【不思議体験】親子の目に見えない何かを感じた日-1995年(高校3年生17歳)のお盆に茨城県阿字ヶ浦海岸へサーフィンに出かけた日のこと。

まえがき

私は高校3年生の頃、親子の不思議さというか、親子って目に見えない何かで繋がっているんだなと感じた不思議な日がある。その体験談を以下に紹介したい。


『親子の目に見えない何かを感じた日』

(文・イラスト/大嶋信之)

それは、今から30年前の1995年高校3年生の夏休みで、8月15日のお盆に茨城県阿字ヶ浦へ一人でサーフィンに出かけた日のこと。
当時、サーフィンにドハマりしていた私は、学校生活というよりバイト(ガソリンスタンド)とサーフィンに明け暮れていた。勉強はまったくと言っていいほどいていなく、大好きな物理の授業(先生とマンツーマンの選択科目の授業)がある日だけ学校に行くといった具合だった。

夏休みも当然バイトとサーフィン(当時サーフィンは主に電車で湘南や千葉外房に行っていた。)に明け暮れていたわけだが、8月15日のお盆の日に母の実家(茨城県水戸市)にお線香をあげに行くついでに、ひたちなか市にある阿字ヶ浦(あじがうら)海岸でサーフィンしようと思い立った。

8月15日は、父と母は電車で日帰りで行くというので、私は前日の14日に(電車で)行ってお線香をあげ、そのまま一泊させてもらい、翌日の15日早朝に始発で阿字ヶ浦へ向かい、日没までサーフィンし、そのまま東京へ帰宅することに決めた。

14日の夕刻に、母の実家に到着すると、お線香をあげ、叔母が作ってくれた夕食をいただき、明日は(時間的にも)コンビニに寄れないだろうから、前もってサーフィン中に食べる食べ物と飲み物をコンビニに行って買っておこうと思った。当時、少し離れた場所に「SPAR(スパー)」というコンビニがあったので、徒歩で行こうとしたのだが、叔母が「夜道は危ない」ということで、実家に住んでいた従兄が車で連れて行ってくれた。

当時私は、バイトで稼いだお金をサーフィン(道具や交通費)に全ベットしていたので、いつも限られたお金しか持ち歩かなかった。
また以前、浜辺に置いた荷物(ボードケース、着替えから財布など)をまるまる盗まれた経験もあり、サーフィンに行くときは、極力余分な現金を持っていかないようにしていた。
この日も、往復の電車代+コンビニ代(一日の飲食代)のみを所持していた。
なので、計画通りコンビニで、帰りの電車代を残し、すべてのお金を食べ物と飲み物に使った。夕方までを考慮して、たしか1500円分くらい買ったと思う。

日が明けて早朝、叔母が作ってくれた朝飯をとり、出発。

サーフボードケース(ハードケース)に、水着やウェット、タオル、着替えなどを入れたリュックを背負った電車サーファースタイル。いつも、このお決まりの格好でどこへでも電車でサーフィンしに行っていた。

最寄りのJR赤塚駅まで歩いて常磐線に乗り、二駅目(水戸駅の次)の勝田駅からローカル線(ひたちなか海浜鉄道)に乗り継いで阿字ヶ浦駅で下車から徒歩、無事に阿字ヶ浦海岸へ到着。

当時の阿字ヶ浦海岸は、遠浅の砂浜で良質な波が割れるということから、サーフスポット(サーフィンスポット)として有名だった。(現在はテトラポットが設置されたことにより、波が割れづらくなりサーフィンが厳しくなったと聞く。)
この日も波はまあまあで、腰~セット腹胸前後といった、当時の私にはちょうど良い波だった。

他のサーファーは皆、車で来ていて、電車サーファーは、私一人だけだった。(笑)
浜辺に荷物を置いて、着替えを始めた。
その時だった!

昨日コンビニで買った食べ物&飲み物一式、母の実家に袋ごと忘れて置いてきてしまったことに気づいた!!
「飲み物もない、これはまずいな・・・」と落胆し思った。

手持ちのお金は帰りの電車代ピッタリしかない。
当時は今みたく携帯電話もなければ、お金もぴったんこしかないので公衆電話も使えない。
我慢するしかないなと思い、諦めることにした。
「のどが渇いたり空腹で我慢できなくなったら、早めに海から出よう。」そう思った。

この日は、水はきれいで天候も良く、波もそこそこで、気持ちよくサーフィンを楽しむことができた。
空腹や喉の渇きを忘れて、細かな休憩をはさみながら、結局日が暮れる夕方まで海に入ってしまった。

