記憶があると言う。

その記憶があるのに気がついたのは、なんと0~1歳の時というから驚いてしまう。
普通、その時期の記憶がある人は少ないと思う。
とっちゃんさんは、自分が生まれた病院に、出生後何度か連れていかれるうち、病院の壁にその病院の航空写真が飾ってあるのを見つけた。

その瞬間だった!
この空から見た病院の光景、見たことあるぞ。」と不思議な感覚に陥った。
なぜ見たことあるのか、記憶をたどると、芋づる式に、その光景を見るに至った記憶が蘇ってきたという。これが実に興味深い。

自分がなぜ、この写真の光景を見たことがあるのか頭を巡らすと、病院を上から見下ろすに至った記憶が蘇ってきた。
そうだ、自分は、雲の上にいたんだ。

胎内記憶の雲の上の世界

とっちゃんさんは、生まれる前に、雲の上の世界にいたという。
その雲は「パーソナルスペース」と呼ばれる一人一つの小さめの雲だった。キント雲のようなものだろうか。
隣にも同様の雲があり、その上に一人の人間(自分のような存在)がいた。
その世界は、明るくて、楽しいことのみの場所だった。

その場所を仕切っているのが、二人の老人だった。
二人とも白い衣服を着ていて、白い髭を生やし、杖を持っていて、旧約聖書の預言者モーゼのような風貌であった。

ある時、その二人の老人の元へ呼ばれた。
お前は、もう行く時期だ。
そう告げられると、前世の親戚たちのような方々がいる場所に挨拶しに行き、「とうとう、呼ばれてしまいました。」とその親戚たちに告げた。この世界では、肉体という概念がないため、「会いたい」と思った瞬間に、その人に会いに行けるらしい。これも興味深く、複数の臨死体験をされた彗星ハンターの木内鶴彦氏(故人)も、ある動画で同様のことを言っていた。臨死体験中は、「会いたい」と思った瞬間にその人の元へ移動できたという。

次に、老人の元へ再び戻ると、呼ばれた者たちで長い列ができていた。
みな、残念そうな暗い顔をしていたという。

モーゼのような風貌の老人二人の様子-胎内記憶の雲の上の世界

とうとう、自分の番がきた。
二人の老人は、それぞれ分厚い本を持っていて、バン!っと同時にページを開いた。
開いたページには、人の情報が書き込まれていて、
お前は、この人と、この人の間に生まれる子供だ!
と命令されたという。

すると、黒い門の前に移動し、門の扉が少しづつ開いた。
その門が完全に開くと、自分はその門を出て、雲から降りるように降下していった。

雲の上の世界から地球に落ちていく様子-胎内記憶

1週間くらい長い時間をかけて降りていくと、小さな地球が見えてきた。
地球がだんだん大きくなり、陸地も見えてきた。
そうして自分の生まれた病院が見えてくる。
ここだ!(航空写真は)この記憶だ!
そして、病院の中に降りて、間もなくして母親から生まれたという。

病院の壁になにげなく飾られた、病院の航空写真。
その写真を見た0~1歳のとちゃんさんが、このような体験の記憶を蘇らせるなんて、なんとも不思議で仕方がない。
ただ、先日友人Mの不思議体験談を聞いていて、共通点だなと思ったのが、不思議体験をされる方は、幼少期の記憶力がすごい点だ。Mもそうだったし、私も多少だが1歳ごろの不思議な記憶がある。

私は、動画であらかじめこの話を聞いていたので、以前購入した絵本「胎内記憶図鑑」(のぶみ著)の内容に似ていると感じ、とっちゃんさんに見てもらった。
この絵本は、1999年より胎内記憶について研究をしている池川明先生(池川クリニック医院長)監修で、実に6000人にのぼる胎内記憶をもった子供たちからヒアリングした内容をまとめた絵本になっている。

絵本「胎内記憶図鑑」のぶみ著
絵本「胎内記憶図鑑」のぶみ著

雲の上での生活、髭を生やした老人など、絵本の内容と似た点はいくつもあったが、とっちゃんさんが過ごした世界とは少し違ったようだった。しかし、私にとっては、雲の上での生活や、髭を生やした長老などが、興味深い共通点だと感じた。

寝ている間だけの別世界(0~4歳くらい)

「寝ている間だけの別世界(0~4歳くらい)」とっちゃんさんの話のメモ書き

鮮明な胎内記憶の話だけでも、非常に興味深い話だが、とっちゃんさんの不思議体験は終わらない。
これも動画でお話しされているが、とっちゃんさんは、0~4歳くらいまで寝ている間だけ別世界で過ごしていたという。夢というよりは、別世界。のちに「パラレルワールド(平行世界)」という言葉を知って、その言葉が一番しっくりくると思ったという。その内容もとても興味深いのだ。

とっちゃんさんは、寝ている間(あえて夢と言わないようにする。)だけ、ある工場で働いていた。別世界では自分は0~4歳の子供ではなかった。仕事が終わると、いつも帰る風呂なしアパートもあった。その世界の女性の容姿は、その時代に流行っていた容姿と同じ(服装も髪型も同じ、山本リンダのような容姿)だったので、時代は同じ感じだったという。

その工場では、人の肉(人肉)を解体し、ある特殊な方法でパッキングするといった、センセーショナルな工場だった。ただ、それが食べるためなのか、何なのか不明だったとのこと。その世界では売られていなかったし、食べたこともなかったという。
人肉の材料は、なぜかすべて女性で、工場内の大きな冷蔵庫には、たくさんの女性の体(裸体)がカチコチに凍っていた。なので、とっちゃんさんは、工場に行くたび、心配でその冷蔵庫に母親や祖母がいないか、確認していたという。

体をカットし、部位ごとに、パッキングされていく。
パッキング方法も特殊で、水の中でコンニャクのようなものでパッキングされていたという。パッキング前に、カットされた部位を、油のような細かい気泡がある液体にさらすのだという。何のためかは不明だった。
とっちゃんさんは、働きながらその工程を学んだ。流れ作業でシステム化された工場だった。初めて見る光景だった。

そんな夢というか寝ている間だけの体験する別世界を4歳ごろまで経験した。
その後、小学校5年生くらいになり、社会の授業でコンベアシステムによる流れ作業を学んだ時に、びっくりしてしまった。自分が見た光景そのものだった。「自分は授業で学ぶはるか前から、このシステムを知っている。というより、そういった工場で働いていた。」そう思ったという。

その驚きはそれで終わらなかった。その後の小学校の社会科見学で、自動車組み立て工場を訪れた時のこと。
流れ作業で組み立てられていく自動車を目の前にし、自分が別世界で働いていた工場そっくりだったことに、再びびっくりしてしまった。
内容は「人肉」と「自動車」と大きく異なるが、流れ作業で製品が出来上がっていくその様は、自分がかつて働いていた別世界の工場そのものだった!

とまあ、不思議な話なのだ。
0~4歳という幼少期に、それだけの鮮明な記憶があることに驚いてしまう。
とっちゃんさんは、後から雑誌月刊ムーで、「人食いパラレルワールド」の記事を見て、再度びっくりしたという。

UFOとの出会い(12歳、中学1年生、1983年ごろ)

「UFOとの出会い(12歳、中学1年生ころ)」とっちゃんさんの話のメモ書き

とっちゃんさんが中学生になる1983年ごろ、小学生時代にそういった不思議体験を多く体験し、自分でも説明できないし、親や友人、妹たちにも当然信じてもらえず、苦悩していた。
そんな時、テレビでUFO特番を見て、「そうか!UFOなら、科学的に説明ができるかもしれないし、心霊体験より面白そうだ。」と直感したという。

早速、本屋に行って、UFOの本を探すもなかなか見つからず(同じような書籍が2冊だけあったので購入。)、図書館へ行くも見つけることができず、古本屋に行ってようやく何冊か購入することができた。
本を読み進めると、UFOは赤オレンジ色に発光していることが多いという記述を見て、「赤オレンジ色?」と疑問がわいた。
赤オレンジとは聞き慣れない言葉だったし、一体どんな色なのか、赤とオレンジのあいだの色だなんて、なかなか想像できなかったという。

その後、UFOなどオカルト情報を発信する雑誌「月刊ムー」の発売日を知り、発売日に本屋へ行ってムーを購入した帰り道に、なんとUFOに遭遇した!

