【不思議体験】1989年(12歳・小学6年生)の時、街中で自殺者第一発見者になる。数年後、同じ場所で霊魂(幽霊)のようなものを見る。(心霊体験)

首吊り自殺者を発見する
その場所で不思議なものを見る
現場
関連情報
【番外】私の長い悩みごとを、従兄の住職が解決してくれたエピソード
 ・住職の従兄の幽霊目撃談

首吊り自殺者を発見する

私は、1989年当時12歳(小学6年生)だった時、いつも通る学校の帰り道の途中、偶然自殺者を発見(というか遭遇)したことがある。

ある土曜日の下校中、家の近くの友人宅前まで友人と一緒に帰ってきて、友人と別れ一人になってすぐのところで、目の前に40代くらいの男性が金網のフェンスに首を吊った状態でぶら下がっていた。

1989年(12歳、小学6年生)街中で自殺者第一発見者になる

場所は、東京都豊島区西巣鴨の某所、大通りから一本入った裏路地で、車はギリギリ通ることができない道幅(2mくらい)、人通りも比較的少ない道だった。当時、私の自宅はその道から大通りに出てすぐのところにあったので、その道を通ることが多かった。(→UFOもこの道で見た。

時間はお昼頃、給食がない土曜日の帰り道だったので、よく覚えている。(当時は週休二日制ではなく、土曜は午前中の4時間授業のみで給食なしだった。)
私は土曜のみ体操教室に習っていて、土曜日は毎週、帰宅し昼食を食べたら、すぐに体操教室に向かうのだった。

男性の容姿は、頭はアフロヘア、つなぎの作業着を着ていた。
首には、針金のようなグレー色のバンドのような何かで、金網に結んであった。
フェンスの向こうは、当時、某大手自動車メーカーの整備工場(兼販売店)があったので、そこの作業員だろうなと思った。

私は、Uターンをして、先ほど別れた友人の家に行き、友人の母親に報告した。友人の父親は公務員をされていて、土曜日の昼間は不在だった。(公務員も当時は週休二日制ではなかった。)
そして友人と母親と三人で、現場へ向かった。
友人の母親は、首を吊った男性が見えてくると、非常にビックリしたらしく、「キャ!」と声を上げ、立ち止まってしまい、気持ち悪がって近づけなかった。(それは当然だろう)
ちょうどその路地手前で、建築中だった小規模なマンションがあったため、そこの建築作業員を呼びにいくことにした。(ちなみに、記憶では私が5年生か6年生の頃の出来事だった気がしていたが、本記事を執筆するにあたり、そのマンションの築年月を確認したところ、6年生の時だったと確定することができた。)

建築現場の若い男性作業員一人に伝えると、その作業員が一緒に確認に付き添ってくれることになった。男性作業員は、首を吊った男性に近づき、片足を握って揺さぶった。
何の反応もないことを確認し、「こりゃ、死んでますねー」と言った。

友人の母親とその男性作業員が警察へ通報すると言うので、私は一旦帰宅することになった。
自宅で昼食をとり、体操教室へ向かう際に、再度同じ道を通ると、すでに警察や救急車が到着し、友人の母親が数名の警察官と話していた。見物者も何人もいた。

私は、それらを横目に体操教室へ向かった。
「あとは、友人の母親に任せよう。」そう思った。

その後、日常に戻り、その道は毎日のように通るので、そんな事件があったことなど忘れていた。

その場所で不思議なもの(幽霊・霊魂のようなもの)を見る

事件から3年過ぎた15歳(中学3年生)の頃、学校の友人2人と双子の弟と私の4人でその道を歩いていた。
私は、3人の後ろを下を向いて歩いていた。学校が終わって、4人で遊びに向かうところだったと思う。時間はお昼くらいだったと記憶している。なので、この日も土曜日だったかもしれない。その時は自宅側(大通り側)から、自殺者発見時とは逆方向から歩いていた。

1992年に見た幽霊のような霧(心霊現象)

