私の子ども(長男)の胎内記憶

私の長男が3~4歳くらいのとき、よく言っていた生まれる前の記憶をお話したい。
そんな長男は、もう大学生になる。

(イラスト・文/大嶋信之)


次男が生まれ、休日になると私と長男二人で出かけることが多くなった。
生まれたばかりの次男と妻を家に残し、私たち二人は、当時長男の好きだった電車を見に行ったり、その電車に乗ってどこかの公園や商業施設に行ったりして遊んで夕方まで過ごした。帰りに二人で銭湯に寄って帰ることもしばしば。

小象の上に乗って山から降りてきたイラスト-私の子供(長男)の胎内記憶

そんな時、私は興味本位で「生まれるとき、どこから来たの?」とか、「生まれる前の記憶ってある?」といった質問を会話の中でしてみることがよくあった。
すると4歳の長男は、決まって「子どもの象さんに乗って山から降りてきた。親の象さんも一緒にいて、僕を降ろすと、象さん親子は山に帰っていった。」と答えていた。3歳くらいから同じことを言っていた記憶がある。
帰り道、近所の木々の生えた斜面を見ると、「あの山から降りてきたんよ。」と教えてくれることもあった。

山から降りたところで子象から降りて、象の親子は山へ帰っていったイラスト-私の子供(長男)の胎内記憶

山を下り、子象から降りると、親子の象は山に戻っていったそうだ。

長男(子ども)の生まれたイラスト

そして、ママから生まれたという。
なんとも不思議な話だ。
まあ、象は仏教やヒンドゥー教では、特に神聖な動物とされているので、そういうこともあるだろうなと思ってしまう。お釈迦様の母は、白象が胎内に入る夢を見た後、懐妊したという伝説もあるくらいだ。

象の親子の置物
象の親子の置物

当時、おもちゃ屋で見つけて思わず購入した、象の親子の置物。
長男と関係しているであろうと思い、15年経った現在でもリビングに飾っている。



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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【不思議体験】デジャブが連発した日-虫刺されによるアナフィラキシーか!?

まえがき

私は、4年前(2021年)のある日、デジャブ(※)が連発した不思議な体験がある。
記録のために、以下に記しておきます。

※デジャブ(dejavu)とは、初めての体験なのに、過去に経験したような記憶があることを言います。例えば、初めて来た土地なのに過去に訪れた記憶があったり、今この瞬間の感覚が過去に夢で見た気がする、初めて会う人なのに過去に会ったことのあるような気がする(これは、スピリチュアル的に言えば、前世で会っているか、ソウルメイトという魂レベルでの知人を意味することが多いようだが。)など。

(文・イラスト・写真/大嶋 信之)


『デジャブが連発した日』(2025年12月14日著)

私は、幼少期からデジャブはけっこう多く体験する体質なのだが、ある日、それが連発する異様な出来事があった。

時は2021年10月のある日の夕方のこと。
仕事を終え、ジョギングに出かけ、帰り道に筋トレをしようと、ある公園の鉄棒で懸垂をし、鉄棒近くのベンチで腕立て伏せをし、ベンチの前でスクワットをしている最中に起こった。

急に、デジャブの感覚に襲われたのだ。
今この瞬間を、夢で見たのか、すでに知っている。
とふと感じた。

通常のデジャブなら、一度か二度で終わり、すぐに素に戻るのだが、この日だけは違った。スクワットを終え、再び懸垂をしようと鉄棒へ移動した瞬間も、「この光景、知っている。」と感じ、その後の行動も、またその後の行動も、「この瞬間を知っている。」という連続した感覚に襲われ、デジャブが止まらなくなったのだ!

気を反らそうと、公園の木々などに目を移しても「この光景をすでに知っている。」という感覚に。確かにその公園で筋トレをするのは初めてではなかった。数年間、何回も訪れていた。
しかし、そういった過去の記憶とはまったく違う感覚で、説明しにくいのだが「ごく最近夢で見た光景と感情」というのが最も近い感覚かと思う。この今の感覚を、今朝、または昨日か、夢で見たような感覚。いつ見た夢なのか、なぜ記憶にあるのか、思い出そとしたのだが、その行為自体も「すでに知っている。」という感覚になってしまった。

今この瞬間にやることなすこと、すべて記憶がある。
こんな初めての感覚に陥り、私は急に怖くなってしまった。

「きっと、今日という日は、なにか、特別な日なのかもしれない。」そう思い始め、筋トレを中断し、家に帰ろうと公園を後にすることにした。
公園を後にし、家路に向かい歩き始めても、デジャブはまったく収まらない。
歩く道、光景、こうして帰ろうとした自分とこの感情、すべてがすでに記憶にある感覚で、なんと、直後に起こる出来事の予測もできるようになっていた

路地から出てくる女性のイラスト-デジャブで予想した光景が現実になった体験談

「この記憶(デジャブ)が正しければ、あの先の路地からこういう格好の女性が出てくるはず。」と思った瞬間、案の定記憶と同じ女性が路地から出てきた。

「この先の角を曲がったら、こういう人とすれ違うはず。」とその角を曲がると、またその通りになった(記憶通りの人とすれ違った)。

私は、ますます怖くなってしまい、心臓がバクバクし始めた。
この帰り道さえ、すでに記憶がある、「今日という日が、二度目の可能性があるな。」そう確信した私は、
もしかしたら、未来の自分が、この日に起きた不運な出来事をやり直そうと、この日のこの瞬間に戻ってきて、過去を変えようとしているのかもしれない。」と思い始めた。その不運な出来事とは何か、急に家族の安否が心配になりはじめた。
私はジョギング中は、スマホを携帯していないので、妻に電話することもできす、足早に家に向かった。

家に着くと、妻はいつも通り夕食の支度をしていて、少しホっとした。
二人の子供たちは、習い事のサッカーで不在。長男は中学生で隣りの区のクラブチームで練習中、小学生だった次男は近くの小学校校庭で練習中だった。
外はすでに暗くなっていたので、次男を迎えに行くことにした。

「ちょっと、心配だから、次男を迎えに行ってくるよ。」
そう妻に伝えると、いつも子供たちは自分たちで帰ってくるのが日常だったので、
妻は驚きつつ「大丈夫だと思うけど。」と答えた。
そして、妻は、私の手を見てまた驚いて言った。

なに?その手!血まみれじゃない!