UFOに遭遇したイラスト

場所は、静岡県浜松市、時間は20時半ごろだった。
周囲は畑の田舎道、暗くなり自転車を漕いで自宅へ帰る途中に、目の前の上空にまさに赤オレンジ色をした球体が現れた。
大きさは、星よりも明らかに大きく、といっても月の大きさの5~6分の1程度の大きさだった。

光は動いておらず、一定の高さに留まっていて、自転車を降りてしばらく観察することにした。10分間くらい目の前上空にその球体は留まっていた。
曇りだして、他の星は見えなくなり、小雨が降り始めた。それでもその球体ははっきり見えた。よく見ると、赤オレンジ色している球体は、赤オレンジではなく、赤とオレンジのマーブル模様が高速で回転していた。

赤とオレンジのマーブル模様の光が高速で回転しているUFOのイラスト

その時だった。自分の背後から軽トラックが来るのが分かった。
道の端に避けようと、自転車のハンドルを持って道の端に移動するために、一瞬地面を見た。軽自動車が通過し、再び空を見上げるも、その球体はすでに消えてしまっていたとのこと。

この初めてのUFOとの出会いが、今後の3年間にわたり、とっちゃんさんは何者かとコンタクトできるようになった、ことの始まりだった。

余談:
私は、この話を聞きながら、ちょっと気になった点があったので、それをとっちゃんさんに伝えた。
それは、UFOは赤っぽくオレンジ色っぽい発光をすることは多いと以前から聞いているが、それはおそらくプラズマもしくは核融合が関係していると思われる。
1975年に発生した甲府UFO事件で、UFO宇宙人に遭遇した山畠克博氏もUFOが眩いばかりのオレンジ色の光に包まれた後消えたと言っている。核融合の代表例は太陽だが、太陽も同様の色をしている。甲府事件でもUFO着陸現場に原子炉由来の人工的な放射線物質が発見されている。
それはそれでさて置き、私が驚いたのは、とっちゃんさんがこの「赤オレンジ」に着目し興味がわいた点だ。
私は、宇宙人に遭遇したことはあるが、赤オレンジ色のUFOは見たことがない。
しかしだ、幼少期から、なぜかこの「赤オレンジ」という色が気になってしょうがなかったからだ。絵も好きでよく描くが、この赤オレンジ色の表現が難しく、いつも納得いかなかった。まさに、私もこの「赤オレンジ色」に固執しているのだ。
幼少期は、太陽がその色に一番近い(特に日没間近の太陽の色)と思い、それを見ると何かを感じる気持ちなり、その赤オレンジ色になった夕日をずっと眺めたり、その夕日や空の絵を描いて再現しようとしたりしたが、納得がいく色がなかなか表現できないでいた。大人になってタバコを吸うようになったときは、タバコの火の色がその理想色に一番近いなと思ったくらい、なぜか、この「赤オレンジ色」を追ってしまうのだ。
これは、不思議だと思った点だった。

夕日の空の写真

追記:先日(2026年1月)、千葉県某所で撮った夕日の空の写真。
私は、このような赤オレンジ色に固執するところがあり、昔からこのような夕空の絵画をいくつも描いてきた。(→私が描いたサンセットの絵画

宇宙人との交信と人体実験(13~15歳、中学1~3年生、1984~1986年)

「宇宙人との交信と人体実験(13~15歳、中学1~3年生)」とっちゃんさんの話のメモ書き

とっちゃんさんは13歳のUFO遭遇体験以降、3年間(1983~1986年)にわたり不思議な体験を経験することになる。

宇宙人による人体実験

まずは、宇宙人との交信に伴う人体実験。
それらは、主に寝ているときに起きた。

まず最初に起こるようになったことは、寝ているときに、頭を銃のようなもので打ち抜かれる感覚で目が覚めることが、頻繁に起き始めた。
おでこ(額)の中央から何かが打ち込まれ、後頭部に抜けていく感覚で、「死ぬ!!」と思ってしまうほどのインパクトがあったという。

次に、寝ているときにふと目が覚めると、手足が縛られいる感覚で身動きが取れない状態(首から上は動く)で、頭になにか電波のようなものを当てらることがしばしば起こるようになった。その電波は、3種類(3本)あって、同時に当てられたという。
その時は、息は乱れ「はあ、はあ」といった苦しい感覚だった。

身に覚えのない傷

そういったことが起こるたび、翌朝には、見知らぬ傷が、体のあちこちにできるようになった。その傷は、10年以上残った。今は、30年経っているので、かなり薄れてしまっているというが、見せていただいた。

知らない間にできた体の傷-UFOアブダクション(人体実験)か。

左腕にできた当時の傷跡。
不思議と、傷はいつも二つ同時できたという。
写真の傷のもう片方は数年前に消えてしまった。

知らない間にできた体の傷の当時の再現イメージ-UFOアブダクション(人体実験)か。

当時の再現イメージ。
必ず二つ、対に同時にできた。
その間隔を定規で計ると、必ずぴったり1.0cmだった。
どこにできた傷も同様に、決まって1.0cm間隔だったことに、とっちゃんさんは「宇宙人も、人間と同じメートル法を使用しているのか!?」と驚いたという。

知らない間にできた体の傷(手のひら)-UFOアブダクション(人体実験)か。

手のひらに、いきなり現れた切り傷。
この傷ができた時は、まったく身に覚えのないうえ、手のひらだったこともあり、大変驚いたという。

知らない間にできた体の傷(手のひら)の詳細-UFOアブダクション(人体実験)か。

今でも鮮明に傷が残っている。

知らない間にできた体の傷(右腕)-UFOアブダクション(人体実験)か。

右腕の傷。
この傷には、私は驚いてしまった!!
なんと、私も物心ついた時から、同じ場所に、同じような傷があるからだ!

知らない間にできた体の傷(私の右腕)-UFOアブダクション(人体実験)か。

私の右腕の傷。
48歳になった今は、だいぶ薄くなってしまったが、幼少期はとっちゃんさん同様、はっきりした傷だった。

知らない間にできた体の傷(私の右腕)イメージ-UFOアブダクション(人体実験)か。

私は、幼少期この傷を見て、いつできたかわからず、いつも不思議だなと思っていた。

知らない間にできた体の傷(とっちゃんさんの右腕と私の右腕に同じ傷)-UFOアブダクション(人体実験)か。
とっちゃんさんの右腕と私の右腕に同じ傷があった!

とっちゃんさんの傷と、私の傷。
右腕のほぼ同じ場所にある。

とっちゃんさんは、このような二点の傷(1.0cm幅)が、腕だけでなく、お腹など、様々な場所に出現。
その傷とは別に、白の斑点のような傷も出現しはじめたという。
それも2点の対の丸型で、片方が大きく、片方が小さく、間隔は3~4cmだった。
周りの皮膚より明らかに白く目立つため、お腹にできた時は、プールで多くの友達に「なにそれ?」とひやかされたという。
今は消えて残っていないが、両腕にも出現した。
決まって、寝ているときの不思議体験の翌朝に出現した。
当時、UFOとその乗員とコンタクトしたというビリー・マイヤーの書籍を読んで、自身の体験が似ていることに気づいたという。

宇宙人との交信

そのような、人体実験とおぼしき不思議体験と同時に、とっちゃんさんは宇宙人らしき存在から、メッセージを受信できるようになったという。
その内容は、複雑な数式だったり、曼荼羅だったり、ただの言葉だったりした。
主に寝ている最中に受信し、内容の詳細は起きると忘れてしまうことが多かった。
今考えると、ノーベル賞に匹敵するような高度で優れた数式もあったという。

受信方法は、言葉とテレパシーで、3種類あった。
一つ目は、一瞬で受け取れる方法。映像(イメージ)と言語などの情報が、一瞬で送られてくる、光のようなものだったという。
二つ目は、朗読型。言葉で朗読するように情報を伝えてくる。
三つ目は、映像。情報を映像(イメージ)として送ってくる。
とっちゃんさんは、一つ目の一瞬で受け取る方法で、主に受け取っていたという。

宇宙人から教えてもらったテレパシー送信方法-黒板をイメージする

宇宙人らしき存在は、とっちゃんさんに、情報の受信だけでなく、送信方法も教えてきた。
その方法というのが、非常に興味深い。
送信には右脳を使い、頭の中に黒板のようなボードを想像し、そこに送りたいメッセージを書いたら、そのボードの右横にある(青と紫に光る)球体に意識を集中させ、青から紫に点灯させる。その(右脳で作り上げた)イメージを、右脳から後頭部へ移動させ、後頭部から前に押し出すように集中すると、メッセージが送れるのだそうだ。

宇宙人から教えてもらったテレパシー送信方法-右脳でイメージし後頭部へ送って飛ばす

とっちゃんさんは、その方法は最初は難しかったが、慣れてくるとスムーズに行えるようになったという。うまく送信できると、後日、送信したメッセージに対する返信がくるようになった。情報を受け取るのは簡単だったが、送信する方が難しかったという。

宇宙人との別れ(15歳、中学3年生のおわり頃、1986年)

「宇宙人との別れ(15歳、中学3年生のおわり頃)」とっちゃんさんの話のメモ書き

そんな、宇宙人らしき意識体との交信が3年続いた。交信する頻度も多くなり、睡眠の障害(交信)、体にできる傷など、とっちゃんさんの負担が限界に達していた。
そんなある日、もう交信を打ち切ろうと決断し、そのメッセージ(交信を終わりにしようという旨)を送信した。