海から上がり、着替え終わって、さすがにヘトヘトに疲れ切っていた。
空腹はさることながら、のどの渇きが我慢できなかった。

頭が少しクラクラしながら、歩いて阿字ヶ浦駅に到着。
東京までの切符を買う。

切符代を払い、残金110円だった!笑

「この110円で、食べ物(パン)、飲み物、どっちを買おうか・・」迷った。
迷ったあげく、強烈な喉の渇きと、甘いもの欲しさに、駅の自動販売機で缶コーヒー(アイスコーヒー)を買うことにした。

当時大好きだった(今も好きだが笑)、ジョージアの缶コーヒー(ミルクコーヒー)、250ml缶で110円だったと思う。これでこの日のお金はすっからかん(笑)
甘くて美味しくて、一気に飲み干した。この日ほど、缶コーヒーが美味しいと感じたことはない。もともと好きだったが、ますます好きになってしまった。渇き切った喉と、海水で塩辛くなった口の中に、甘いジョージアが染み入るように溶けていった。

電車が来て乗り込む。
空腹と喉の渇きは、ジョージアで少しは和らいだが、それも一瞬で、またすぐに強烈な空腹が襲ってきた。
「でも、朝飯を食べてきたことは幸いだった。早朝にもかかわらず作ってくれた叔母には感謝だな。」そう思った。

勝田駅に到着し、上野行きの鈍行(どんこう※)の常磐線に乗り換える。
時間は19:00ごろだったと思う。外は暗くなっていた。
(※鈍行列車=各駅停車、普通列車のこと。)

強烈な空腹と喉の渇きに耐えながら、
「このまま、東京(帰宅)まであと2時間ちょい、我慢だ!」そう自分に言い聞かせる。
また、「なんで、忘れて行ってしまったんだろう?」と自分を責めつつ、電車に揺られ出発の勝田駅から二駅目の、母の実家の最寄りの「赤塚駅」に到着。
その時だった!!

なんと、ホームに日帰りで来ていた父と母の姿が!!
そして、扉が開いて私と同じ車両に乗り込んでくるではないか!!
そして、母の手には、あのコンビニ袋!!!

なんて奇跡なんだ!」私は思った。
空腹からくる幻かと思ったくらいだ。
父母もびっくり、帰りがまさか同じ電車(車両)になるなんて。
そして、私が忘れて置いていってしまった食べ物と飲み物を持っている!
聞くと、叔母が母に持たせてくれたらしい。今思うと叔母には感謝でしかない。
そして、電車の中で、昨日買ったパンと飲み物にありつくことができた。

すべてが美味しかった。
食べながら、
「この状況で、昨日買った食べ物持って、同じ電車、しかも同じ車両に乗り込んでくるなんて、親子って何か、目に見えないなにかで繋がっているんだな、絶対。」そう思った。

母は、「帰りの電車で食べようと思ってたのに。」と言った。(笑)

おしまい。

あとがき

この出来事があった日が、お彼岸だったか、お盆だったか、うろ覚えだったので、ブログ記事にするにあたり母に再確認すると、「夫婦で日帰りでお線香をあげに行くなんてお盆しかない」と言うので、お盆に確定できた。
お盆ということもあり、ご先祖様が助けてくれたのかな(笑)
というより、執筆しながら、今は亡き叔母への感謝の念が改めて湧いてきた。(この日に限らず大変世話になった。)
そもそも、買った袋を丸ごと忘れてしまう自分が、かなりのおっちょこちょいなのだが。

2025年9月20日 大嶋信之



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1992年(中学3年生・15歳の時)、入院中に見た不思議な幽霊の夢

私は、中学3年生の時、右腕を骨折して手術のために二度入院した。(一度目の手術で折れた骨をボルトで固定し、二度目の手術でボルトを抜いた。共に全身麻酔だった。)
骨折の原因は、体育館での体育の授業の後、調子に乗って友達に披露しようと、マットも敷かず助走をつけてロンダート(側転)からバック転したところ、肩から落ちてしまい、上腕骨の骨頭が見事にきれいに折れてしまった。小学6年まで体操を習っていたので、中学1年くらいまでは何なくできたのに、中学3年生になると身長も20cmは伸びていて体重も増えていたので、体のコントロールができなくなっていた。(落ちたのが肩からだったのは幸運だった。首だったら大変なことになっていた。)
母親もたまたまPTA活動で学校にいて、すぐ保健室に来た。(今考えるとこれも偶然だが。)
学校からタクシーで病院へ行くと、そのまま入院になってしまったため、数日後に控えた、楽しみにしていた京都への修学旅行が急遽行けなくなってしまった。