左手から出血するイラスト

見ると、私の左手の甲の一部からひどく出血しているではないか!
私は、左手のそこがかゆくて右手でかき続けながら歩いて帰ってきた記憶はあった。
デジャブの連発で気にも留めず、「きっと公園で、蚊にでも喰われたのだろう。」程度に軽く考えていた。
妻に言われるまで、左手は見ておらず、まさか出血しているとは思ってもいなかった。「こんなにかきむしっているとは!」と、その手を見て自分でもびっくりしたくらいだ。
出血していたのは、左手の甲のちょうど人差し指の下のあたりだった。
手を洗って、ひとまず絆創膏を貼って、次男を迎えに行くことにした。

次男は、サッカーの練習がちょうど終わったところで、練習場の学校に向う途中の交差点で会うことができ、そのまま一緒に帰ることができた。その時は、徐々にデジャブ現象も落ち着いてきた。

帰宅し、まだ心臓がバクバクしていたため、横になり長男が帰ってくるまで待った。
ほどなくして、長男も帰宅。家族全員の安全を確認したが、心拍数が上昇したままだったので、体を温めつつ、温かいお茶を飲み、横になったままでいた。
家族は何もなかった。もしかしたら、自分がここで死ぬのか?
バクバクが収まらない心臓から、そう思い始めた。

「死ぬわけにはいかない。」と思い、自分を落ち着かせ、横になって安静にしていると、だんだん元に戻ってきた。
心拍数も元に戻り、デジャブも収まった。

この日は、お茶漬けを食べて、お風呂に温まり、寝ることにした。
落ち着きを取り戻し、布団に入っていつも通り就寝することができた。
翌朝、目が覚めると、何事もなかったように日常に戻った。

とまあ、なんとも不思議な経験だったのですが、その傷が思いのほか深く、4年経った今でも鮮明に残っている。

虫に刺されたような右手の傷跡の写真

人差し指の下、ちょうど太い血管の上あたり。

虫に刺されたような右手の傷跡の拡大写真

傷の跡。

後から考えると、蜂やアリかわからないが、何かの虫に刺されたアナフィラキシーショックだったのかもしれないと思っている。
公園からの帰り道、この部分がかゆくてかゆくてたまらなかったこと、意識が薄れてデジャブが連発したこと、心拍数が上がって不安に襲われたこと、がそう思う理由だ。

しかも、公園のその鉄棒は、その後ほどなくしてフェンスに覆われ、立ち入りができなくなり、今は新しい鉄棒に入れ替えられたのだ。その場所に、蜂やアリなどなにか人を刺す虫の巣とかがあったのかもしれない。なので、被害者は私だけじゃないかもしれない。

ただ、アナフィラキシーで、デジャブが連発し、直後に起こる出来事の予知もできるようになったことは、なんとも不思議な点だ。
もしかして、UFOにアブダクションされたか?まさかだが(笑)

現場の写真

デジャブが連発した日の現場写真。(2025年12月撮影)
後日、現場を訪れてみる。その後も同じ場所で同様の筋トレをすることもあるが、後にも先にもデジャブが連発するようなことはない。

懸垂した鉄棒-デジャブが連発した公園の現場写真

懸垂をした鉄棒。
現在(2025年12月撮影時)は、新しい鉄棒になっている。私がデジャブ体験した1カ月後くらいに、古い鉄棒はフェンスで囲われ使用できなくなり、新しい鉄棒へ入れ替え工事が行われた。
入れ替え前の当時(2021年10月)の鉄棒は、写真同様の三連で、手前の鉄棒はもう少し高さがあり、大人がぶら下がれるくらいだった。

腕立て伏せをしたベンチ-デジャブが連発した公園の現場写真

懸垂後、腕立て伏せをしたベンチ。
当時のままだ。ベンチに手をついて腕立てをした。
ここで、変わったアリに喰われてもおかしくない。

スクワットしていた場所-デジャブが連発した公園の現場写真

スクワットをした場所。
丸(矢印)の場所で、樹木に向かってスクワットしていた途中に、デジャブが連発しはじめた。
もし虫刺されだとしたら、ベンチに手をついて腕立てをしているときに、アリなどに喰われたか、鉄棒で懸垂中または樹木の前でスクワットしているときに、蜂などに刺されたかだと推測している。ただ、刺されたときの痛みは全く感じなかった。そこがちょっと不思議な点だ。


追記:2025年12月26日
UFO・宇宙人アブダクションなど数多い不思議体験の経験を持つ、ある男性「とっちゃんさん」とお会いする機会があり、お会いした後、その傷を改めて見ると、傷が対になっている(二つある)ことに気づいた!(→とっちゃんさんの不思議体験談

謎の手の甲の傷
(左手の甲にある謎の傷/2025年12月26日撮影)

写真右の人差し指側の傷は、デジャブ体験時にできた謎の傷。
写真左の薬指側の傷は、まったく身に覚えがない。念のため二つの傷の感覚を計るとちょうど3.5cmだった。



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2025年12月12日、オカルト界の巨匠、山口敏太郎氏のYouTubeチャンネル「ATLASラジオ」(山口敏太郎タートルカンパニー公式チャンネル)に取り上げられ、電話出演いたしました!