勝手に体が起きあがったら宇宙人がたっていた様子のイラスト-宇宙人遭遇体験

その数日後の夜中、寝ていると目が勝手に開き、身動きが取れないまま、上半身が勝手に起き上がり、目の前にグレイ型の宇宙人が立っていた。
暗がりの中だったが、容姿がしっかり見えた。頭は大きく、大きな目、耳や鼻や口は見当たらなかった。肌の色はグレー(灰色)で、しわなどはなかった。目には瞳があり、瞳が光っていた。その光り方は、猫やフクロウのような夜行性動物特有の反射して光っている目という感じだった。そのわずかな光で、部屋の中が少し照らされうっすら見えるくらいだった。

遭遇した宇宙人のイラスト

そのグレイ型宇宙人は、自分の足元に立っており、上半身から下は半透明だった。
頭のある位置の高さは1.0mくらいだった。

その後、宇宙人の姿が消えると、普段の部屋の暗がりに戻った。
通信手段の、いつもの黒板ボードを想像してみると、送信するための右上にある光の部分がロックされており、送信できない状態になっていた。
とっちゃんさんは、「最後の別れに、きっと姿を現したのだ。」と確信したという。

その日以降、宇宙人からの受信もなくなり、黒板ボードもロックされたままでメッセージを送信できない状態が続いた。
その後、平穏な日々を過ごすことができた。

宇宙人からのメッセージとその後

「宇宙人からのメッセージとその後」とっちゃんさんの話のメモ書き

宇宙人からのメッセージ

私が、どんな内容の交信をしたか、また宇宙人から受け取ったメッセージがあるか尋ねると、大別すると以下の三つあると言う。

・環境を大切にしなさい。
・神社やお寺には近づくな。(神社やお寺で、自分の願い事を願うことはやめなさい。)
・二酸化炭素(CO2)排出量を減らしなさい。

この三つだと言う。
私は、びっくりしてしてまった。
一つ目の「環境を大切にしなさい」と三つ目の「二酸化炭素(CO2)を減らしなさい」は、私が宇宙人から受けたメッセージと一緒だからだ。私の場合は、「自然(特に植物)を大切にしなさい。」というメッセージだった。植物をお粗末にすれば、食べ物にも困るし、二酸化炭素も増える。まさに同じ意味だ。
とっちゃんさんは、この教えを今でも守っているとのこと。今までもこれからも自動車を買うことはないという。二酸化炭素を排出するからだ。移動は電車と自転車と決めている。
二つ目の神社とお寺への参拝だが、交信当時は神社とお寺に行くのは避けていたらしいが、最近ではある一定のルールを守ったうえでたまに参拝するという。そのルールとは、「自分の願い事を願うことはしない。」というルール。他人の幸福を願うことはOKらしい。
これも興味深くて、私も誰に教わったわけではないが、幼少期からこの考えがあった。
不思議な共通点である。
また、何千件ものアブダクション経験者を調査した、コンピュータ研究者でUFO研究者のジャック・ヴァレという研究者は、宇宙人などの高度意識体のアブダクションの目的は、古い信仰システムを破壊しつつそれに代わる新しいシステムを構築することだと述べている。(参考:ウィキペディア>ジャック・ヴァレ
まさに、二つ目の「神社とお寺に近づくな。」だ。

また、宇宙人の目的は何なのか尋ねると、
宇宙人は、争いをなくすために、感情をなくしたから、それ(感情)を復活させるために、人間の喜怒哀楽を調査しに来ている。」と、とっちゃんさんは答えてくれた。
これも、強く納得してしまった。その理由は、別の機会にお話ししたいと思う。

その後

宇宙人と決別できた中学3年生以来、とっちゃんさんは宇宙人とのコンタクトはなくなった。しかし、25歳の時、たまたま矢追純一氏のUFO特番をテレビで観ていると、宇宙人にさらわれた人のアブダクション内容が紹介されていた。それを観て久しぶりに恐怖心が蘇ってきた。その翌朝、起きると昔のような傷が両腕にできているのを発見、また恐怖に陥ったという。ただ、その後は何事もなかったそう。

とっちゃんさんは、大人になった今でも、あれ(中学生の時の宇宙人体験)は何だったのだろうと興味を持ち続け、たまにだがUFOコンタクティの武良信行(むら のぶゆき)氏のUFOを呼ぶイベントなどに参加することもあるとのこと。

シャドーマンと遭遇(18歳、高校3年生)

「シャドーマンと遭遇(18歳、高校3年生)」とっちゃんさんの話のメモ書き

この話は、動画2でも詳しくお話しされているエピソード。
とっちゃんさんが、高校3年生のとき、シャドーマンに遭遇したという話。

とっちゃんさんは、高校3年の後期、指定校推薦により周囲の生徒より一足お先に、進学する大学が決まっていた。
ほとんどの生徒は、その時期は受験勉強でピリピリモード。なので、休み時間などは、指定校推薦で大学が決まっている友人だけで、別の教室で集まって話をしたりしていた。
その場所のひとつに「進路指導室」という教室があった。
とっちゃんさんは、いつものように、休み時間に進路指導室に向かった。すると、天から頭の中に「今はまだ誰もいない」と声が聞こえた。
その言葉を無視し、誰かしらいるだろうと進路指導室のドアを開けた。
その時だった!

学校の教室に現れたシャドーマン

雨が降っている日で、電気も付いていない薄暗い教室の中に、影だけの何者かがいたのである。その影は不思議で、北側の窓から外のかすかな光がさしているにも関わらず、光とは反対方向(窓の方向)に濃く伸びた人型の影だった。

学校の教室に現れたシャドーマンが驚く様子

その影だけの存在が、私が教室に入るなり、驚いた様子でのけぞり、慌てふためいて教室内に置いてあった棚に隠れてしまった。
そして次の瞬間、その影は四方八方に放射線状に散らばるような形で分散し、消え去ってしまったとのこと。

シャドーマンが消える瞬間のイラスト

なんとも不思議な光景を目にしたとっちゃんさんは、その場に立ち尽くしてしまった。

それから月日が経ち、大人になってから「シャドーマン」という言葉(怪奇現象)を知った。そうか、自分が見たのは”シャドーマン”だったのかと、その時とっちゃんさんは思ったのだそう。
その影の正体は、いったい何なのだろうか。

その他の話

1歳の時の指輪飲み込み事件

「1歳の時の指輪飲み込み事件」とっちゃんさんの話のメモ書き

大人になって、とっちゃんさんは母親にある出来事を聞かされた。
それは、とっちゃんさんが1歳の時、母親の結婚指輪を飲み込んでしまったというエピソード。それを聞いたとっちゃんさんは、母親から詳細を聞く前に、当時の自分の行動を鮮明に思い出した。
1歳くらいの自分が、タンスをよじ登り、一番上の引き出しの中に保管されている指輪を取り出そうとしている光景が、少し上の目線から見た客観的な光景で蘇ってきた。それを母親に伝えると、その通りで、1歳のとっちゃんさんが、タンスの上の段に保管してあった結婚指輪をよじ登って取り出し、飲み込んでしまった。
急いで病院へ行くと、医師に「もし、お尻から出てこなかった場合は、お腹を切って(手術で)取り出すしかないですね。」と告げられたという。
幸いにも、後日お尻から出てきたのだそう。それはそれでよかったが、1歳の乳児が、タンスをよじ登って、上の段の指輪を取り出す、しかも飲み込んでしまうなんて、とっちゃんさん自身も首をかしげるエピソードだそうだ。その鮮明な光景(客観的に自分を見た)の記憶も不思議なのだそう。
この幼児期の自分を客観視した記憶については、前回の記事「友人Mの不思議体験談」の中でも似たエピソードがある。

9歳(小学3年生)頃の不思議な声

「9歳(小学3年生)頃の不思議な声」とっちゃんさんの話のメモ書き

とっちゃんさんが小学生の頃、いつも外から聞こえる声があった。
その声には2種類あって、一つは「キャーーーー」と1分間くらい一定の音程で続く声、もう一つは「おぎゃおぎゃ おぎゃおぎゃおぎゃ」を繰り返す声。(決まって「おぎゃ」×2回のあとに「おぎゃ」×3回、の繰り返し)
とっちゃんさんは当然、両親、妹たち、周囲の家の人も聞こえているものだと思っていた。
小学3年生だったある日、とっちゃん家に、近所の友人が遊びに来て、いつもその声が聞こえる部屋で妹も含めて三人でトランプしていた。
その時、またいつもの声が聞こえた。「キャーーーー」と1分間くらい続く声。
妹と友人はびっくりし、「何この声、怖い!」と言った。とっちゃんは「いつも聞こえるけど、妹も、友人も聞いたことないの?」と聞いた。すると友人も妹も今まで一切聞いたことのないと言うのだった。
その後、友人はそのことを学校で他の友人に言いふらし、一時、とっちゃん家に肝試しに来る友人が増えたとのこと。
後に、とっちゃんはその声の録音に成功するが、そのテープは残念ながら今は紛失してしまったという。