一度目の入院の時だった。ある朝、不思議な夢を見て起床した。
その夢は、自分が死んだ夢だった。(後から知ったのだが、自分が死ぬ夢は、夢占いでは大吉夢らしい。)
自分が、自分の体から抜け出し、下を見ると自分が入院した病室のベッドの上で死んでいる。
周囲に母親や友達が何人かいて、悲しみで泣いていた。

入院中に見た不思議な幽霊の夢
(死んだ自分を見下ろす自分と、背後から来る幽霊のおじさん。)

泣いている家族や友人に話しかけても、私の声はまったく聞こえないようだった。
焦った私は、夢の中で何度も「僕、死んでないよ!ここにいるよ!」と繰り返し叫んだ。
母親や友人の肩をいくら両手で掴もうとしても、すり抜けてしまい掴めない。
「あ、僕本当に死んじゃったんだ。」そう思って落胆した。
夢の中で、しばらく気を落として、泣きたい気持ちを抑えられなかった。
「もう、誰とも話せないんだ。」そう思い、孤独が怖くて、たまらなくなった。

その時、背後から声が聞こえた。
私とだけは話せるんだよ。」男の人の声だった。
少し嬉しくなって振り向くと、なんと三角巾を額につけた、白い着物を着た中年のおじさんだった。
足もなく浮遊していて、いわゆる俗に言う「幽霊」そのものだった。(笑)
後から考えると、わかりやすく死装束(しにしょうぞく)を着用していたところが非常に面白いというか興味深い。

そっか、僕は死んだんだから、幽霊の方とは話すことができるんだ。」そう思って少し嬉しくなった。さっきまでの孤独の恐怖は和らいで、話し相手がいることに安堵した。

その時、夢から覚めた。
目が覚め「夢でよかったー!」と心から思い、嬉しくなった。
それにしても不思議な夢だったと思った私は、仲良くさせてもらっていた同じ病室で隣のベッドのGさんという年配の男性にさっき見た夢の話を始めた。
病院は朝食前だった。起床したばかりのGさんは興味深く私の話を聞いてくれた。
その時だった。

急に病棟全体が慌ただしくなった。
私の病室(4人部屋)含め、他の病室の患者さんも「何だなんだ?」となった。
私が入院していた病院は、大きな都立病院で、ワンフロアがまるまる整形外科の入院病棟だった。

複数の看護婦さんが大慌てで廊下を行き来し、4室くらい先のある一つの病室に集合していた。
大がかりなギブスを装着していた私は身動きが難しく、Gさんが看護婦さんに聞きに行ってくれた。

どうやら、4室くらい先の一室(4人部屋)で入院していた90代のお婆さんが、朝亡くなったらしい。整形外科で亡くなる患者さんは珍しいため、対応できる先生が常駐しておらず、大騒ぎになっていたらしい。

まあ、偶然だとは思うが、こういった夢を見てすぐに、なおその話をしている最中の出来事だったので、「なんか、霊界が近づいていることを、察知してしまったな。」と自分で思った。なので、強く記憶に残っている。

以上でこの話は終わりだが、
余談があって、京都の修学旅行から帰ってきた友人が何人もお見舞いに来てくれた。
わざわざお土産を買ってきてくれた友人も何人もいた。非常に嬉しかった。
しかしだ、みんな揃いに揃って「八ツ橋」だったのだ(笑)
私のベッドに八ツ橋の箱が山積みになって、一時、八ツ橋に飽きてしまいしばらく食べられなくなったほどだ。
だけど、限られたおこずかいの中から、私のために買ってきてくれて、本当に感謝している。

あと、不思議な話がもう一つだけあって、入院中にお見舞いに来てくれた人の話。

まずは、同級生で大好きだった親友のお姉ちゃん。
私が入院した時、バイクで転倒して片足を骨折して偶然同じ病棟で入院中だった。
入院当初、腕を牽引していて身動きが取れない私の部屋に、たまに松葉杖でお見舞いに来てくれた。入院してすぐは寂しい気持ちだったので、とてもありがたかった。
これは本当にたまたまで、嬉しかった偶然の話。

次に、幼馴染みの三つ上のお兄ちゃん(仮にYちゃんとする)の話。
これは今でも不思議な話。
Yちゃんは、生まれた時から近所に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだったのだか、数年前に引っ越してしまい、引っ越した当初はよく遊びに行っていたが、しばらく会っていなかった。
面倒見がよいYちゃんを、私は大好きだった。
入院中のある日、そのYちゃんがお見舞いに来てくれたというのだ。
私は手術の前後だったためかうろ覚えだが、Yちゃん家族の連絡先は、母しか知っておらず、私からも当然連絡していない。母も連絡していないと言うのだ。
どうやって私が入院していることを知ったのだろう。ましてや入院先の病院なんて、誰からか聞かなきゃ絶対にわからないはず。
その時の話になると、今でも母がこう言う、
Yちゃんがお見舞いに来てくれたのよ!私、何の連絡もしてないのよ。どうやって入院を知ったのか今でもわからない。不思議なことってあるのね。
それ以降、Yちゃんとは会っていないが、今何してるのだろう。会いたいな。(もしこのブログを見ていたら、Yちゃんだったらわかると思うので、よかったら連絡ください。弟のKちゃんにも会いたいです。)