『甲府星人に似た宇宙人に出会った男のインタビュー!』-「ATLASラジオ」(山口敏太郎タートルカンパニー公式チャンネル)

2025年12月12日、オカルト界の巨匠、山口敏太郎氏のYouTubeチャンネル「ATLASラジオ」(山口敏太郎タートルカンパニー公式チャンネル)に取り上げられ、私の宇宙人遭遇の話から弟のアブダクション体験談をお話しさせていただきました。ご興味ある方、ぜひご視聴いただけると嬉しいです。

『ATLAS:甲府星人に似た宇宙人に出会った男のインタビュー!』

前編(私の宇宙人遭遇体験)

後編(その他で似た宇宙人との遭遇事件や、弟のアブダクション体験)

番組の中でお話した内容:

私が見た宇宙人(1982年ごろ/茨城県水戸市):動画「前偏」
https://www.nobuyukioshima.com/2022/07/1982.html

私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談(1999年頃/東京都豊島区):動画「後偏」
https://www.nobuyukioshima.com/blog/20251122masa-ufo


上記インタビュー動画前に、私のメールを取り上げていただいた動画:

『ATLAS:衝撃!甲府星人が水戸にも出現していた!』


追記:

2025年12月30日、UFO宇宙人のなどのオカルト情報を発信している「Dave Fromm Channel(デイブフロムチャンネル)」さんのライブ配信動画で、山口敏太郎さんが私の体験談を少し取り上げていただきました。ありがとうございます。

『【今年最後の生配信】他にも現われた宇宙人 – スクープ、そして2025年総括 -【オカルト研究家 山口敏太郎】』

(動画の6:13あたりから)


2025年12月27日に横浜で行われた「山口敏太郎祭り」で、山口敏太郎さんと初めてお会いすることができました。ありがとうございました。

山口敏太郎さんと私(大嶋信之)-山口敏太郎祭り2025
山口敏太郎(写真右)さんと私

関連記事:
2025年12月7日、愛・宇宙博さんのYouTubeライブ配信に生電話出演しました。
2025年5月19日、デイトナインターナショナルさんのYouTube番組に出演しました。



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2025年12月7日、「愛・宇宙博」さんのYouTube番組のライブ配信動画に、電話出演させていただきました。宇宙人遭遇体験談やUFO目撃談など。オカルト好き必見!

2025年12月7日、「愛・宇宙博」さんのYouTube番組のライブ配信動画に、電話出演させていただき、UFO宇宙人やその他オカルト話をお話させていただきました。ご興味ある方、ぜひご視聴いただけると嬉しいです。

出演動画(2025年12月7日):
https://www.youtube.com/watch?v=ilbrR_lJXFQ

【緊急生電話】宇宙人にアブダクションされた人の話しがヤバすぎる!

(動画9:50~2:00:25)

切り取り編集動画(2025年12月18日):
https://www.youtube.com/watch?v=uVMDczI3N68

UFOに拉致された男性の体験談!双子の弟の証言がヤバすぎる!記憶を消された可能性?数々の事件の不可思議な“共通点”とは【ホプキンスビル事件/メン・◯ン・ブラック/リト◯グリーンメン/ステ◯ッチ】

番組の中でお話した内容:

私が見た宇宙人(1982年ごろ/茨城県水戸市)
https://www.nobuyukioshima.com/2022/07/1982.html

私が見たUFO(1988年ごろ/ 東京都豊島区上空)
https://www.nobuyukioshima.com/2022/10/15-ufo.html

私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談(1999年頃/東京都豊島区)
https://www.nobuyukioshima.com/blog/20251122masa-ufo




関連記事:
2025年5月、デイトナインターナショナルさんのYouTube番組に出演しました。
2025年12月、山口敏太郎さんのYouTubeチャンネル「ATLASラジオ」に取り上げられ、電話出演しました!



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私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談(1999年頃・東京都豊島区/日本国内)

(イラスト・文/大嶋 信之)

私が、今年(2025年)の5月、自身の宇宙人遭遇体験談であるYouTube番組に出演させていただくことになり、動画の収録後、双子の弟に連絡した。
動画に出ることの報告と、当時の唯一の証言者でもあるからだ。

弟も当時(5,6歳くらいの1982年頃)の遭遇当日のことを鮮明に覚えていて、自分は先に寝てしまって宇宙人は見ていないが、起床直後に私から、「寝る前に、こういうものを見た!」と宇宙人のイラストを何枚も描いて説明されたことを、強く覚えているとのことだった。私も弟に説明したことはよく覚えている。母にも伝えたが取り合ってもらえなかった。
その後も、大人になるまで、私と弟は何度となくその話をしたので、弟はすべてを覚えていた。

私が見た宇宙人(エイリアン)のイラスト(1982年頃・茨城県水戸市)
(私が当時からよく描いていたイラスト/「私が見た宇宙人(1982年頃)」より)

ところが、その後、弟がびっくりするような話をしだしたのだ。
ところで、俺が信之(私)と間違えられてUFOに連れ去られた話、覚えてないの?
「え?何の話?」覚えていなかった。

弟は25歳の時から、仕事の都合で隣接県に住んでいるため、年に数回しか会わないくらい疎遠になっていた。

「22歳の時(1999年)だよ、信之(私)と(当時住んでいた実家の)部屋をチェンジしてすぐの話だ。翌朝、信之にも電話して話したんだよ。」と弟が続けた。まったく思い出せなかった。

弟の話はこうだ。仮に弟の名前をMとしておく。

住んでいた家のイラスト-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

当時、私たちが住んでいた家(実家)は、東京都豊島区内の3階建ての木造住宅で、1年前に越してきたばかりだった。越してきた当初、1Fが弟の部屋で、2Fが私の部屋だったのだが、1年経って訳あって私と弟の部屋をチェンジすることになった。(1Fが私に部屋になり、2Fが弟の部屋になった。)
事件は、その部屋をチェンジしてすぐに起きたという。

深夜窓の外が急に明るくなった-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

2Fの部屋で寝ていた弟。(真下の1Fの部屋には私が寝ていた。)
窓の外が眩いばかりの明るさに気づいて、ふと目が覚めた。

深夜2時を示す時計のイラスト-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

時計を見ると、深夜2時だった。
すると、部屋のドアが勝手に開いた。
恐怖のあまり、身動きが取れなかった。頭もフリーズ。

-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談
(牽引ビームでUFO内部へ吸い込まれた!)

なんと、寝ている体が宙に浮いた。
そのまま、壁や窓をすり抜け、上空のUFOの中へ吸い込まれたというのだ!

