まえがき
私は高校3年生の頃、親子の不思議さというか、親子って目に見えない何かで繋がっているんだなと感じた不思議な日がある。その体験談を以下に紹介したい。
『親子の目に見えない何かを感じた日』
(文・イラスト/大嶋信之)
それは、今から30年前の1995年高校3年生の夏休みで、8月15日のお盆に茨城県阿字ヶ浦へ一人でサーフィンに出かけた日のこと。
当時、サーフィンにドハマりしていた私は、学校生活というよりバイト(ガソリンスタンド)とサーフィンに明け暮れていた。勉強はまったくと言っていいほどいていなく、大好きな物理の授業(先生とマンツーマンの選択科目の授業)がある日だけ学校に行くといった具合だった。
夏休みも当然バイトとサーフィン(当時サーフィンは主に電車で湘南や千葉外房に行っていた。)に明け暮れていたわけだが、8月15日のお盆の日に母の実家(茨城県水戸市)にお線香をあげに行くついでに、ひたちなか市にある阿字ヶ浦(あじがうら)海岸でサーフィンしようと思い立った。
8月15日は、父と母は電車で日帰りで行くというので、私は前日の14日に(電車で)行ってお線香をあげ、そのまま一泊させてもらい、翌日の15日早朝に始発で阿字ヶ浦へ向かい、日没までサーフィンし、そのまま東京へ帰宅することに決めた。
14日の夕刻に、母の実家に到着すると、お線香をあげ、叔母が作ってくれた夕食をいただき、明日は(時間的にも)コンビニに寄れないだろうから、前もってサーフィン中に食べる食べ物と飲み物をコンビニに行って買っておこうと思った。当時、少し離れた場所に「SPAR(スパー)」というコンビニがあったので、徒歩で行こうとしたのだが、叔母が「夜道は危ない」ということで、実家に住んでいた従兄が車で連れて行ってくれた。
当時私は、バイトで稼いだお金をサーフィン(道具や交通費)に全ベットしていたので、いつも限られたお金しか持ち歩かなかった。
また以前、浜辺に置いた荷物(ボードケース、着替えから財布など)をまるまる盗まれた経験もあり、サーフィンに行くときは、極力余分な現金を持っていかないようにしていた。
この日も、往復の電車代+コンビニ代(一日の飲食代)のみを所持していた。
なので、計画通りコンビニで、帰りの電車代を残し、すべてのお金を食べ物と飲み物に使った。夕方までを考慮して、たしか1500円分くらい買ったと思う。
日が明けて早朝、叔母が作ってくれた朝飯をとり、出発。

サーフボードケース(ハードケース)に、水着やウェット、タオル、着替えなどを入れたリュックを背負った電車サーファースタイル。いつも、このお決まりの格好でどこへでも電車でサーフィンしに行っていた。
最寄りのJR赤塚駅まで歩いて常磐線に乗り、二駅目(水戸駅の次)の勝田駅からローカル線(ひたちなか海浜鉄道)に乗り継いで阿字ヶ浦駅で下車から徒歩、無事に阿字ヶ浦海岸へ到着。

当時の阿字ヶ浦海岸は、遠浅の砂浜で良質な波が割れるということから、サーフスポット(サーフィンスポット)として有名だった。(現在はテトラポットが設置されたことにより、波が割れづらくなりサーフィンが厳しくなったと聞く。)
この日も波はまあまあで、腰~セット腹胸前後といった、当時の私にはちょうど良い波だった。
他のサーファーは皆、車で来ていて、電車サーファーは、私一人だけだった。(笑)
浜辺に荷物を置いて、着替えを始めた。
その時だった!