あと、この記事を執筆しているときに、気づいたのだが、夢の中で会った幽霊のおじさんって、入院の約3年前に私が遭遇した自殺者だったりして、って少し頭によぎりました。
それはそれで、なんとなく腑に落ちる、ような気がする。



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1982年頃(5、6歳ごろ)の不思議体験-従兄弟(いとこ)がテレビに映る。

私の幼少期での不思議体験の中で、この現象が一番不思議だったと言っても過言ではない。
それは、親戚の出来事がテレビに映ることだった。
特に「従兄弟(いとこ)」の出現率が高かった。たいがい、従兄弟のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、つらい気持ちになっているシーンがテレビに映し出されていた。
親など家族に言っても当然信じてもらえないし、「似た人が(テレビに)出てたんでしょ?」といつも軽くあしらわれるのだった。当時、誰に言っても信じてもらえないのが辛かった。(まあ、どれも証明できないので、当然だが。)

そんな時、ある事件が起こる!!

従兄(いとこ)の交通事故がテレビに映って見えた不思議体験

当時、茨城県水戸市にあった母親の実家に帰った日のこと。
実家に着いた夕刻、母の実家に当時住んでいた従兄(仮にMくんとする)がテレビに映っていた。(Mくんは出かけていて実家には不在だった。)
帰省してすぐで実家の家族たちと会話で盛り上がっている母親に「Mくんが、テレビに映ってるよ。」と言うと、母親は「何をバカなこと言ってるの?似た人でしょ?」と軽くあしらわれた。

見取り図
(当時の見取り図)

テレビの内容は、
従兄のMくんが当時乗っていた車(赤の小型クーペ)を運転していて、一歩通行っぽいやや細めの道路の左側に寄せて路駐した。
すると、後ろから白い車が結構なスピードで来て、路駐しているMくんの車を通過する際、Mくんの車のサイドミラーに当たってしまい、右側のサイドミラーが吹き飛んでしまった。
白い車は、停止せずにそのまま走り去って行ってしまった。
赤の車から降りたMくんは、とても怒った表情で、「おい、待てよ!」と走り去る白い車に向けて叫ぶのだった。
そこで、テレビは終了した。

「まあ、母親の言う通り、似た人がテレビに出てただけなのかもしれない」とも思いつつ、いつもそんな感じで従兄弟がテレビに映って見えていたので、不思議だとは思わなかった。

何時間か過ぎて、夕飯を食べ終わったくらいだったと思う。従兄のMくんが興奮しながら帰宅した。
開口一番「車を当て逃げされた。右のサイドミラーがやられた。」と。
しかも、逃げ去った車は白い車だったという。
すぐさま母親に「だから、言ったじゃん!さっきテレビに出てたのはやっぱりMくんだったんだよ!」と興奮しながら言った。当然、母親は「・・・(ポカーン?)」だった。

と、まあ、こういった不思議な話です。
大人になって、ある親しくなった女性友達にこれを話したところ、「私も小さいころ同じ経験をしたことある。親戚の不幸がテレビに映るの。言えば気持ち悪がられるし、誰にも言えなかった。」と。
そういう体験したのは自分だけではないんだなと思って、何かホっとした。

自分なりの考察では、脳波の共鳴なのではないかと考えている。
特に親戚や従兄弟などは、親和性が強く、共鳴しやすいのではないかと。
たとえば、離れた場所で従兄弟が辛い思いをすると、その脳波が拡散し、私の脳波と共鳴することで、その従兄弟が体験している光景が私の脳(視覚)に映し出される。
ちょうど、電波の共鳴で情報を受け取れる、テレビやラジオの同じ原理だ。
でもなぜ、大人になるとそういった能力は失われやすいのだろう。おそらく、言葉を覚えるとそういった能力は必要ないからだと予想できる。子どものうちは、言葉以外でコミュニケーションをとっていることが多いから、そういった能力が必要なのだろう。もしかしたら、言葉を話さない動植物もそうなのかもしれない。
きっと、人間の脳には、まだまだ様々な可能性があるのだと思う。