顔だけ祖母の長身で首の長い宇宙人-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

すると、長身で首の長い宇宙人が出迎えた。
白い白衣のようなものを着ていて、顔だけがなぜか祖母の顔だった。
容姿は異常だったが、顔が祖母だったため、恐怖心は和らいだ。
あれ?ノブちゃん(私)じゃなくて?Mちゃん?
と問いかけられる。
「そうだよ」と返答。すると、「ノブちゃんも中にいるから大丈夫よ。」と言われ、船内の中へ案内される。

色々な人種の人がベッドの上に横たわる-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

船内の奥には、黒人や白人などあらゆる人種の人たちがベッドに横たわっていて、宇宙人からある程度の時間をかけてそれぞれの説明を丁寧に受けた。信之(私)はいなかった。
すべての説明を終えると、誰も横たわっていないベッドに案内され、そこに自分も横たわった。ここまでの時間は正味40分くらいの感覚だった。

横たわってしばらくすると、意識が遠のいてきた。

-私の双子の弟のUFO誘拐(アブダクション)体験談

気が付くと、自分の部屋に戻っていた。
さっきまで寝ていた布団に、横たわっている。
前述のとおりUFO体験の体感時間は正味40分くらいだったが、時計は「2:01」!
なんと1分しか進んでいなかった。ここでまた驚いてしまった。

「今のは何だったんだろう?」そう思ってなかなか寝付けなかった。
しかし朝には仕事に行かなくてはならないため、このまま就寝した。

朝起きて、信之(私)より早く自宅を出たので、仕事へ向かう途中に信之に電話した。
1Fで寝ていたであろう信之に電話で、出来事を伝えた。
「おれ、昨日の深夜2時、UFOにさらわれたんだ。きっと信之と取り違えたんだと思うが、信之は何かあった?」
すると私が「いや、俺は何もなかった。ああ、2時頃だろ?外が急に明るくなって、2Fのドアがバタバタ音がしたから、怖くて布団かぶって寝たよ。」と答えたというのだ。

私は、なぜかまったく忘れていた。でも言われてみれば、そんなことあったなと少し思い出してきた。そう弟に答えた記憶が急に蘇ってきた。

とまあ、なんとも不思議な話だが、宇宙人がそんなうっかりミスするか?とツッ込みたくなる、笑っちゃうような話ですが、真相はいかに。
弟は、上空から見たら座標と顔はほぼ同じだから、あり得るよねと話す(笑)

ちなみに、この話を弟から聞く前に、当時の弟と親しかった人に会う機会があったのだが、同じことを言っていたのを思い出した。
当時、弟から「UFOに連れ去られたことあるんだ。」と、この出来事の詳細を説明されたらしい。
その時は、「私の幼少期の話(宇宙人遭遇)とごっちゃになってるのかな?」と軽く流してしまった。
後から、弟からこの話を聞いて、この話のことだったんだと納得できた。

あと、本記事を執筆していて、少し思ったのだが、宇宙人が本当に私と弟を取り間違えたとしたら、部屋をチェンジする前に私も連れ去られていた可能性があるなと思った。もしそうなら、覚えていないので、記憶は完全に消されているが。(笑)


出演動画

2025年12月7日:『【緊急生電話】宇宙人にアブダクションされた人の話しがヤバすぎる!』
「愛・宇宙博」さんのYouTube番組のライブ配信動画に電話出演し、宇宙人遭遇の話からこの弟のアブダクション体験談も詳しく説明させていただきました。その他オカルト話もしていますので、よかったらご覧いただけると嬉しいです♪

(動画 9:50~2:00:25)

切り取り編集動画(2025年12月18日)

2025年12月11日:『ATLAS:甲府星人に似た宇宙人に出会った男のインタビュー!
オカルト界の巨匠、山口敏太郎氏のYouTubeチャンネル「ATLASラジオ」(山口敏太郎タートルカンパニー公式チャンネル)に取り上げられ、私の宇宙人遭遇の話からこの弟のアブダクション体験談もお話しさせていただきました。(アブダクション話は「後編」)

前編(私の宇宙人遭遇体験)

後編(その他で似た宇宙人との遭遇事件や、弟のアブダクション体験)

2025年5月19日:『水戸で「甲府UFO事件」と同種類の宇宙人と遭遇!! もう一つの「甲府UFO事件」』
オカルトの話題を中心にYouTube配信されている、(株)デイトナインターナショナルさんの公式チャンネルに取り上げていただき、私の宇宙人遭遇体験談を詳しく説明させていただきました。



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【不思議体験】親子の目に見えない何かを感じた日-1995年(高校3年生17歳)のお盆に茨城県阿字ヶ浦海岸へサーフィンに出かけた日のこと。

まえがき

私は高校3年生の頃、親子の不思議さというか、親子って目に見えない何かで繋がっているんだなと感じた不思議な日がある。その体験談を以下に紹介したい。


『親子の目に見えない何かを感じた日』

(文・イラスト/大嶋信之)

それは、今から30年前の1995年高校3年生(17歳)の夏休みで、8月15日のお盆に茨城県阿字ヶ浦へ一人でサーフィンに出かけた日のこと。
当時、サーフィンにドハマりしていた私は、学校生活というよりバイト(ガソリンスタンド)とサーフィンに明け暮れていた。勉強はまったくと言っていいほどしていなく、大好きな物理の授業(先生とマンツーマンの選択科目の授業)がある日だけ学校に行くといった具合だった。

夏休みも当然バイトとサーフィン(当時、運転免許のない私は、サーフィンは主に電車を使って湘南や千葉外房に行っていた。)に明け暮れていたわけだが、8月15日のお盆の日に母の実家(茨城県水戸市)にお線香をあげに行くついでに、ひたちなか市にある阿字ヶ浦(あじがうら)海岸でサーフィンしようと思い立った。

8月15日は、父と母は電車で日帰りで行くというので、私は前日の14日に(電車で)行ってお線香をあげ、そのまま一泊させてもらい、翌日の15日早朝に始発で阿字ヶ浦へ向かい、日没までサーフィンし、そのまま東京へ帰宅することに決めた。

14日の夕刻に、母の実家に到着すると、お線香をあげ、叔母が作ってくれた夕食をいただき、明日は(時間的にも)コンビニに寄れないだろうから、前もってサーフィン中に食べる食べ物と飲み物をコンビニに行って買っておこうと思った。当時、少し離れた場所に「SPAR(スパー)」というコンビニがあったので、徒歩で行こうとしたのだが、叔母が「夜道は危ない」ということで、実家に住んでいた従兄が車で連れて行ってくれた。