余談だが、私も幼少期、夕方必ず犬の遠吠え(複数の犬の遠吠え)が、家の中にいたのに聞こえていたのを思い出した。私が住んでいたのは、東京都豊島区内の大通り(明治通り)沿いで、池袋駅からも程近い比較的都会に位置し、車通りも激しく騒音もうるさい場所だった。当然どこかの犬の遠吠えなんだろうなと思っていたので、家族の誰にも言っていなかった。でも、そんな都会に犬ってそんなたくさんいたのかな?と、とっちゃんさんの話を聞きながら、疑問が湧いてしまった。もしかしたら、私だけが聞こえていたのかも、と少し思ってしまった。

小学生の頃の不思議な音

とっちゃんさんの不思議体験を、いつも両親は信じていなかった。
私もそうだったので、とても共感できる。
しかし、そんな両親も不思議な気持ちになる出来事が起きた。
とっちゃんさんが小学生だったある日、5人家族全員で、2階建ての一軒家の1階で、夕食を食べている時だった。天井から「ドスン!ドスン!ドスン!」と大きな音が3回響いたのだ。当然2階には誰もいない。
2階に行って確認するも、変なことは何も起きていなかった。
屋根に何か落ちたか?と思ったが、一階まで聞こえないだろうとなった。
その時だけは、両親も「不思議なこともあるものだね。」と言ったそうだ。

大学教授から聞いた不思議な話

「大学教授の話」とっちゃんさんの話のメモ書き

私が、「理系の方って、オカルトに興味ある人、意外に多いのでは?」と興味本位で質問すると、とっちゃんさんが卒業した理系の大学の教授から聞いた、不思議な話を二つ教えてくれた。

登山中の落石の話
その大学のある教授が、登山をしていた時の不思議な話。
教授がある山で登山中、突然、落石を知らせる叫び声が聞こえた。
自分は、右へ逃げるか、左へ逃げるか、一瞬迷い「右と左、どっちに逃げたらよいか?」と天に問うた。すると「右に逃げなさい。」とどこからともなく声が聞こえた。
その通り、右に逃げたことで、助かったという話。左に逃げていたら、落石に直撃していたらしい。この不思議な話を、その教授が当時学生によく話していたという。

男子トイレの鏡に映った女性の話
その大学の学長が、男子トイレを使用していた時の不思議な話。
ある日、学長が男子トイレで用を済まし、手洗い台で手を洗っているとき、目の前の鏡を見ると、自分の背後に黒髪の長い女性が立っていた。
すぐさま、「女子トイレは隣ですよ。」と、言いながら振り返えると、女性の姿はなく、消えてしまってどこにもいなかった。
その後、学長は怖くなってしまい、校内すべての男子トイレの鏡を取り外してしまった。

心霊体験-男子トイレの鏡に映った女性のイラスト

地震予知

とっちゃんさんは、学生のころ地震予知ができるようだった。予知というか、地震の起こるタイミングで自身の身にも何かをキャッチするという現象だ。
それは、国内の地震ではなく、海外の地震が多かった。
その現象は、地震が起こるタイミングで、自身の体が揺れるという現象だった。寝ているときにも起きた。
そんな現象(自身の体が急に揺れる)が起きた後、調べると必ず同時刻に海外のどこかで地震があった。
一番すごかったのは、学校の教室で、体が揺れすぎて椅子から転げ落ちてしまったことがあった。そのあと調べてみると、同時刻でイギリスのある地方で100年振りの地震、震度1というニュースがあった(笑)。とっちゃんさんは、さすがにこれは勘弁してくれと思ったそうだ。
それから何十年か経ち、地震予知もできなくなっていた2011年3日11日、東日本大震災は残念ながら予知できなかった。

この話を聞いて、私も寝ているときに体が揺れて地震かな?と思ったことが多々あったことを思い出した。その時は「きっと(自身の)心臓の鼓動だろう。」とか、東日本大震災の後だったということもあり「きっと地震のトラウマだろう。」とかいう気持ちで、地震予知かもしれないなんて思いもしていなかったので、その現象の同時刻で起きた地震など調べることもなかった。でも似た体験だなと思った。
あと、幼少期、兄弟三人でテレビを観ていたところ、2歳上の姉が先に寝てしまって、寝ていたと思うと急に上半身を起こし、目を閉じたまま上半身を大きく左右に揺らして「地震だ!」と言ったかと思うと、またすぐに寝てしまったことを思い出した。それを間近で見た私たち双子は大笑い。姉が夢見て寝ぼけたこと言ったのだと思ったが、とっちゃんさんの話を聞いて、「あれも地震予知だったかもしれない」と少し思った(笑)

余談だが、私は天才発明家ニコラ・テスラの自伝書「秘密の告白」を何度も読み返しているのだが、その中でニコラ・テスラがある振動数の共鳴実験をしている最中に、実験所のある(滅多に地震が起きない)ニューヨークのその地で大きな揺れが発生し、止まらなくなってしまいその装置を壊して止めたというエピソードの記述を思い出した。確か、地球の振動数と共鳴させたことが原因だったと思うのが、とっちゃんさんはその逆で、地震の周波数と共鳴してしまい、自身の体が揺れてしまった可能性があるなと思い、とっちゃんさんそれをに伝えた。

とっちゃんさんの出演動画

とっちゃんさんが電話出演した動画「ATLASラジオ」は、以下2本。
以上のような不思議体験を、詳細にお話しされているので、ご興味ある方はぜひご視聴ください♪

『ATLASラジオ29:激白!宇宙人にさらわれ○○を埋め込まれた男!』
https://www.youtube.com/watch?v=B-4LmRaEjX8

『ATLASラジオ3rd 018 大学進学を考えている?シャドーマン、人間の傷を治すイルカのヒーリング』
https://www.youtube.com/watch?v=mHHsrhSnli8

まとめ

とっちゃんさんとお会いして、お話しさせていただいた率直な感想は、素直な方だなという印象だった。永遠の少年のような、純粋な疑問を大切にしていらっしゃる方だと思った。
私も、共感する部分や共通する点が多々あったことに、驚いてしまった。
とっちゃんさんと私の共通点を以下に挙げる。

・不思議体験した時期
不思議体験は幼少期が多く、大人になったらほとんどなくなった。とっちゃんさんは20歳、私は25歳くらいまででほぼなくなった。

・信じてもらえないから、話したくない
両親はそのような体験を信じてもらえず、「何を馬鹿なこと言っているの?」という反応が多かったため、誰にも言えないことが多かった。

・身に覚えのない傷がある
身に覚えのない傷が体に複数ある。特に幼少期からある右腕の傷は、二人とも同じ個所にあったのには驚いた。

・「赤オレンジ色」に固執する
UFOの色とされる、「赤オレンジ」に固執する。

・オカルト、物理科学への興味
自身の体験から、オカルト番組や書籍、物理科学に興味を持つようになった。

・テレパシー
宇宙人からテレパシーを受信した。

・宇宙人からのメッセージ
宇宙人から同じようなメッセージを受け取った。とくに自然環境については完全に共通していた。

・宇宙人体験した時期
互いに宇宙人体験をした年代が近い。私は1982年ごろ、とっちゃんさんは1983~1986年ごろ。

・メッセージを受信する
とっちゃんさんは、幼少期に親戚の死を知らせるメッセージや、どこからか自分の頭にイメージや言葉が湧いてくることがあった。私も同様で、テレビに親戚が映る話など親族のなにかを受信することが多かった。

その他、細かい部分で共感できる点が多々あった。
上記の中でも特に右腕の傷、同じ個所に傷がある方は、初めてお目にかかった。そして宇宙人から受け取ったメッセージ、これも共通点があるし興味深い。
そして年代だ。とっちゃんさんが宇宙人とコンタクトしていた3年間は1983~1986年の約3年間、私が宇宙人遭遇したのは1982年ごろなので、年代が非常に近い。(→私が遭遇した宇宙人

甲府UFO事件の山畠さんとお会いしてお話しした時もそうだったが、やはり体験者同士というのは、お互いの話の理解が早く、スムーズにわかり合えるという、なんとも言葉では表現できない心地良さを感じた。

私の宇宙人遭遇体験やテレパシーなどの幼少期の不思議体験を、興味深く聞いてくださった。特にデジャブ体験をした時の手の傷の話を関心深く聞いてくれた。
しかも、とっちゃんさんとお会いした後、その傷を改めて見ると、なんと傷が対になっている(二つある)ことに気づいたのだ!