すると、マンホールなどない場所なのに、道(地面)から湯気のような霧が上がってくるのが見えた。「なんだ?」と思った瞬間、その湯気はたちまち大きな塊になり雲のような感じで上(空の方)へ上昇していく。すぐさま弟に「なんか白い霧のような雲のようなものが地面から沸き出てきて、空へ登っていくんだけど!」と報告した。
振り返った弟が叫んだ「おい!そこ、自殺があった場所じゃねーか!
私は驚き、立ち止まりふと横を見ると、自殺のあった場所の真ん前だった。友人二人もびっくりし、弟とダッシュで逃げ出してしまった。
私も後を追うように走ってその場を去った。

後から友人たちに聞くと、友人二人と弟は、その雲のような物体は見えなかったとのこと。私だけ見えたようだった。

以上だが、今考えても不思議な出来事だった。
まず、白昼にそのような自殺の仕方をして、私が発見するまで、誰もその道を通行する者がいなかったこと。
そうは言っても、都会の裏路地、少ないながら人は通る。ということは、自殺してからさほど時間は経っていないことが予想される。おそらく、その整備工場で働いている従業員だとしたら、昼休みに自殺したのであろう。そうなると、私が発見した時点では、まだ息していた可能性さえ考えられる。

後になって(22年後の37歳ごろ)、この出来事を茨城県でお寺の住職を務める親戚(従兄)に話すと、「おそらく、ちゃんと成仏できておらず、一番最初に発見したあなたの前に現れたのだろう。次にその場所を通るときがあれば、安心して成仏されるよう、心に唱え手を合わせるとよい。」と話してくれた。その後、その場所を訪れ、従兄が教えてくれた通り、手を合わせた。この従兄の住職に、ついでに長年、私が悩んでいたというか、困っていたことを相談した。その相談事も、従兄の住職はぴしゃりと当ててしまい、解決に導いてくれたエピソードがある。それは、下段の「番外」で紹介したい。

現場

2025年4月、ブログ記事にするにあたり、改めて現場を訪れてみた。
裏路地といえどマンションや住宅が立ち並ぶため、モザイクをかけておきます。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
現場写真

首吊り自殺に遭遇した現場。新しくはなっているが金網のフェンスはまだ残っている。
フェンスの向こうにかつてあった自動車整備工場(店舗)はなくなり、今はマンションが建っている。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所で1991年ごろ幽霊を見た場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
幽霊のようなものを見た場所

地面から雲のような霧が湧き出て見えた現場。
首吊り自殺のあった場所(フェンス)の真ん前。マンホールや排水溝などは存在しない。
写真右側(フェンスの反対側)は住宅の塀になっている。

現場を後にするとき、しっかり成仏されたことを祈って、改めて手を合わせた。

関連情報

この事件の3年後の中学3年生の時、骨折で入院中に不思議な夢を見た。
もしかしたら、夢に出てきたのはこの自殺者だったのではないかと、今になって少し思った。(→1992年、中学3年生・15歳の時入院中に見た不思議な幽霊の夢

以前、ラジオ番組「おはよう寺ちゃん presents 異次元電波クラブ 4~あなたを異世界に誘うラジオ~」(文化放送)内で、霊感のあるスピリチュアル芸人 小出真保(こいでまほ)氏が、「幽霊はモヤのようなもの」と発言しているのを聞いて心から納得してしまった。

また後日、私の双子の弟Mと義理兄Sが、同様のモヤのような幽霊を見たことがあると話してくれた。(→私の双子の弟Mと義理兄Sが見た幽霊


【番外】私の長い悩みごとを、従兄の住職が解決してくれたエピソード

私は仕事柄、取引先が多いため浅草(台東区)へ行くことが多いのだが、昔から浅草へ行くたび、肩が重くなる現象に悩まされてきた。特に浅草駅を降りて墨田川周辺を歩いているとき、何かが肩に乗ってくる感覚で肩が重くなり、心は沈み寂しい気持ちなり、何をしても楽めない、という現象だった。この現象は、靴業界に携わった20代前半ごろからで、従兄に相談した37歳ごろまで続いていた。

私は、革靴に関わる仕事に従事しているため、「牛の霊魂」だろうと長く思っていた。
浅草は、日本で最大の革靴の産地で、江戸時代末期から皮革の産地でもあった。
皮革を製造するにあたり大量の水を必要とするため、墨田川周辺には古くから多くの鞣し工場(原皮を皮革へ加工する業者)があった。当然、かつて近くには、牛の解体場(屠畜場)もあった。そのためかわからないが、浅草からほど近い隅田川を渡ってすぐの「牛島神社」(墨田区向島1丁目)には、牛が祀られている。
狛犬の場所には「狛牛」が置かれ、境内には撫でるとご利益があるとされる「撫で牛」が祀られている。牛は古くから、仏教やヒンドゥー教では神聖な動物とされているためだが。
長年そんな症状に悩まされてきた私は、20代中ごろ牛島神社を訪れ参拝したこともある。しかし、その症状の改善にはつながらなかった。