当時私は、バイトで稼いだお金をサーフィン(道具や交通費)に全ベットしていたので、いつも限られたお金しか持ち歩かなかった。
また以前、浜辺に置いた荷物(ボードケース、着替えから財布など)をまるまる盗まれた経験もあり、サーフィンに行くときは、極力余分な現金を持っていかないようにしていた。
この日も、往復の電車代+コンビニ代(一日の飲食代)のみを所持していた。
なので、計画通りコンビニで、帰りの電車代を残し、すべてのお金を食べ物と飲み物に使った。夕方までを考慮して、たしか1500円分くらい買ったと思う。

日が明けて早朝、叔母が作ってくれた朝飯をとり、出発。

サーフボードケース(ハードケース)に、水着やウェット、タオル、着替えなどを入れたリュックを背負った電車サーファースタイル。いつも、このお決まりの格好でどこへでも電車でサーフィンしに行っていた。

最寄りのJR赤塚駅まで歩いて常磐線に乗り、二駅目(水戸駅の次)の勝田駅からローカル線(ひたちなか海浜鉄道)に乗り継いで阿字ヶ浦駅で下車から徒歩、無事に阿字ヶ浦海岸へ到着。

当時の阿字ヶ浦海岸は、遠浅の砂浜で良質な波が割れるということから、サーフスポット(サーフィンスポット)として有名だった。(現在はテトラポットが設置されたことにより、波が割れづらくなりサーフィンが厳しくなったと聞く。)
この日も波はまあまあで、腰~セット腹胸前後といった、当時の私にはちょうど良い波だった。

他のサーファーは皆、車で来ていて、電車サーファーは、私一人だけだった。(笑)
浜辺に荷物を置いて、着替えを始めた。
その時だった!

昨日コンビニで買った食べ物&飲み物一式、母の実家に袋ごと忘れて置いてきてしまったことに気づいた!!
「飲み物もない、これはまずいな・・・」と落胆し思った。

手持ちのお金は帰りの電車代ピッタリしかない。
当時は今みたく携帯電話もなければ、お金もぴったんこしかないので公衆電話も使えない。
我慢するしかないなと思い、諦めることにした。
「のどが渇いたり空腹で我慢できなくなったら、早めに海から出よう。」そう思った。

この日は、水はきれいで天候も良く、波もそこそこで、気持ちよくサーフィンを楽しむことができた。
空腹や喉の渇きを忘れて、細かな休憩をはさみながら、結局日が暮れる夕方まで海に入ってしまった。

海から上がり、着替え終わって、さすがにヘトヘトに疲れ切っていた。
空腹はさることながら、のどの渇きが我慢できなかった。

頭が少しクラクラしながら、歩いて阿字ヶ浦駅に到着。
東京までの切符を買う。

切符代を払い、残金110円だった!笑

「この110円で、食べ物(パン)、飲み物、どっちを買おうか・・」迷った。
迷ったあげく、強烈な喉の渇きと、甘いもの欲しさに、駅の自動販売機で缶コーヒー(アイスコーヒー)を買うことにした。

当時大好きだった(今も好きだが笑)、ジョージアの缶コーヒー(ミルクコーヒー)、250ml缶で110円だったと思う。これでこの日のお金はすっからかん(笑)
甘くて美味しくて、一気に飲み干した。この日ほど、缶コーヒーが美味しいと感じたことはない。もともと好きだったが、ますます好きになってしまった。渇き切った喉と、海水で塩辛くなった口の中に、甘いジョージアが染み入るように溶けていった。

電車が来て乗り込む。
空腹と喉の渇きは、ジョージアで少しは和らいだが、それも一瞬で、またすぐに強烈な空腹が襲ってきた。
「でも、朝飯を食べてきたことは幸いだった。早朝にもかかわらず作ってくれた叔母には感謝だな。」そう思った。

勝田駅に到着し、上野行きの鈍行(どんこう※)の常磐線に乗り換える。
時間は19:00ごろだったと思う。外は暗くなっていた。
(※鈍行列車=各駅停車、普通列車のこと。)

強烈な空腹と喉の渇きに耐えながら、
「このまま、東京(帰宅)まであと2時間ちょい、我慢だ!」そう自分に言い聞かせる。
また、「なんで、忘れて行ってしまったんだろう?」と自分を責めつつ、電車に揺られ出発の勝田駅から二駅目の、母の実家の最寄りの「赤塚駅」に到着。
その時だった!!

なんと、ホームに日帰りで来ていた父と母の姿が!!
そして、扉が開いて私と同じ車両に乗り込んでくるではないか!!
そして、母の手には、あのコンビニ袋!!!

なんて奇跡なんだ!」私は思った。
空腹からくる幻かと思ったくらいだ。
父母もびっくり、帰りがまさか同じ電車(車両)になるなんて。
そして、私が忘れて置いていってしまった食べ物と飲み物を持っている!
聞くと、叔母が母に持たせてくれたらしい。今思うと叔母には感謝でしかない。
そして、電車の中で、昨日買ったパンと飲み物にありつくことができた。

すべてが美味しかった。
食べながら、
「この状況で、昨日買った食べ物持って、同じ電車、しかも同じ車両に乗り込んでくるなんて、親子って何か、目に見えないなにかで繋がっているんだな、絶対。」そう思った。

母は、「帰りの電車で食べようと思ってたのに。」と言った。(笑)

おしまい。

あとがき

この出来事があった日が、お彼岸だったか、お盆だったか、うろ覚えだったので、ブログ記事にするにあたり母に再確認すると、「夫婦で日帰りでお線香をあげに行くなんてお盆しかない」と言うので、お盆に確定できた。
お盆ということもあり、ご先祖様が助けてくれたのかな(笑)
というより、執筆しながら、今は亡き叔母への感謝の念が改めて湧いてきた。(この日に限らず大変世話になった。)
そもそも、買った袋を丸ごと忘れてしまう自分が、かなりのおっちょこちょいなのだが。

2025年9月20日 大嶋信之



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1992年(中学3年生・15歳の時)、入院中に見た不思議な幽霊の夢