謎の手の甲の傷
(左手の甲にある謎の傷/2025年12月26日撮影)

写真右の人差し指側の傷は、デジャブ体験時にできた謎の傷。
写真左の薬指側の傷は、まったく身に覚えがない。念のため二つの傷の感覚を計るとちょうど3.5cmだった。
(追記:後日(2025年12月27日)、とっちゃんさんに再び会う機会があったので、この傷跡を見せると「私と同じですね、片方の傷の方が大きい。しかも間隔が3.5cmというのも同じです。私も3~4cmでした。」と仰っていた。)

最後にとっちゃんさんに、質問した。
「(とっちゃんさんは)お仕事も理系(最先端技術系)でしっかりされていて、きっとこういった体験も生かされていて、うらやましい。私は今のところ生かしきれていない。なので、あえて、こんな話(なかなか信じてもらえないような不思議体験談)を外でする必要もないのでは?」と。
すると、とっちゃんさんは笑いながら、
私が経験した様々な不思議体験を、どこにも言わないまま死ぬなんて、なんかそれってどうなだろう?って思っちゃうんですよ。それくらいインパクトの大きい体験だったので。」と言った。
この言葉、私も強く共感してしまった。なかなか信じてもらえないような不思議体験談を人に話す意味があるのか、いつも自問自答するのだが、結局はいつかきっと話す意味がある日が来るんじゃないかと、根拠もなく思ってしまうからだ。
今後も、とっちゃんさんとは交流を深めていきたいと思う。

番外

今回、とっちゃんさんとお話ししたのは、ある有名チェーン店のカフェなのだが、話している最中、やや高齢の見知らぬ女性が急に私たちに話しかけてきた。とっちゃんさんがTVタックルなどに出演されていた物理学者の大槻義彦教授の話をしている時だったと思う。
「うんうん、そうね。そうね。」と話しかけてきたのだ!
思わずとっちゃんさんは「あれ?(大嶋さんの)お知り合い?」と言ってきたので、顔を見るとまったく見知らぬ女性だったので「いいえ。」と答えた。
その女性は、会話に入ってきたが、話が長くなりそうだったので、申し訳ないが軽く受け流した。しばらくすると、自分の席に戻っていった。
私は、「なにか、こういう不思議体験談をしていると、共鳴してこういうことが起こるんだよな。」と心の中で思った。
またしばらくして、その女性は帰り際また私たちの席に来て、会話に入ろうとした。再び軽く受け流し、女性は「またね。じゃ、帰ります。」と言って帰っていった。

その数日後、私はとっちゃんさんを誘って、オカルトイベント「山口敏太郎祭り」に一緒に行くことにした。
会場で、スピリチュアル鑑定士のちかみつさんがZOOM出演された際、会場の参加者から質問を受けるという場面があったので、私は挙手して「宇宙人が今後大衆の前に現れる可能性は?」と質問をしたところ、ちかみつ氏は「すでに接触しているし、なんなら人間の姿になってもう混じっている。だから、すでに現れている。」とお答えになった。
その瞬間、とっちゃんさんが私の顔を見て「こないだの、あの女性は、もしかして(宇宙人)?」と言ってきたので、私も「たしかに。」とお互い顔を見合わせた。



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友人Mの不思議体験談(幽霊心霊/UFO/幽体離脱)

友人Mの不思議体験談(幽霊心霊/UFO/幽体離脱)のイラスト

私が、今年(2025年)の5月、自身の宇宙人遭遇体験談であるYouTube番組に出演させていただいた後、動画を観たという小学校からの友人Mから「俺も不思議体験をたくさんしているから、聞いてほしい。」と連絡をもらった。聞くと、偶然にも現在の住まいも比較的近かったため、2025年8月30日、お互いの住まいからほど近い喫茶店でその話を聞いた。

ある友人Mの不思議体験談のメモ書き
友人Mの話を聞いて取ったメモ

友人Mと会うのは、実に20年振りだった。小学校、中学校が同じで、高校1年生くらいまでは一緒に遊んだりした。中学2、3年の夏休みには、Mのお父さん関連の出版会社で、単発(数日間)のアルバイトもさせてもらった。(中学生は原則バイト禁止だったが、Mのお父さんが「子供たちに社会経験をさせたい」とその会社に説得してくれてOKになった。)朝8:30から夕方17:00まで、Mと友人と三人で単純作業のアルバイト、日当は一人6000円だった。良い経験になったし、当時の中学生にとっては良いお小遣いになった。そのお父さんも数年前に他界したと、その時聞かされた。Mは現在、建築関係の会社に勤めており、家族も持っている。

小学生の時見たUFO
祖母(おばあちゃん)の葬儀時の話
昼寝の時の幽体離脱
中学生の時の変な体験
高校生の時の不思議な話
夢でしか見ない場所
その他の話
まとめ

(イラスト・文/大嶋 信之)


小学生の時見たUFO

小学生の時見たUFOのメモ書き

Mが小学5,6年生の頃(1988~89年ごろ)、友人数人でUFOを目撃した話。
当時テレビではUFO番組がたまに放映されていて、その影響もあったかと思うが、いつもある友人の住むマンションの屋上に行き、男子6人くらいで輪になって手をつなぎ、UFOを呼ぶ儀式をしていたという。
Mはその儀式に信之(私)もいたと言うが、私は全く覚えていない。双子の弟かもしれないと私が言うと、Mは「双子で参加していたと思うよ。」と言うのだが、本当に思い出せない。(今度、双子の弟に確認しようと思う。)
マンションの場所は、東京都豊島区北大塚、高台に位置する見晴らしの良い場所だった。

そんなある日、UFOが出現した!
いつものように輪になり、6人で手を繋ぎ、UFOを呼ぶ儀式をしていた。
時間は夕方。そのうちの一人が「UFOだ!」と叫んだ。
その子が指さす先、比較的地平線に近い空の向こうに、点滅する光が見えた。
6人全員で目撃。その点滅する光は複数(5,6個)あり、動いておらず、それぞれが点滅していた。
しばらくの間(10分くらい)、その場で点滅を繰り返し、突如消えてしまったという。

突如現れたUFOのイラスト(東京都豊島区上空)

飛行機なら移動してしまうが、10分という長い時間その場にとどまるなんて、私も不思議だなと思った。
Mほか友人たちは、何日か儀式を繰り返した結果、UFOが応答してくれたのだと確信したという。
ただ、その後も同じ儀式をしてみるも、後にも先にもUFOが出現したのは、その一回だったそうだ。
私も同時期に一人でUFOを呼んで、現れたということがあったので(→私の見たUFO)、まあ、そういうこと(呼べば姿を現すこと)はあるものだろうなと思った。

関連記事→2020年頃、同じく豊島区上空で私の姪っ子が似たUFOを目撃した!

祖母(おばあちゃん)の葬儀時の話

祖母(おばあちゃん)の葬儀時の話のメモ書き

Mが小学5年生(10歳)の時、一緒に住んでいたMの父方の祖母が亡くなった。
85歳だった。生前、祖母の世話をしていたのは、同居していたMの母だった。
葬儀を終え、M宅に戻り、身内6人くらいで少しお酒を飲みながら世間話をしていた時、急にMの父の妹(叔母)が亡くなった祖母に憑依(ひょうい)したという。

父の妹夫婦は、普段違う場所に住んでいて、葬儀のためにM宅に来ていた。
その他身内の大人6人で輪になり、話をしていた。Mは子供だったため、同じ部屋にいたものの、輪には入っていなかった。

話を始めて5分後くらいに、父の妹(叔母)の様子がおかしくなりはじめた。
皆で心配すると、急に父の妹(叔母)が泣き出し、祖母の世話をしていたMの母にすり寄り、「ありがとう、お世話になった。本当にありがとう。」と言い出したというのだ。
まるで祖母が乗り移ったような表情で、感謝の言葉を繰り返したという。

周りはびっくりし、どうすることもできなかった。
さすがのMも子供ながらにびっくりして、その大人の輪に近づいた。
10秒間くらいそんな状態が続き、ついに父の妹(叔母)の旦那が、叔母の頬っぺたをひっぱたき「いい加減にしろ!」と怒鳴った。
すると、叔母は正気に戻り、「え?私、何してた?何か言った?」と言った。
そして、その後は普段の叔母に戻ったという。

とまあ、不思議な話ではあるが、
仏教では、死後四十九日間は、故人の魂が現世とあの世をさまようというので、そんなことがあってもおかしいことではないなと思った。あと、叔母の旦那さんが「いい加減にしろ!」と怒鳴ったということは、その叔母の方は、もしかしたら、普段から憑依癖があるかもしれないとも少し思った。

昼寝の時の幽体離脱

昼寝の時の幽体離脱のメモ書き

Mが小学生から中学生になるころ、幽体離脱を経験したという。
その内容がちょっと面白い。
私も当時、M本人から聞いて、この話は覚えていた。

ある日、昼寝していると、金縛りのような感覚で目が覚めた。
すると、自分の体が宙に浮いた。そのまま天井まで浮かんでいき、天井が目の前数センチくらいまで迫ったところで、ピタッと止まった。体は身動きがとれず、振り返ることができなかった。

昼寝中に幽体離脱してしまったイラスト

数秒間その状態(目の前に天井)が続き、「やべ、戻らなきゃ。」と思ったら、戻ることができたという。なんとも不思議な話だ。

中学生の時の変な体験

中学生の時の変な体験のメモ書き

この話も、当時Mから聞いて、私は覚えていた。
中学生の時のちょっと怖い話だ。
ある夏の日の夜、1Fにあった部屋でMが寝ていた。
両親や妹は別の部屋で寝ていた。
暑い日で、窓を少し開け、扇風機をつけていた。

Mはある異変で目が覚めた。
なんと、Mの体に覆いかぶさるように、男の人が乗っかていたのだ!
頭はアフロヘアのようなもしゃもしゃで、汗臭かった。
Mは驚き、恐怖のあまり声も出せなかった。