ここからは余談だが、今考えると、宇宙人に遭遇したのも同じ年ごろで、同じ場所(母の実家)だった。(関連記事:私が遭遇した宇宙人
何か、関係あるのかもしれない。

宇宙人遭遇場所とテレビ不思議体験の見取り図
(宇宙人遭遇場所とテレビ部屋)

デイトナインターナショナルさんのチャンネルで、幼少期の宇宙人の遭遇談UFO目撃談とともにこの不思議体験談を少しお話しさせていただきました。よろしければご覧いただけると嬉しいです♪



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1986年頃、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園)上空で見た不思議なロケットのような葉巻型UFO

幼いころ、夏になると毎年のように、うちの家族と近所の幼馴染みの家族とで、「としまえん」(東京都練馬区・豊島園にあった遊園地)のプールによく行っていた。プールから上がると、乗り物に乗ったりして遊んで、夜になると花火が上がったので、それを見て帰るというルーティンだった。

そんなある夏の日、不思議なものを見た。
小学生の頃(8~10歳)ごろだったと思うが正確に思い出せない。

いつものように、プールから上がり、夕刻になり薄暗くなると、花火の時間になった。
花火が上がり始め、みんなで花火を見上げていた。

すると、頭上の雲の合間にロケットのような形状をしたものが、飛んでいくのが見えた。いくつかライトをつけていて、点滅はしていなかった。飛行機よりも細長い胴体、翼はなかったので、ロケットだと思った。高度はやや低空飛行で、大きくはっきり見えた。

1986年ごろ見たロケットか葉巻型UFO。
(雲の合間から見えたロケットのような飛行物体)

家に帰りテレビを観ると、ニュース番組で「種子島からロケット打ち上げ成功」というニュースが流れていた。

そうか、種子島のロケットが見えたんだ。
小学生の自分は、本気でそう思って納得してしまった。

しかし、後になって考えると不思議になった。
種子島で打ち上げたロケットが、東京都練馬区にある「としまえん」上空で見えるわけがない。しかもロケットにはライトがないはず。
では、自分が見たものは何なのか。

私は幼少期、離れた場所で起こっている出来事が、テレビに映って見えてしまうという、なんとも不思議な経験を何度もしていたので、きっとそういうこと(種子島の出来事が幻覚で見えてしまった)だろうなと思った。(→従兄弟がテレビに映る不思議体験
ただ、今考え直すと、ロケットにはライトはないはず。だから、飛行機を見間違えたか、UFOか。
でも、当時は今のように都心部を低空飛行する羽田新ルートはなかった。だから、豊島区や練馬区では飛行機が低空飛行では飛んでいなかったと記憶している。
そう思うと、UFOだったのか。

いろいろ調べると、私が見たものは「葉巻型UFO」に一番酷似していた。

ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)
ジョージ・アダムスキーが撮影した巨大な葉巻形UFO(ムーwebより)

「ムーweb」の記事に掲載されている、ジョージ・アダムスキー氏が撮影したという葉巻型UFO。私が見たものに非常に似ている。

発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より
発光する葉巻型UFO「怪奇動画ファイル」より

2013年2月イギリス(英国マンチェスターのデントン市)で撮影されたという葉巻型UFO。(「怪奇動画ファイル」の記事より)
縦型にホバリングし、写真のように緑色などに発光していたという。
私の見たものに一番似ている。私が見た時も、縦型の状態だった。このような物体が上に進んで飛んでいた。

年代(日にち)を特定する

今になって調べてみると、その年代の夏休み期間に種子島宇宙センターから打ち上げられたロケットは以下である。

1981年8月11日 N-IIロケット2号機(N8F)(静止気象衛星「ひまわり2号」)
1983年8月6日 N-IIロケット4号機(N11F)(実験用静止通信衛星「さくら2号b」)
1984年8月3日 N-IIロケット6号機(N13F)(静止気象衛星「ひまわり3号」)
1986年8月13日 H-Iロケット試験機1号機(H15F)(測地実験衛星「あじさい」)
1990年8月28日 H-Iロケット7号機(H22F)(実験用中継放送衛星「ゆり3号a」)

※参考:JAXA>衛星打上げロケット実績(1966~2003年9月

以上より、おそらく、1984年、1986年、1990年、そのあたりの出来事だったのだと思う。自分の中では、1986年8月13日(当時9歳/小学3年生)が一番可能性が高いと感じている。



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ふと思い出す謎の知識

私には、ふと思い出す(というより頭から離れない)、誰から教わったのかわからない謎の知識があります。(皆さまもおありかと思います。)親ではなく、おそらく小学生の時の先生が言った言葉だと思うのですが、誰だか思い出せません。記録のために記述していきます。(まだまだ沢山あるので、思い出したら加筆していきます。)