私は、中学3年生の時、右腕を骨折して手術のために二度入院した。(一度目の手術で折れた骨をボルトで固定し、二度目の手術でボルトを抜いた。共に全身麻酔だった。)
骨折の原因は、体育館での体育の授業の後、調子に乗って友達に披露しようと、マットも敷かず助走をつけてロンダート(側転)からバック転したところ、肩から落ちてしまい、上腕骨の骨頭が見事にきれいに折れてしまった。小学6年まで体操を習っていたので、中学1年くらいまでは何なくできたのに、中学3年生になると身長も20cmは伸びていて体重も増えていたので、体のコントロールができなくなっていた。(落ちたのが肩からだったのは幸運だった。首だったら大変なことになっていた。)
母親もたまたまPTA活動で学校にいて、すぐ保健室に来た。(今考えるとこれも偶然だが。)
学校からタクシーで病院へ行くと、そのまま入院になってしまったため、数日後に控えた、楽しみにしていた京都への修学旅行が急遽行けなくなってしまった。

一度目の入院の時だった。ある朝、不思議な夢を見て起床した。
その夢は、自分が死んだ夢だった。(後から知ったのだが、自分が死ぬ夢は、夢占いでは大吉夢らしい。)
自分が、自分の体から抜け出し、下を見ると自分が入院した病室のベッドの上で死んでいる。
周囲に母親や友達が何人かいて、悲しみで泣いていた。

入院中に見た不思議な幽霊の夢
(死んだ自分を見下ろす自分と、背後から来る幽霊のおじさん。)

泣いている家族や友人に話しかけても、私の声はまったく聞こえないようだった。
焦った私は、夢の中で何度も「僕、死んでないよ!ここにいるよ!」と繰り返し叫んだ。
母親や友人の肩をいくら両手で掴もうとしても、すり抜けてしまい掴めない。
「あ、僕本当に死んじゃったんだ。」そう思って落胆した。
夢の中で、しばらく気を落として、泣きたい気持ちを抑えられなかった。
「もう、誰とも話せないんだ。」そう思い、孤独が怖くて、たまらなくなった。

その時、背後から声が聞こえた。
私とだけは話せるんだよ。」男の人の声だった。
少し嬉しくなって振り向くと、なんと三角巾を額につけた、白い着物を着た中年のおじさんだった。
足もなく浮遊していて、いわゆる俗に言う「幽霊」そのものだった。(笑)
後から考えると、わかりやすく死装束(しにしょうぞく)を着用していたところが非常に面白いというか興味深い。

そっか、僕は死んだんだから、幽霊の方とは話すことができるんだ。」そう思って少し嬉しくなった。さっきまでの孤独の恐怖は和らいで、話し相手がいることに安堵した。

その時、夢から覚めた。
目が覚め「夢でよかったー!」と心から思い、嬉しくなった。
それにしても不思議な夢だったと思った私は、仲良くさせてもらっていた同じ病室で隣のベッドのGさんという年配の男性にさっき見た夢の話を始めた。
病院は朝食前だった。起床したばかりのGさんは興味深く私の話を聞いてくれた。
その時だった。

急に病棟全体が慌ただしくなった。
私の病室(4人部屋)含め、他の病室の患者さんも「何だなんだ?」となった。
私が入院していた病院は、大きな都立病院で、ワンフロアがまるまる整形外科の入院病棟だった。

複数の看護婦さんが大慌てで廊下を行き来し、4室くらい先のある一つの病室に集合していた。
大がかりなギブスを装着していた私は身動きが難しく、Gさんが看護婦さんに聞きに行ってくれた。

どうやら、4室くらい先の一室(4人部屋)で入院していた90代のお婆さんが、朝亡くなったらしい。整形外科で亡くなる患者さんは珍しいため、対応できる先生が常駐しておらず、大騒ぎになっていたらしい。

まあ、偶然だとは思うが、こういった夢を見てすぐに、なおその話をしている最中の出来事だったので、「なんか、霊界が近づいていることを、察知してしまったな。」と自分で思った。なので、強く記憶に残っている。

以上でこの話は終わりだが、
余談があって、京都の修学旅行から帰ってきた友人が何人もお見舞いに来てくれた。
わざわざお土産を買ってきてくれた友人も何人もいた。非常に嬉しかった。
しかしだ、みんな揃いに揃って「八ツ橋」だったのだ(笑)
私のベッドに八ツ橋の箱が山積みになって、一時、八ツ橋に飽きてしまいしばらく食べられなくなったほどだ。
だけど、限られたおこずかいの中から、私のために買ってきてくれて、本当に感謝している。

あと、不思議な話がもう一つだけあって、入院中にお見舞いに来てくれた人の話。

まずは、同級生で大好きだった親友のお姉ちゃん。
私が入院した時、バイクで転倒して片足を骨折して偶然同じ病棟で入院中だった。
入院当初、腕を牽引していて身動きが取れない私の部屋に、たまに松葉杖でお見舞いに来てくれた。入院してすぐは寂しい気持ちだったので、とてもありがたかった。
これは本当にたまたまで、嬉しかった偶然の話。

次に、幼馴染みの三つ上のお兄ちゃん(仮にYちゃんとする)の話。
これは今でも不思議な話。
Yちゃんは、生まれた時から近所に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだったのだか、数年前に引っ越してしまい、引っ越した当初はよく遊びに行っていたが、しばらく会っていなかった。
面倒見がよいYちゃんを、私は大好きだった。
入院中のある日、そのYちゃんがお見舞いに来てくれたというのだ。
私は手術の前後だったためかうろ覚えだが、Yちゃん家族の連絡先は、母しか知っておらず、私からも当然連絡していない。母も連絡していないと言うのだ。
どうやって私が入院していることを知ったのだろう。ましてや入院先の病院なんて、誰からか聞かなきゃ絶対にわからないはず。
その時の話になると、今でも母がこう言う、
Yちゃんがお見舞いに来てくれたのよ!私、何の連絡もしてないのよ。どうやって入院を知ったのか今でもわからない。不思議なことってあるのね。
それ以降、Yちゃんとは会っていないが、今何してるのだろう。会いたいな。(もしこのブログを見ていたら、Yちゃんだったらわかると思うので、よかったら連絡ください。弟のKちゃんにも会いたいです。)