浅草へ行くたびに悩まされていた私は、茨城県のお寺の住職を務める従兄に、そのことを打ち明けた。
話を聞くなり、従兄は開口一番「それは、東京大空襲でしょう。」と言った。
私は「はっ!」とした。どれだけ多くの方々が命を落としたことか。(一夜にして犠牲者は11万人以上とされる。)しかも、火に追われ数えきれない人々が隅田川に身を投じ、お亡くなりになった。私の小学5、6年生の時の担任だったO先生(故人)は、当時浅草に住んでいて(先生のお父様は浅草警察署に勤めていたという。)、子どもの頃に東京大空襲を経験。家族で逃げたエピソードを何回も話してくれたのを思い出した。家族は無事に逃げることができたが、愛犬を失ったと悲しそうにいつも語っていた。火の海のなか死に物狂いで逃げたこと、隅田川に溢れるくらいの人が飛び込んでいた惨状など、生々しく語り聞かされた。O先生は戦後、板橋区に越してきて都の教員を務めあげた。私は、32歳の時、偶然にもO先生と同じ町(徒歩圏内)に越してきて、のちに生前に再会することができた。ご縁を感じざる得ない。

私は、従兄の言うことに心底納得し、次回浅草を訪れる際は、慰霊碑に手を合わせることに決めた。私の祖父は先の大戦の戦争経験者で、満州に出兵し、終戦後ソビエト軍に抑留され、戦後5年間強制労働に耐え帰国した男だった。(参考:ウィキペデア>シベリア抑留
私はその祖父と16歳になるまで一緒に住み、戦争の話は何回も聞いて育った。なのに、「なんで、今まで気が付かなかったんだろう。」と自分を恥じた。

後日、次男を連れて浅草を訪れ、隅田川沿いの台東区立隅田公園内にある、「東京大空襲戦災犠牲者追悼碑」に手を合わせた。今でも沢山の千羽鶴が捧げられていた。
その瞬間、私の心の中でなにか変化を感じた。

嘘のようだが、この日以来、体が軽くなり、今まで悩まされた症状がなくなったのだ。
今も、仕事で浅草はよく訪れるのだが、そのような症状が出ることは一切なくなった。
なので、より一層この気持ち(犠牲者を悼む心)を大切にしたいと思った次第だ。
住職の従兄には本当に感服してしまった。

住職の従兄の幽霊目撃談

その茨城県のお寺の住職を務める従兄は、一度だけ幽霊をはっきり見たことがあると話してくれた。
それは従兄が若かった頃、ある日の夜、実家(お寺)から外へ出て、境内にある墓地を見ると、ある墓石の前に、白い着物を着た黒髪の長い女性が、赤ん坊を抱っこして立っているのが見えた。
こんな夜遅くに、墓参りする人なんているはずがない。
従兄はそう思った。

幽霊目撃談-お墓の前で赤ちゃんを抱っこする白い着物を着た女性の姿

それはそのはず。従兄のお寺は、茨城県内のある駅から離れた山里に位置している。周囲は畑や田んぼに囲まれ、民家もそう多くない地区だ。なので、檀家さんは車で来ることが多い。
従兄は、おかしいなと思いながら、しばらくその女性の姿を見ていたが、ふと目をそらした瞬間に消えてしまったそうだ。
後にも先にも、従兄が幽霊らしき姿を見たのは、この一度きりだという。


Home ブログ(投稿記事)一覧 オカルト情報・研究、体験談 私が経験した不思議体験 【不思議体験】1989年(12歳・小学6年生)の時、街中で自殺者第一発見者になる。数年後、同じ場所で霊魂(幽霊)のようなものを見る。(心霊体験)

Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
プロフィール

Email
info@nobart.com

Follow me

サイトインフォメーション

ページカテゴリー
ブログ(投稿記事)カテゴリー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です