就寝中に何者かが覆いかぶさってきた心霊現象イラスト

暗い部屋の中、Mは身動きがとれないため、恐る恐る、手でその男の腕をさがしたが、腕は見当たらなかった。頭を触り、顔を触ったが、顔に目や鼻や口はなく、のっぺらぼうのようだった。

就寝中に覆いかぶさってきた何者かはのっぺらぼうだった心霊現象イラスト

次にその男のお尻から足を触ったが、足は途中からなかったという。
Mはどいてほしいため、男のお尻を叩いた。
すると、男はスーといなくなったので、Mは慌てて立ち上がり、両親の寝ている部屋へ急いだ。

お父さん、誰かいる!!
Mは大声で叫んだ。
寝ていた両親はびっくりして起き上がり、父親がMの寝ていた部屋へと急いだ。
Mと一緒にその部屋に戻ると、誰もいなかった。
窓は少し開いたまま。扇風機もついていた。

玄関は、鍵がかかっており、何者かが侵入したなら、窓しか考えられなかった。
しかし、窓は寝る前に少し開けた状態のままだった。
父親は「変な夢でも見たんじゃないか?」と言った。
ただ、部屋には、その男の汗の臭いが少し残っていたという。
Mは、今でも不思議でしょうがないと言っている。

高校生の時の不思議な話

高校生の時の不思議な話のメモ書き

Mが高校生の時、自分の部屋を与えられた。
私も当時その部屋に何度も遊びに行った経験がある。
部屋は、古い木造のアパート(風呂なし共同トイレ)の一室で、広さは6畳くらい、扉には鍵がかけられるようなつくりだった。

その部屋は、もとは他人に貸していて、高齢のお婆さんが一人で住んでいたそうだ。
お婆さんが出ていき、Mが自分の部屋として使用することになった。

部屋を使い始めてしばらくして、不思議な現象がたびたび起きるようになったという。
帰宅し、部屋の鍵を開けようとすると、部屋の中からコンポ(ラジカセ)のカセットテープの音楽が勝手に流れていたことが何度もあったという。そして、いつも鍵を開けて扉を開けると、音が止まる。
そんなことが、日常的に起きていた。

また、同様にテレビが付いている音がして、部屋を開けると消えている、そんなこともあった。

後から知ったらしいのだか、
元にその部屋に住んでいたそのお婆さんは、よそに引っ越してすぐ亡くなったと聞かされたのだっだ。なのでMは、おそらく、お婆さんの霊魂が、長く住んだその部屋を訪れて、いたずらというか、Mがいない間に音楽を聴いたり、テレビを観てたりしたのではないかと推測しているという。

ちなみに、そのアパートは、新しく建て直され、現在は存在しない。

余談だが、建て直される前の3階建ての母屋に、寝ているときも不思議な体験をしたという。24か25歳ごろだった。
いつも同じ部屋である方角で寝ていると、「お兄ちゃん、遊ぼうよ。」と耳元で聞こえ、目が覚めることがしばしばあったという。その声は聞き覚えのある声で、親戚の女の子の声だった。ただ、必ずある方向で寝ているときのみで、違う方向を向いて寝ている時は聞こえない。その部屋は、その子たちが来ると、遊び部屋として使っていたので、不思議だったが、なんとなく腑に落ちるところがあったという。ただ、同じ方角で寝ている時のみ聞こえるという点が不思議だとMは言う。

夢でしか見ない場所

夢でしか見ない場所のメモ書き

この話は、ちょっと不思議な話だった。
Mは、いつも夢でしか見ない同じ建物があると言う。
それは、14階くらいの白いマンションで、渡り廊下のある2棟のつくりだそう。
いつも夢の中で、そのマンションのエレベーターに乗り、10階や14階まで行き、渡り廊下を渡って隣の棟に移り、そして再び、エレベーターに乗って、1階に降りるといった夢だそう。
なにが不思議かって、この夢、私も見るのだ!!話を聞いている最中、鳥肌が立ってしまった。
イラストは、私が見る夢のとおりに描いたもので、Mもこんな感じだと言う。

いつも夢で出てくる渡り廊下のある二棟のマンション

私も、夢の中で、Mと同じで、エレベーターに乗り込み、上層階まで行き、渡り廊下で隣の棟に移り、エレベーターに乗って1階に戻ってくるという、まったく同じ内容の夢を何度か見たことがあった。
二人で不思議なこともあるもんだね、と顔を合わせた(笑)

その他の話

その他、Mが話してくれた不思議な話。

3歳の時の記憶

3歳の時、幼稚園に初めて預けられた日の記憶。
Mの母親が、先生にMを預け、母親が去ろうとし、Mがわんわん大泣きの図。
この光景を頭上から傍観する自分の記憶が鮮明に残っているという。

入院中の不思議な話のメモ書き

Mが高校一年の時、ある整形外科的手術で入院したときの不思議な話。
4人部屋で寝ていた深夜、「コツコツコツ」と廊下を誰かが歩く音で目が覚めてしまった。
足音から看護婦さんだろうと思った。すると、部屋に入ってきた。
ライトを持った何者かが、カーテン越しに見えた。
Mのベッドの周囲を歩き、そのまま部屋を出て行った。
翌朝、看護婦さんに確認すると、その時間(深夜)にそのような行動は誰一人としてしていないと言う。
誰だったのか不明で、今でも不思議だと言う。看護婦さんの霊だったのではないかとMは言う。

まとめ

Mは左利きで、昔から、少し変わった話をするタイプだった。
私は右利きだが、同じようなタイプ(不思議体験体質)だったため、昔から話が合った。(→私が体験した不思議体験
それぞれ、48歳といういい大人になった今、こういう体験ってなんなんだろうねという話になった。

私も幼少期に体験した不思議体験から、その原因をずっと追っている。
なので、その話をした。

原因として考えられる一つは、脳波だ。

脳波のイラストメモ
脳波をイメージしたイラスト

脳波とは、脳から発せられる電気信号で、その時の感情によって周波数の異なる信号になる。リラックスして落ち着いているときは周波数は下がり、怒りや興奮状態では周波数が上がる傾向がある。就寝時は最も周波数が下がる。周波数帯によって、デルタ波(δ)、シータ波(θ)、アルファ波(α)、ベータ波(β)、ガンマ波(γ)などと呼ばれている。

脳波が周波数を伴った電気信号であるということは、この周波数に共鳴させることで、情報を伝達できる可能性があると私は思っている。
ラジオやテレビを受信するのと同じ原理だ。

たとえば、世の中に溢れる様々な人々の脳波と共鳴することで、自分が見ていないもの(他人が見たもの)が見えたり、感じたりできるのではないか。私は、幼少期にテレビに親戚が映るという不思議体験を多くしたが、その原因はこれではないかと思っている。(親戚の発した脳波に共鳴し、私は視覚として受信したイメージ。)
その他でも、幽霊や、テレパシーなど、これで説明がつくような気がする。

アカシックレコードのイラストメモ
アカシックレコードをイメージしたイラスト

あともう一つは、アカシックレコードの存在だ。
アカシックレコードとは、この世のどこかにこの世の情報がすべて書き込まれた領域があって、この世はその領域から投影された世界、つまりフォログラフィーだという物理仮説だ。フォログラフィック宇宙論とも呼ばれている。
ちなみに、アカシックレコードは二次元情報の可能性があるという。

これが本当なら、何かの力が働き、目に見えないものが見えたり、存在しないものが見えたりしてもおかしくない。UFOや幽霊だって何かの情報の投影の産物ということになる。

追記:2026年2月1日、宇宙人や幽霊現象と、脳波やフォログラフィー宇宙論についてより詳しく考察してみた。



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1992年(中学3年生・15歳の時)、入院中に見た不思議な幽霊の夢

私は、中学3年生の時、右腕を骨折して手術のために二度入院した。(一度目の手術で折れた骨をボルトで固定し、二度目の手術でボルトを抜いた。共に全身麻酔だった。)
骨折の原因は、体育館での体育の授業の後、調子に乗って友達に披露しようと、マットも敷かず助走をつけてロンダート(側転)からバック転したところ、肩から落ちてしまい、上腕骨の骨頭が見事にきれいに折れてしまった。小学6年まで体操を習っていたので、中学1年くらいまでは何なくできたのに、中学3年生になると身長も20cmは伸びていて体重も増えていたので、体のコントロールができなくなっていた。(落ちたのが肩からだったのは幸運だった。首だったら大変なことになっていた。)
母親もたまたまPTA活動で学校にいて、すぐ保健室に来た。(今考えるとこれも偶然だが。)
学校からタクシーで病院へ行くと、そのまま入院になってしまったため、数日後に控えた、楽しみにしていた京都への修学旅行が急遽行けなくなってしまった。

一度目の入院の時だった。ある朝、不思議な夢を見て起床した。
その夢は、自分が死んだ夢だった。(後から知ったのだが、自分が死ぬ夢は、夢占いでは大吉夢らしい。)
自分が、自分の体から抜け出し、下を見ると自分が入院した病室のベッドの上で死んでいる。
周囲に母親や友達が何人かいて、悲しみで泣いていた。