昨日コンビニで買った食べ物&飲み物一式、母の実家に袋ごと忘れて置いてきてしまったことに気づいた!!
「飲み物もない、これはまずいな・・・」と落胆し思った。
手持ちのお金は帰りの電車代ピッタリしかない。
当時は今みたく携帯電話もなければ、お金もぴったんこしかないので公衆電話も使えない。
我慢するしかないなと思い、諦めることにした。
「のどが渇いたり空腹で我慢できなくなったら、早めに海から出よう。」そう思った。

この日は、水はきれいで天候も良く、波もそこそこで、気持ちよくサーフィンを楽しむことができた。
空腹や喉の渇きを忘れて、細かな休憩をはさみながら、結局日が暮れる夕方まで海に入ってしまった。
海から上がり、着替え終わって、さすがにヘトヘトに疲れ切っていた。
空腹はさることながら、のどの渇きが我慢できなかった。
頭が少しクラクラしながら、歩いて阿字ヶ浦駅に到着。
東京までの切符を買う。

切符代を払い、残金110円だった!笑
「この110円で、食べ物(パン)、飲み物、どっちを買おうか・・」迷った。
迷ったあげく、強烈な喉の渇きと、甘いもの欲しさに、駅の自動販売機で缶コーヒー(アイスコーヒー)を買うことにした。

当時大好きだった(今も好きだが笑)、ジョージアの缶コーヒー(ミルクコーヒー)、250ml缶で110円だったと思う。これでこの日のお金はすっからかん(笑)
甘くて美味しくて、一気に飲み干した。この日ほど、缶コーヒーが美味しいと感じたことはない。もともと好きだったが、ますます好きになってしまった。渇き切った喉と、海水で塩辛くなった口の中に、甘いジョージアが染み入るように溶けていった。
電車が来て乗り込む。
空腹と喉の渇きは、ジョージアで少しは和らいだが、それも一瞬で、またすぐに強烈な空腹が襲ってきた。
「でも、朝飯を食べてきたことは幸いだった。早朝にもかかわらず作ってくれた叔母には感謝だな。」そう思った。
勝田駅に到着し、上野行きの鈍行(どんこう※)の常磐線に乗り換える。
時間は19:00ごろだったと思う。外は暗くなっていた。
(※鈍行列車=各駅停車、普通列車のこと。)
強烈な空腹と喉の渇きに耐えながら、
「このまま、東京(帰宅)まであと2時間ちょい、我慢だ!」そう自分に言い聞かせる。
また、「なんで、忘れて行ってしまったんだろう?」と自分を責めつつ、電車に揺られ出発の勝田駅から二駅目の、母の実家の最寄りの「赤塚駅」に到着。
その時だった!!

なんと、ホームに日帰りで来ていた父と母の姿が!!
そして、扉が開いて私と同じ車両に乗り込んでくるではないか!!
そして、母の手には、あのコンビニ袋!!!

「なんて奇跡なんだ!」私は思った。
空腹からくる幻かと思ったくらいだ。
父母もびっくり、帰りがまさか同じ電車(車両)になるなんて。
そして、私が忘れて置いていってしまった食べ物と飲み物を持っている!
聞くと、叔母が母に持たせてくれたらしい。今思うと叔母には感謝でしかない。
そして、電車の中で、昨日買ったパンと飲み物にありつくことができた。
すべてが美味しかった。
食べながら、
「この状況で、昨日買った食べ物持って、同じ電車、しかも同じ車両に乗り込んでくるなんて、親子って何か、目に見えないなにかで繋がっているんだな、絶対。」そう思った。
母は、「帰りの電車で食べようと思ってたのに。」と言った。(笑)
おしまい。
あとがき
この出来事があった日が、お彼岸だったか、お盆だったか、うろ覚えだったので、ブログ記事にするにあたり母に再確認すると、「夫婦で日帰りでお線香をあげに行くなんてお盆しかない」と言うので、お盆に確定できた。
お盆ということもあり、ご先祖様が助けてくれたのかな(笑)
というより、執筆しながら、今は亡き叔母への感謝の念が改めて湧いてきた。(この日に限らず大変世話になった。)
そもそも、買った袋を丸ごと忘れてしまう自分が、かなりのおっちょこちょいなのだが。
2025年9月20日 大嶋信之
Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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