あと、この記事を執筆しているときに、気づいたのだが、夢の中で会った幽霊のおじさんって、入院の約3年前に私が遭遇した自殺者だったりして、って少し頭によぎりました。
それはそれで、なんとなく腑に落ちる、ような気がする。



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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1982年頃(5、6歳ごろ)の不思議体験-従兄弟(いとこ)がテレビに映る。

私の幼少期での不思議体験の中で、この現象が一番不思議だったと言っても過言ではない。
それは、親戚の出来事がテレビに映ることだった。
特に「従兄弟(いとこ)」の出現率が高かった。たいがい、従兄弟のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、つらい気持ちになっているシーンがテレビに映し出されていた。
親など家族に言っても当然信じてもらえないし、「似た人が(テレビに)出てたんでしょ?」といつも軽くあしらわれるのだった。当時、誰に言っても信じてもらえないのが辛かった。(まあ、どれも証明できないので、当然だが。)

そんな時、ある事件が起こる!!

従兄(いとこ)の交通事故がテレビに映って見えた不思議体験

当時、茨城県水戸市にあった母親の実家に帰った日のこと。
実家に着いた夕刻、母の実家に当時住んでいた従兄(仮にMくんとする)がテレビに映っていた。(Mくんは出かけていて実家には不在だった。)
帰省してすぐで実家の家族たちと会話で盛り上がっている母親に「Mくんが、テレビに映ってるよ。」と言うと、母親は「何をバカなこと言ってるの?似た人でしょ?」と軽くあしらわれた。

見取り図
(当時の見取り図)

テレビの内容は、
従兄のMくんが当時乗っていた車(赤の小型クーペ)を運転していて、一歩通行っぽいやや細めの道路の左側に寄せて路駐した。
すると、後ろから白い車が結構なスピードで来て、路駐しているMくんの車を通過する際、Mくんの車のサイドミラーに当たってしまい、右側のサイドミラーが吹き飛んでしまった。
白い車は、停止せずにそのまま走り去って行ってしまった。
赤の車から降りたMくんは、とても怒った表情で、「おい、待てよ!」と走り去る白い車に向けて叫ぶのだった。
そこで、テレビは終了した。

「まあ、母親の言う通り、似た人がテレビに出てただけなのかもしれない」とも思いつつ、いつもそんな感じで従兄弟がテレビに映って見えていたので、不思議だとは思わなかった。

何時間か過ぎて、夕飯を食べ終わったくらいだったと思う。従兄のMくんが興奮しながら帰宅した。
開口一番「車を当て逃げされた。右のサイドミラーがやられた。」と。
しかも、逃げ去った車は白い車だったという。
すぐさま母親に「だから、言ったじゃん!さっきテレビに出てたのはやっぱりMくんだったんだよ!」と興奮しながら言った。当然、母親は「・・・(ポカーン?)」だった。

と、まあ、こういった不思議な話です。
大人になって、ある親しくなった女性友達にこれを話したところ、「私も小さいころ同じ経験をしたことある。親戚の不幸がテレビに映るの。言えば気持ち悪がられるし、誰にも言えなかった。」と。
そういう体験したのは自分だけではないんだなと思って、何かホっとした。

自分なりの考察では、脳波の共鳴なのではないかと考えている。
特に親戚や従兄弟などは、親和性が強く、共鳴しやすいのではないかと。
たとえば、離れた場所で従兄弟が辛い思いをすると、その脳波が拡散し、私の脳波と共鳴することで、その従兄弟が体験している光景が私の脳(視覚)に映し出される。
ちょうど、電波の共鳴で情報を受け取れる、テレビやラジオの同じ原理だ。
でもなぜ、大人になるとそういった能力は失われやすいのだろう。おそらく、言葉を覚えるとそういった能力は必要ないからだと予想できる。子どものうちは、言葉以外でコミュニケーションをとっていることが多いから、そういった能力が必要なのだろう。もしかしたら、言葉を話さない動植物もそうなのかもしれない。
きっと、人間の脳には、まだまだ様々な可能性があるのだと思う。

ここからは余談だが、今考えると、宇宙人に遭遇したのも同じ年ごろで、同じ場所(母の実家)だった。(関連記事:私が遭遇した宇宙人
何か、関係あるのかもしれない。

宇宙人遭遇場所とテレビ不思議体験の見取り図
(宇宙人遭遇場所とテレビ部屋)

デイトナインターナショナルさんのチャンネルで、幼少期の宇宙人の遭遇談UFO目撃談とともにこの不思議体験談を少しお話しさせていただきました。よろしければご覧いただけると嬉しいです♪



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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1986年頃、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園)上空で見た不思議なロケットのような葉巻型UFO

幼いころ、夏になると毎年のように、うちの家族と近所の幼馴染みの家族とで、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園にあった遊園地)のプールによく行っていた。プールから上がると、乗り物に乗ったりして遊んで、夜になると花火が上がったので、それを見て帰るというルーティンだった。

そんなある夏の日、不思議なものを見た。
小学生の頃(8~10歳)ごろだったと思うが正確に思い出せない。

いつものように、プールから上がり、夕刻になり薄暗くなると、花火の時間になった。
花火が上がり始め、みんなで花火を見上げていた。

すると、頭上の雲の合間にロケットのような形状をしたものが、飛んでいくのが見えた。いくつかライトをつけていて、点滅はしていなかった。飛行機よりも細長い胴体、翼はなかったので、ロケットだと思った。高度はやや低空飛行で、大きくはっきり見えた。

1986年ごろ見たロケットか葉巻型UFO。
(雲の合間から見えたロケットのような飛行物体)

家に帰りテレビを観ると、ニュース番組で「種子島からロケット打ち上げ成功」というニュースが流れていた。

そうか、種子島のロケットが見えたんだ。
小学生の自分は、本気でそう思って納得してしまった。

しかし、後になって考えると不思議になった。
種子島で打ち上げたロケットが、東京都練馬区にある「としまえん」上空で見えるわけがない。しかもロケットにはライトがないはず。
では、自分が見たものは何なのか。