入院中に見た不思議な幽霊の夢
(死んだ自分を見下ろす自分と、背後から来る幽霊のおじさん。)

泣いている家族や友人に話しかけても、私の声はまったく聞こえないようだった。
焦った私は、夢の中で何度も「僕、死んでないよ!ここにいるよ!」と繰り返し叫んだ。
母親や友人の肩をいくら両手で掴もうとしても、すり抜けてしまい掴めない。
「あ、僕本当に死んじゃったんだ。」そう思って落胆した。
夢の中で、しばらく気を落として、泣きたい気持ちを抑えられなかった。
「もう、誰とも話せないんだ。」そう思い、孤独が怖くて、たまらなくなった。

その時、背後から声が聞こえた。
私とだけは話せるんだよ。」男の人の声だった。
少し嬉しくなって振り向くと、なんと三角巾を額につけた、白い着物を着た中年のおじさんだった。
足もなく浮遊していて、いわゆる俗に言う「幽霊」そのものだった。(笑)
後から考えると、わかりやすく死装束(しにしょうぞく)を着用していたところが非常に面白いというか興味深い。

そっか、僕は死んだんだから、幽霊の方とは話すことができるんだ。」そう思って少し嬉しくなった。さっきまでの孤独の恐怖は和らいで、話し相手がいることに安堵した。

その時、夢から覚めた。
目が覚め「夢でよかったー!」と心から思い、嬉しくなった。
それにしても不思議な夢だったと思った私は、仲良くさせてもらっていた同じ病室で隣のベッドのGさんという年配の男性にさっき見た夢の話を始めた。
病院は朝食前だった。起床したばかりのGさんは興味深く私の話を聞いてくれた。
その時だった。

急に病棟全体が慌ただしくなった。
私の病室(4人部屋)含め、他の病室の患者さんも「何だなんだ?」となった。
私が入院していた病院は、大きな都立病院で、ワンフロアがまるまる整形外科の入院病棟だった。

複数の看護婦さんが大慌てで廊下を行き来し、4室くらい先のある一つの病室に集合していた。
大がかりなギブスを装着していた私は身動きが難しく、Gさんが看護婦さんに聞きに行ってくれた。

どうやら、4室くらい先の一室(4人部屋)で入院していた90代のお婆さんが、朝亡くなったらしい。整形外科で亡くなる患者さんは珍しいため、対応できる先生が常駐しておらず、大騒ぎになっていたらしい。

まあ、偶然だとは思うが、こういった夢を見てすぐに、なおその話をしている最中の出来事だったので、「なんか、霊界が近づいていることを、察知してしまったな。」と自分で思った。なので、強く記憶に残っている。

以上でこの話は終わりだが、
余談があって、京都の修学旅行から帰ってきた友人が何人もお見舞いに来てくれた。
わざわざお土産を買ってきてくれた友人も何人もいた。非常に嬉しかった。
しかしだ、みんな揃いに揃って「八ツ橋」だったのだ(笑)
私のベッドに八ツ橋の箱が山積みになって、一時、八ツ橋に飽きてしまいしばらく食べられなくなったほどだ。
だけど、限られたおこずかいの中から、私のために買ってきてくれて、本当に感謝している。

あと、不思議な話がもう一つだけあって、入院中にお見舞いに来てくれた人の話。

まずは、同級生で大好きだった親友のお姉ちゃん。
私が入院した時、バイクで転倒して片足を骨折して偶然同じ病棟で入院中だった。
入院当初、腕を牽引していて身動きが取れない私の部屋に、たまに松葉杖でお見舞いに来てくれた。入院してすぐは寂しい気持ちだったので、とてもありがたかった。
これは本当にたまたまで、嬉しかった偶然の話。

次に、幼馴染みの三つ上のお兄ちゃん(仮にYちゃんとする)の話。
これは今でも不思議な話。
Yちゃんは、生まれた時から近所に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだったのだか、数年前に引っ越してしまい、引っ越した当初はよく遊びに行っていたが、しばらく会っていなかった。
面倒見がよいYちゃんを、私は大好きだった。
入院中のある日、そのYちゃんがお見舞いに来てくれたというのだ。
私は手術の前後だったためかうろ覚えだが、Yちゃん家族の連絡先は、母しか知っておらず、私からも当然連絡していない。母も連絡していないと言うのだ。
どうやって私が入院していることを知ったのだろう。ましてや入院先の病院なんて、誰からか聞かなきゃ絶対にわからないはず。
その時の話になると、今でも母がこう言う、
Yちゃんがお見舞いに来てくれたのよ!私、何の連絡もしてないのよ。どうやって入院を知ったのか今でもわからない。不思議なことってあるのね。
それ以降、Yちゃんとは会っていないが、今何してるのだろう。会いたいな。(もしこのブログを見ていたら、Yちゃんだったらわかると思うので、よかったら連絡ください。弟のKちゃんにも会いたいです。)

あと、この記事を執筆しているときに、気づいたのだが、夢の中で会った幽霊のおじさんって、入院の約3年前に私が遭遇した自殺者だったりして、って少し頭によぎりました。
それはそれで、なんとなく腑に落ちる、ような気がする。



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【不思議体験】1989年(12歳・小学6年生)の時、街中で自殺者第一発見者になる。数年後、同じ場所で霊魂(幽霊)のようなものを見る。(心霊体験)

首吊り自殺者を発見する
その場所で不思議なものを見る
現場
関連情報
【番外】私の長い悩みごとを、従兄の住職が解決してくれたエピソード
 ・住職の従兄の幽霊目撃談

首吊り自殺者を発見する

私は、1989年当時12歳(小学6年生)だった時、いつも通る学校の帰り道の途中、偶然自殺者を発見(というか遭遇)したことがある。

ある土曜日の下校中、家の近くの友人宅前まで友人と一緒に帰ってきて、友人と別れ一人になってすぐのところで、目の前に40代くらいの男性が金網のフェンスに首を吊った状態でぶら下がっていた。

1989年(12歳、小学6年生)街中で自殺者第一発見者になる

場所は、東京都豊島区西巣鴨の某所、大通りから一本入った裏路地で、車はギリギリ通ることができない道幅(2mくらい)、人通りも比較的少ない道だった。当時、私の自宅はその道から大通りに出てすぐのところにあったので、その道を通ることが多かった。(→UFOもこの道で見た。

時間はお昼頃、給食がない土曜日の帰り道だったので、よく覚えている。(当時は週休二日制ではなく、土曜は午前中の4時間授業のみで給食なしだった。)
私は土曜のみ体操教室に習っていて、土曜日は毎週、帰宅し昼食を食べたら、すぐに体操教室に向かうのだった。

男性の容姿は、頭はアフロヘア、つなぎの作業着を着ていた。
首には、針金のようなグレー色のバンドのような何かで、金網に結んであった。
フェンスの向こうは、当時、某大手自動車メーカーの整備工場(兼販売店)があったので、そこの作業員だろうなと思った。

私は、Uターンをして、先ほど別れた友人の家に行き、友人の母親に報告した。友人の父親は公務員をされていて、土曜日の昼間は不在だった。(公務員も当時は週休二日制ではなかった。)
そして友人と母親と三人で、現場へ向かった。
友人の母親は、首を吊った男性が見えてくると、非常にビックリしたらしく、「キャ!」と声を上げ、立ち止まってしまい、気持ち悪がって近づけなかった。(それは当然だろう)
ちょうどその路地手前で、建築中だった小規模なマンションがあったため、そこの建築作業員を呼びにいくことにした。(ちなみに、記憶では私が5年生か6年生の頃の出来事だった気がしていたが、本記事を執筆するにあたり、そのマンションの築年月を確認したところ、6年生の時だったと確定することができた。)

建築現場の若い男性作業員一人に伝えると、その作業員が一緒に確認に付き添ってくれることになった。男性作業員は、首を吊った男性に近づき、片足を握って揺さぶった。
何の反応もないことを確認し、「こりゃ、死んでますねー」と言った。

友人の母親とその男性作業員が警察へ通報すると言うので、私は一旦帰宅することになった。
自宅で昼食をとり、体操教室へ向かう際に、再度同じ道を通ると、すでに警察や救急車が到着し、友人の母親が数名の警察官と話していた。見物者も何人もいた。

私は、それらを横目に体操教室へ向かった。
「あとは、友人の母親に任せよう。」そう思った。

その後、日常に戻り、その道は毎日のように通るので、そんな事件があったことなど忘れていた。

その場所で不思議なもの(幽霊・霊魂のようなもの)を見る

事件から3年過ぎた15歳(中学3年生)の頃、学校の友人2人と双子の弟と私の4人でその道を歩いていた。
私は、3人の後ろを下を向いて歩いていた。学校が終わって、4人で遊びに向かうところだったと思う。時間はお昼くらいだったと記憶している。なので、この日も土曜日だったかもしれない。その時は自宅側(大通り側)から、自殺者発見時とは逆方向から歩いていた。