人間の特性
人体に関わる知識
歴史にまつわる知識
地学
政治学
工学
自然について


人間の特性

・人間は血の色と同じ「赤色」を見るとびっくり(注意を引く)ような特性がある。その特性を利用したものが、信号機の赤、車のブレーキランプ(テールランプ)、緊急車両の警光灯など。

・人間の目は、人の顔を認識する能力に長けている。目や口の位置に当てはなる(3点がある)となんでも人の顔に見えてしまう錯覚を起こす。

・目の焦点、少し外したところがよく見える。焦点が一番視力が良いわけではない。

・動物によって目の位置が異なり、視野が異なる。草食か肉食かによっても異なり、魚は前も後ろも同時に見える視野を持っている。人間はなぜか前を見る面上に2つ目が付いていて、前しか見えない。これは肉食動物の特徴に近い。

・舌の神経は、一番好きな甘みを感じるのは先端、苦手な辛さ・苦みは奥で感じるようになっている。

・人間は、高い場所(高所)において、胸の高さまで柵があると怖さを感じない。胸の高さ以下では恐怖を感じる。

・食品は、遺伝子が遠いものを口にした方が良い。遺伝子が近いものばかり食べると体に良くない。

・春になると、薄着の女性が増えるために、変な男が増える。

人体に関わる知識

・女性は子供を産むために、お尻が大きくなる。

・人間の赤ちゃんは、他の動物から見れば未熟児の状態で生まれてくる。ほとんどの動物は、生まれてすぐに立ち上がり歩くことができる。それは野生における防衛本能として当たり前で、人間だけがおかしい。

・人間の妊娠期間10カ月というのは、絶妙なタイミングで、これ以上お腹の中にいると、頭が大きくなってしまい産道から出られなくなってしまう。

・子供(子孫)は遺伝子の遠いパートナーと作った方が良い。近い遺伝子ばかりで子を残すと生命力が弱くなる可能性がある。

・女性の陰部はデリケート、だから綿の薄い下着を着用し、通気の良いスカートを履く。

・血液は本当は液体でなく固体。

歴史にまつわる知識

・地球誕生から46億年、人類は誕生してたった100万年、人類の祖先の化石は見つからない。この年代をミッシングリンクと呼ばれている。

・言語の発達が、他の動物と違って人類の発達に寄与した

・美人の定義は時代によって変わる、今は西洋人の顔が美人ということに洗脳されている、日本人は浮世絵の女性が当時の美人だった。

※後になって見つけた動画

【人相と内臓の関係】
上の動画17:30あたりから「格好良いとか、可愛いとかされている顔は文化との相関関係」で紹介されているエスキモーの話がこの話(美人について)の的を得た面白い話。

地学

・地球のほとんどはマントルだから地殻は卵の殻のようなもの。我々は薄い殻の上に住んでいる。

政治学

・中国はどうしても海が欲しい

工学

・日本の多湿な風土には、高床式住居が理にかなっている。

・車のデザインは、ヘッドライトは人間の目、バッグライトの赤は、血の色。人間の注意を引くよう設計されている。

・車の車内には、物を置けぬよう、わざと平面を設けていない。(物を置くと危険だから)

・コカコーラのくびれたガラスボトルは、ある青年がスカートを履いた彼女(女性)のシルエットの美しさを表現し、大ヒットに繋がった。

自然について

・夕焼けの反対側の空にも、うっすら同様の夕焼けが見える。

・星はずっと見ていると、静止しているはずなのに、ゆらゆら動いているように見えてくる。



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【不思議体験】1989年(12歳・小学6年生)の時、街中で自殺者第一発見者になる。数年後、同じ場所で霊魂(幽霊)のようなものを見る。(心霊体験)

首吊り自殺者を発見する
その場所で不思議なものを見る
現場
関連情報

首吊り自殺者を発見する

私は、1989年当時12歳(小学6年生)だった時、いつも通る学校の帰り道の途中、偶然自殺者を発見(というか遭遇)したことがある。

ある土曜日の下校中、家の近くの友人宅前まで友人と一緒に帰ってきて、友人と別れ一人になってすぐのところで、目の前に40代くらいの男性が金網のフェンスに首を吊った状態でぶら下がっていた。

1989年(12歳、小学6年生)街中で自殺者第一発見者になる

場所は、東京都豊島区西巣鴨の某所、大通りから一本入った裏路地で、車はギリギリ通ることができない道幅(2mくらい)、人通りも比較的少ない道だった。当時、私の自宅はその道から大通りに出てすぐのところにあったので、その道を通ることが多かった。(→UFOもこの道で見た。