私は幼少期、離れた場所で起こっている出来事が、テレビに映って見えてしまうという、なんとも不思議な経験を何度もしていたので、きっとそういうこと(種子島の出来事が幻覚で見えてしまった)だろうなと思った。(→従兄弟がテレビに映る不思議体験
ただ、今考え直すと、ロケットにはライトはないはず。だから、飛行機を見間違えたか、UFOか。
でも、当時は今のように都心部を低空飛行する羽田新ルートはなかった。だから、豊島区や練馬区では飛行機が低空飛行では飛んでいなかったと記憶している。
そう思うと、UFOだったのか。

いろいろ調べると、私が見たものは「葉巻型UFO」に一番酷似していた。

ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)
ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)

「ムーweb」の記事に掲載されている、ジョージ・アダムスキー氏が撮影したという葉巻型UFO。私が見たものに非常に似ている。

発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より
発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より

2013年2月イギリス(英国マンチェスターのデントン市)で撮影されたという葉巻型UFO。(「怪奇動画ファイル」の記事より)
縦型にホバリングし、写真のように緑色などに発光していたという。
私の見たものに一番似ている。私が見た時も、縦型の状態だった。このような物体が上に進んで飛んでいた。

年代(日にち)を特定する

今になって調べてみると、その年代の夏休み期間に種子島宇宙センターから打ち上げられたロケットは以下である。

1981年8月11日 N-IIロケット2号機(N8F)(静止気象衛星「ひまわり2号」)
1983年8月6日 N-IIロケット4号機(N11F)(実験用静止通信衛星「さくら2号b」)
1984年8月3日 N-IIロケット6号機(N13F)(静止気象衛星「ひまわり3号」)
1986年8月13日 H-Iロケット試験機1号機(H15F)(測地実験衛星「あじさい」)
1990年8月28日 H-Iロケット7号機(H22F)(実験用中継放送衛星「ゆり3号a」)

※参考:JAXA>衛星打上げロケット実績(1966~2003年9月

以上より、おそらく、1984年、1986年、1990年、そのあたりの出来事だったのだと思う。自分の中では、1986年8月13日(当時9歳/小学3年生)が一番可能性が高いと感じている。



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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ふと思い出す謎の知識

私には、ふと思い出す(というより頭から離れない)、誰から教わったのかわからない謎の知識があります。(皆さまもおありかと思います。)親ではなく、おそらく小学生の時の先生が言った言葉だと思うのですが、誰だか思い出せません。記録のために記述していきます。(まだまだ沢山あるので、思い出したら加筆していきます。)

人間の特性
人体に関わる知識
歴史にまつわる知識
地学
政治学
工学
自然について


人間の特性

・人間は血の色と同じ「赤色」を見るとびっくり(注意を引く)ような特性がある。その特性を利用したものが、信号機の赤、車のブレーキランプ(テールランプ)、緊急車両の警光灯など。

・人間の目は、人の顔を認識する能力に長けている。目や口の位置に当てはなる(3点がある)となんでも人の顔に見えてしまう錯覚を起こす。

・目の焦点、少し外したところがよく見える。焦点が一番視力が良いわけではない。

・動物によって目の位置が異なり、視野が異なる。草食か肉食かによっても異なり、魚は前も後ろも同時に見える視野を持っている。人間はなぜか前を見る面上に2つ目が付いていて、前しか見えない。これは肉食動物の特徴に近い。

・舌の神経は、一番好きな甘みを感じるのは先端、苦手な辛さ・苦みは奥で感じるようになっている。

・人間は、高い場所(高所)において、胸の高さまで柵があると怖さを感じない。胸の高さ以下では恐怖を感じる。

・食品は、遺伝子が遠いものを口にした方が良い。遺伝子が近いものばかり食べると体に良くない。

・春になると、薄着の女性が増えるために、変な男が増える。

・都市部の西側が栄える。人間は、朝は日の昇る東へ、夕刻は日が沈む西へ行動したがる傾向があるが故、都市部の西側が栄える傾向がある。東京はその代表で、都心の西側は居住地として人気が高い。

人体に関わる知識

・女性は子供を産むために、お尻が大きくなる。

・人間の赤ちゃんは、他の動物から見れば未熟児の状態で生まれてくる。ほとんどの動物は、生まれてすぐに立ち上がり歩くことができる。それは野生における防衛本能として当たり前で、人間だけがおかしい。

・人間の妊娠期間10カ月というのは、絶妙なタイミングで、これ以上お腹の中にいると、頭が大きくなってしまい産道から出られなくなってしまう。

・子供(子孫)は遺伝子の遠いパートナーと作った方が良い。近い遺伝子ばかりで子を残すと生命力が弱くなる可能性がある。

・女性の陰部はデリケート、だから綿の薄い下着を着用し、通気の良いスカートを履く。

・血液は本当は液体でなく固体。

歴史にまつわる知識

・地球誕生から46億年、人類は誕生してたった100万年、人類の祖先の化石は見つからない。この年代をミッシングリンクと呼ばれている。

・言語の発達が、他の動物と違って人類の発達に寄与した

・美人の定義は時代によって変わる、今は西洋人の顔が美人ということに洗脳されている、日本人は浮世絵の女性が当時の美人だった。

※後になって見つけた動画

【人相と内臓の関係】
上の動画17:30あたりから「格好良いとか、可愛いとかされている顔は文化との相関関係」で紹介されているエスキモーの話がこの話(美人について)の的を得た面白い話。

地学

・地球のほとんどはマントルだから地殻は卵の殻のようなもの。我々は薄い殻の上に住んでいる。

政治学

・中国はどうしても海が欲しい

工学

・日本の多湿な風土には、高床式住居が理にかなっている。

・車のデザインは、ヘッドライトは人間の目、バッグライトの赤は、血の色。人間の注意を引くよう設計されている。

・車の車内には、物を置けぬよう、わざと平面を設けていない。(物を置くと危険だから)

・コカコーラのくびれたガラスボトルは、ある青年がスカートを履いた彼女(女性)のシルエットの美しさを表現し、大ヒットに繋がった。

自然について

・夕焼けの反対側の空にも、うっすら同様の夕焼けが見える。

・星はずっと見ていると、静止しているはずなのに、ゆらゆら動いているように見えてくる。



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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