1992年に見た幽霊のような霧(心霊現象)

すると、マンホールなどない場所なのに、道(地面)から湯気のような霧が上がってくるのが見えた。「なんだ?」と思った瞬間、その湯気はたちまち大きな塊になり雲のような感じで上(空の方)へ上昇していく。すぐさま弟に「なんか白い霧のような雲のようなものが地面から沸き出てきて、空へ登っていくんだけど!」と報告した。
振り返った弟が叫んだ「おい!そこ、自殺があった場所じゃねーか!
私は驚き、立ち止まりふと横を見ると、自殺のあった場所の真ん前だった。友人二人もびっくりし、弟とダッシュで逃げ出してしまった。
私も後を追うように走ってその場を去った。

後から友人たちに聞くと、友人二人と弟は、その雲のような物体は見えなかったとのこと。私だけ見えたようだった。

以上だが、今考えても不思議な出来事だった。
まず、白昼にそのような自殺の仕方をして、私が発見するまで、誰もその道を通行する者がいなかったこと。
そうは言っても、都会の裏路地、少ないながら人は通る。ということは、自殺してからさほど時間は経っていないことが予想される。おそらく、その整備工場で働いている従業員だとしたら、昼休みに自殺したのであろう。そうなると、私が発見した時点では、まだ息していた可能性さえ考えられる。

後になって(22年後の37歳ごろ)、この出来事を茨城県でお寺の住職を務める親戚(従兄)に話すと、「おそらく、ちゃんと成仏できておらず、一番最初に発見したあなたの前に現れたのだろう。次にその場所を通るときがあれば、安心して成仏されるよう、心に唱え手を合わせるとよい。」と話してくれた。その後、その場所を訪れ、従兄が教えてくれた通り、手を合わせた。この従兄の住職に、ついでに長年、私が悩んでいたというか、困っていたことを相談した。その相談事も、従兄の住職はぴしゃりと当ててしまい、解決に導いてくれたエピソードがある。それは、下段の「番外」で紹介したい。

現場

2025年4月、ブログ記事にするにあたり、改めて現場を訪れてみた。
裏路地といえどマンションや住宅が立ち並ぶため、モザイクをかけておきます。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
現場写真

首吊り自殺に遭遇した現場。新しくはなっているが金網のフェンスはまだ残っている。
フェンスの向こうにかつてあった自動車整備工場(店舗)はなくなり、今はマンションが建っている。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所で1991年ごろ幽霊を見た場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
幽霊のようなものを見た場所

地面から雲のような霧が湧き出て見えた現場。
首吊り自殺のあった場所(フェンス)の真ん前。マンホールや排水溝などは存在しない。
写真右側(フェンスの反対側)は住宅の塀になっている。

現場を後にするとき、しっかり成仏されたことを祈って、改めて手を合わせた。

関連情報

この事件の3年後の中学3年生の時、骨折で入院中に不思議な夢を見た。
もしかしたら、夢に出てきたのはこの自殺者だったのではないかと、今になって少し思った。(→1992年、中学3年生・15歳の時入院中に見た不思議な幽霊の夢

以前、ラジオ番組「おはよう寺ちゃん presents 異次元電波クラブ 4~あなたを異世界に誘うラジオ~」(文化放送)内で、霊感のあるスピリチュアル芸人 小出真保(こいでまほ)氏が、「幽霊はモヤのようなもの」と発言しているのを聞いて心から納得してしまった。

また後日、私の双子の弟Mと義理兄Sが、同様のモヤのような幽霊を見たことがあると話してくれた。(→私の双子の弟Mと義理兄Sが見た幽霊


【番外】私の長い悩みごとを、従兄の住職が解決してくれたエピソード

私は仕事柄、取引先が多いため浅草(台東区)へ行くことが多いのだが、昔から浅草へ行くたび、肩が重くなる現象に悩まされてきた。特に浅草駅を降りて墨田川周辺を歩いているとき、何かが肩に乗ってくる感覚で肩が重くなり、心は沈み寂しい気持ちなり、何をしても楽めない、という現象だった。この現象は、靴業界に携わった20代前半ごろからで、従兄に相談した37歳ごろまで続いていた。

私は、革靴に関わる仕事に従事しているため、「牛の霊魂」だろうと長く思っていた。
浅草は、日本で最大の革靴の産地で、江戸時代末期から皮革の産地でもあった。
皮革を製造するにあたり大量の水を必要とするため、墨田川周辺には古くから多くの鞣し工場(原皮を皮革へ加工する業者)があった。当然、かつて近くには、牛の解体場(屠畜場)もあった。そのためかわからないが、浅草からほど近い隅田川を渡ってすぐの「牛島神社」(墨田区向島1丁目)には、牛が祀られている。
狛犬の場所には「狛牛」が置かれ、境内には撫でるとご利益があるとされる「撫で牛」が祀られている。牛は古くから、仏教やヒンドゥー教では神聖な動物とされているためだが。
長年そんな症状に悩まされてきた私は、20代中ごろ牛島神社を訪れ参拝したこともある。しかし、その症状の改善にはつながらなかった。

浅草へ行くたびに悩まされていた私は、茨城県のお寺の住職を務める従兄に、そのことを打ち明けた。
話を聞くなり、従兄は開口一番「それは、東京大空襲でしょう。」と言った。
私は「はっ!」とした。どれだけ多くの方々が命を落としたことか。(一夜にして犠牲者は11万人以上とされる。)しかも、火に追われ数えきれない人々が隅田川に身を投じ、お亡くなりになった。私の小学5、6年生の時の担任だったO先生(故人)は、当時浅草に住んでいて(先生のお父様は浅草警察署に勤めていたという。)、子どもの頃に東京大空襲を経験。家族で逃げたエピソードを何回も話してくれたのを思い出した。家族は無事に逃げることができたが、愛犬を失ったと悲しそうにいつも語っていた。火の海のなか死に物狂いで逃げたこと、隅田川に溢れるくらいの人が飛び込んでいた惨状など、生々しく語り聞かされた。O先生は戦後、板橋区に越してきて都の教員を務めあげた。私は、32歳の時、偶然にもO先生と同じ町(徒歩圏内)に越してきて、のちに生前に再会することができた。ご縁を感じざる得ない。

私は、従兄の言うことに心底納得し、次回浅草を訪れる際は、慰霊碑に手を合わせることに決めた。私の祖父は先の大戦の戦争経験者で、満州に出兵し、終戦後ソビエト軍に抑留され、戦後5年間強制労働に耐え帰国した男だった。(参考:ウィキペデア>シベリア抑留
私はその祖父と16歳になるまで一緒に住み、戦争の話は何回も聞いて育った。なのに、「なんで、今まで気が付かなかったんだろう。」と自分を恥じた。

後日、次男を連れて浅草を訪れ、隅田川沿いの台東区立隅田公園内にある、「東京大空襲戦災犠牲者追悼碑」に手を合わせた。今でも沢山の千羽鶴が捧げられていた。
その瞬間、私の心の中でなにか変化を感じた。

嘘のようだが、この日以来、体が軽くなり、今まで悩まされた症状がなくなったのだ。
今も、仕事で浅草はよく訪れるのだが、そのような症状が出ることは一切なくなった。
なので、より一層この気持ち(犠牲者を悼む心)を大切にしたいと思った次第だ。
住職の従兄には本当に感服してしまった。

住職の従兄の幽霊目撃談

その茨城県のお寺の住職を務める従兄は、一度だけ幽霊をはっきり見たことがあると話してくれた。
それは従兄が若かった頃、ある日の夜、実家(お寺)から外へ出て、境内にある墓地を見ると、ある墓石の前に、白い着物を着た黒髪の長い女性が、赤ん坊を抱っこして立っているのが見えた。
こんな夜遅くに、墓参りする人なんているはずがない。
従兄はそう思った。

幽霊目撃談-お墓の前で赤ちゃんを抱っこする白い着物を着た女性の姿

それはそのはず。従兄のお寺は、茨城県内のある駅から離れた山里に位置している。周囲は畑や田んぼに囲まれ、民家もそう多くない地区だ。なので、檀家さんは車で来ることが多い。
従兄は、おかしいなと思いながら、しばらくその女性の姿を見ていたが、ふと目をそらした瞬間に消えてしまったそうだ。
後にも先にも、従兄が幽霊らしき姿を見たのは、この一度きりだという。



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【夢に出てきた話】怪談『山小屋のお婆さん』を執筆しました。

2020年10月23日の朝、小学生ごろに友達から聞いた怖い話が、夢に出てきた。
話自体うろ覚えであったので、改めて思い出して加筆し再構成して作り直した。
題名は『山小屋のお婆さん』とした。

怪談『山小屋のお婆さん』-2020年大嶋信之(Nobuyuki Oshima)著
『山小屋のお婆さん』

1000文字程度なので、2~3分で読み切れる内容ですので、よろしければ読んでみてください。わかると少しゾッとするお話です。
『山小屋のお婆さん』



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