時間はお昼頃、給食がない土曜日の帰り道だったので、よく覚えている。(当時は週休二日制ではなく、土曜は午前中の4時間授業のみで給食なしだった。)
私は土曜のみ体操教室に習っていて、土曜日は毎週、帰宅し昼食を食べたら、すぐに体操教室に向かうのだった。

男性の容姿は、頭はアフロヘア、つなぎの作業着を着ていた。
首には、針金のようなグレー色のバンドのような何かで、金網に結んであった。
フェンスの向こうは、当時、某大手自動車メーカーの整備工場(兼販売店)があったので、そこの作業員だろうなと思った。

私は、Uターンをして、先ほど別れた友人の家に行き、友人の母親に報告した。友人の父親は公務員をされていて、土曜日の昼間は不在だった。(公務員も当時は週休二日制ではなかった。)
そして友人と母親と三人で、現場へ向かった。
友人の母親は、首を吊った男性が見えてくると、非常にビックリしたらしく、「キャ!」と声を上げ、立ち止まってしまい、気持ち悪がって近づけなかった。(それは当然だろう)
ちょうどその路地手前で、建築中だった小規模なマンションがあったため、そこの建築作業員を呼びにいくことにした。(ちなみに、記憶では私が5年生か6年生の頃の出来事だった気がしていたが、本記事を執筆するにあたり、そのマンションの築年月を確認したところ、6年生の時だったと確定することができた。)

建築現場の若い男性作業員一人に伝えると、その作業員が一緒に確認に付き添ってくれることになった。男性作業員は、首を吊った男性に近づき、片足を握って揺さぶった。
何の反応もないことを確認し、「こりゃ、死んでますねー」と言った。

友人の母親とその男性作業員が警察へ通報すると言うので、私は一旦帰宅することになった。
自宅で昼食をとり、体操教室へ向かう際に、再度同じ道を通ると、すでに警察や救急車が到着し、友人の母親が数名の警察官と話していた。見物者も何人もいた。

私は、それらを横目に体操教室へ向かった。
「あとは、友人の母親に任せよう。」そう思った。

その後、日常に戻り、その道は毎日のように通るので、そんな事件があったことなど忘れていた。

その場所で不思議なもの(幽霊・霊魂のようなもの)を見る

事件から3年過ぎた15歳(中学3年生)の頃、学校の友人2人と双子の弟と私の4人でその道を歩いていた。
私は、3人の後ろを下を向いて歩いていた。学校が終わって、4人で遊びに向かうところだったと思う。時間はお昼くらいだったと記憶している。なので、この日も土曜日だったかもしれない。その時は自宅側(大通り側)から、自殺者発見時とは逆方向から歩いていた。

1992年に見た幽霊のような霧(心霊現象)

すると、マンホールなどない場所なのに、道(地面)から湯気のような霧が上がってくるのが見えた。「なんだ?」と思った瞬間、その湯気はたちまち大きな塊になり雲のような感じで上(空の方)へ上昇していく。すぐさま弟に「なんか白い霧のような雲のようなものが地面から沸き出てきて、空へ登っていくんだけど!」と報告した。
振り返った弟が叫んだ「おい!そこ、自殺があった場所じゃねーか!
私は驚き、立ち止まりふと横を見ると、自殺のあった場所の真ん前だった。友人二人もびっくりし、弟とダッシュで逃げ出してしまった。
私も後を追うように走ってその場を去った。

後から友人たちに聞くと、友人二人と弟は、その雲のような物体は見えなかったとのこと。私だけ見えたようだった。

以上だが、今考えても不思議な出来事だった。
まず、白昼にそのような自殺の仕方をして、私が発見するまで、誰もその道を通行する者がいなかったこと。
そうは言っても、都会の裏路地、少ないながら人は通る。ということは、自殺してからさほど時間は経っていないことが予想される。おそらく、その整備工場で働いている従業員だとしたら、昼休みに自殺したのであろう。そうなると、私が発見した時点では、まだ息していた可能性さえ考えられる。
後になって(20年後くらい)、この出来事を茨城県でお寺の住職を務める親戚(従兄)に話すと、「おそらく、ちゃんと成仏できておらず、一番最初に発見したあなたの前に現れたのだろう。次にその場所を通るときがあれば、安心して成仏されるよう、心に唱え手を合わせるとよい。」と話してくれた。その後、その場所を訪れ、従兄が教えてくれた通り、手を合わせた。

現場

2025年4月、ブログ記事にするにあたり、改めて現場を訪れてみた。
裏路地といえどマンションや住宅が立ち並ぶため、モザイクをかけておきます。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
現場写真

