私は、中学3年生の時、右腕を骨折して手術のために二度入院した。(一度目の手術で折れた骨をボルトで固定し、二度目の手術でボルトを抜いた。共に全身麻酔だった。)
骨折の原因は、体育館での体育の授業の後、調子に乗って友達に披露しようと、マットも敷かず助走をつけてロンダート(側転)からバック転したところ、肩から落ちてしまい、上腕骨の骨頭が見事にきれいに折れてしまった。小学6年まで体操を習っていたので、中学1年くらいまでは何なくできたのに、中学3年生になると身長も20cmは伸びていて体重も増えていたので、体のコントロールができなくなっていた。(落ちたのが肩からだったのは幸運だった。首だったら大変なことになっていた。)
母親もたまたまPTA活動で学校にいて、すぐ保健室に来た。(今考えるとこれも偶然だが。)
学校からタクシーで病院へ行くと、そのまま入院になってしまったため、数日後に控えた、楽しみにしていた京都への修学旅行が急遽行けなくなってしまった。
一度目の入院の時だった。ある朝、不思議な夢を見て起床した。
その夢は、自分が死んだ夢だった。(後から知ったのだが、自分が死ぬ夢は、夢占いでは大吉夢らしい。)
自分が、自分の体から抜け出し、下を見ると自分が入院した病室のベッドの上で死んでいる。
周囲に母親や友達が何人かいて、悲しみで泣いていた。
泣いている家族や友人に話しかけても、私の声はまったく聞こえないようだった。
焦った私は、夢の中で何度も「僕、死んでないよ!ここにいるよ!」と繰り返し叫んだ。
母親や友人の肩をいくら両手で掴もうとしても、すり抜けてしまい掴めない。
「あ、僕本当に死んじゃったんだ。」そう思って落胆した。
夢の中で、しばらく気を落として、泣きたい気持ちを抑えられなかった。
「もう、誰とも話せないんだ。」そう思い、孤独が怖くて、たまらなくなった。
その時、背後から声が聞こえた。
「私とだけは話せるんだよ。」男の人の声だった。
少し嬉しくなって振り向くと、なんと三角巾を額につけた、白い着物を着た中年のおじさんだった。
足もなく浮遊していて、いわゆる俗に言う「幽霊」そのものだった。(笑)
後から考えると、わかりやすく死装束(しにしょうぞく)を着用していたところが非常に面白いというか興味深い。
「そっか、僕は死んだんだから、幽霊の方とは話すことができるんだ。」そう思って少し嬉しくなった。さっきまでの孤独の恐怖は和らいで、話し相手がいることに安堵した。
その時、夢から覚めた。
目が覚め「夢でよかったー!」と心から思い、嬉しくなった。
それにしても不思議な夢だったと思った私は、仲良くさせてもらっていた同じ病室で隣のベッドのGさんという年配の男性にさっき見た夢の話を始めた。
病院は朝食前だった。起床したばかりのGさんは興味深く私の話を聞いてくれた。
その時だった。
急に病棟全体が慌ただしくなった。
私の病室(4人部屋)含め、他の病室の患者さんも「何だなんだ?」となった。
私が入院していた病院は、大きな都立病院で、ワンフロアがまるまる整形外科の入院病棟だった。
複数の看護婦さんが大慌てで廊下を行き来し、4室くらい先のある一つの病室に集合していた。
大がかりなギブスを装着していた私は身動きが難しく、Gさんが看護婦さんに聞きに行ってくれた。
どうやら、4室くらい先の一室(4人部屋)で入院していた90代のお婆さんが、朝亡くなったらしい。整形外科で亡くなる患者さんは珍しいため、対応できる先生が常駐しておらず、大騒ぎになっていたらしい。
まあ、偶然だとは思うが、こういった夢を見てすぐに、なおその話をしている最中の出来事だったので、「なんか、霊界が近づいていることを、察知してしまったな。」と自分で思った。なので、強く記憶に残っている。
以上でこの話は終わりだが、
余談があって、京都の修学旅行から帰ってきた友人が何人もお見舞いに来てくれた。
わざわざお土産を買ってきてくれた友人も何人もいた。非常に嬉しかった。
しかしだ、みんな揃いに揃って「八ツ橋」だったのだ(笑)
私のベッドに八ツ橋の箱が山積みになって、一時、八ツ橋に飽きてしまいしばらく食べられなくなったほどだ。
だけど、限られたおこずかいの中から、私のために買ってきてくれて、本当に感謝している。
あと、不思議な話がもう一つだけあって、入院中にお見舞いに来てくれた人の話。
まずは、同級生で大好きだった親友のお姉ちゃん。
私が入院した時、バイクで転倒して片足を骨折して偶然同じ病棟で入院中だった。
入院当初、腕を牽引していて身動きが取れない私の部屋に、たまに松葉杖でお見舞いに来てくれた。入院してすぐは寂しい気持ちだったので、とてもありがたかった。
これは本当にたまたまで、嬉しかった偶然の話。
次に、幼馴染みの三つ上のお兄ちゃん(仮にYちゃんとする)の話。
これは今でも不思議な話。
Yちゃんは、生まれた時から近所に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだったのだか、数年前に引っ越してしまい、引っ越した当初はよく遊びに行っていたが、しばらく会っていなかった。
面倒見がよいYちゃんを、私は大好きだった。
入院中のある日、そのYちゃんがお見舞いに来てくれたというのだ。
私は手術の前後だったためかうろ覚えだが、Yちゃん家族の連絡先は、母しか知っておらず、私からも当然連絡していない。母も連絡していないと言うのだ。
どうやって私が入院していることを知ったのだろう。ましてや入院先の病院なんて、誰からか聞かなきゃ絶対にわからないはず。
その時の話になると、今でも母がこう言う、
「Yちゃんがお見舞いに来てくれたのよ!私、何の連絡もしてないのよ。どうやって入院を知ったのか今でもわからない。不思議なことってあるのね。」
それ以降、Yちゃんとは会っていないが、今何してるのだろう。会いたいな。(もしこのブログを見ていたら、Yちゃんだったらわかると思うので、よかったら連絡ください。弟のKちゃんにも会いたいです。)
あと、この記事を執筆しているときに、気づいたのだが、夢の中で会った幽霊のおじさんって、入院の約3年前に私が遭遇した自殺者だったりして、って少し頭によぎりました。
それはそれで、なんとなく腑に落ちる、ような気がする。
Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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