首吊り自殺に遭遇した現場。新しくはなっているが金網のフェンスはまだ残っている。
フェンスの向こうにかつてあった自動車整備工場(店舗)はなくなり、今はマンションが建っている。

1988年ごろ首吊り自殺があった場所で1991年ごろ幽霊を見た場所(東京都豊島区西巣鴨某所)
幽霊のようなものを見た場所

地面から雲のような霧が湧き出て見えた現場。
首吊り自殺のあった場所(フェンス)の真ん前。マンホールや排水溝などは存在しない。
写真右側(フェンスの反対側)は住宅の塀になっている。

現場を後にするとき、しっかり成仏されたことを祈って、改めて手を合わせた。

関連情報

この事件の3年後の中学3年生の時、骨折で入院中に不思議な夢を見た。
もしかしたら、夢に出てきたのはこの自殺者だったのではないかと、今になって少し思った。(→1992年、中学3年生・15歳の時入院中に見た不思議な幽霊の夢

以前、ラジオ番組「おはよう寺ちゃん presents 異次元電波クラブ 4~あなたを異世界に誘うラジオ~」(文化放送)内で、霊感のあるスピリチュアル芸人 小出真保(こいでまほ)氏が、「幽霊はモヤのようなもの」と発言しているのを聞いて心から納得してしまった。



Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
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【不思議体験】「私が見たガネーシャ」- ガネーシャ神ほか、ヒンドゥー教の神々が寝室に現れた二度の体験談。

私は、幼少期より不思議体験を経験する体質だったが、大人になるにつれそういった体験は少なくなっていった。

結婚して、子どもが生まれ、家庭ができると、ますます大きな不思議体験などはしなくなっていた。
しかし、大人になって初めてと言っていいほどインパクトの大きい不思議体験を3年前の2022年2月と4月に体験した。

それは、寝ていた寝室に「ガネーシャ」およびヒンドゥー教の神々が現れたことだ。
恥ずかしながら、当時、象のような神がインドにいることくらいは知っていたのだが、ヒンドゥー教のことも「ガネーシャ神」のこともあまり詳しく知らなかった。
体験後の翌朝、起きてすぐに調べところ、私が見たものは「ガネーシャ神」そのものだった。
その時の体験談を、自身の記録という意味も含め、以下に紹介したい。
同じような体験をされたという方がいらしゃいましたら、コメントかご連絡いただけると嬉しいです。

寝室にガネーシャ現る 
後で調べたこと
番外
 ・関係のない絵を描いていたらフラッシュバックした
 ・待乳山聖天
 ・余談(ガネーシャ出現の本当の意味?!)


寝室に現れた「ガネーシャ」ほかヒンドゥー教の神々

2022年2月17日、寝室で家族4人で寝ていたが、深夜(時間は不明)ふと目を覚ますと、目が眩むほどまばゆい緑色の光に寝室の部屋中が包まれていた。寝室は、八畳の洋室で、妻と息子二人の4人で布団を敷いて寝ていた。(いつも遮光カーテンを閉めていて真っ暗の状態。)

明るさに驚き、とっさに目を閉じると、まぶたの裏に残像がくっきり残ったため、本当の明るさで、かつ夢でもないことに気づいて、急に怖くなった。しかし、この光が何なのか確かめるべく恐る恐る目を開けた。

すると、緑の明るさで真っ暗な室内が明るくなっていて、寝ている妻の姿や子供たちの姿が見えた。
光源は、窓のカーテンの方(室内)で、何やらいくつもの緑色の光が動いていた。

よく見ると、何体もの小さな人間と言うか、神様のようなものが、それぞれキント雲のようなものに乗って踊っていた。
揺れながら楽しく踊っている感じだった。中央にいる神様をよく見ると、顔が象、体は人間だった。同じキント雲にはもう一体の少年のような顔の神様が横に同乗していた。しかしよく見ようとすればするほど、(フォログラフィーのような感じで)光が薄くなっていってしまう。

神様の数は、上のイラストのように、中央にガネーシャ含め二体、周りに4体だったと思う。そして、どれも手が2本ではなく4本かそれ以上あった。手足を動かしながら、キント雲も少し揺れながら、楽しそうに踊っていた。

私は目が悪く、眼鏡をかけないとよく見えないのだが、眼鏡をかける暇もなく、その光たちは少しずつ薄くなり、消えていってしまった。先にも述べたが、その光(と神様)は、実体のないどこからか投影された3Dホログラムのような印象だった。

驚いてしばらく目を覚ましたまま、部屋をの中を見ていたが、光は戻ってくることはなく完全に消え去り、部屋は真っ暗な状態へ戻ってしまった。すると、暗くて何も見えない。「今のは何だったのだろう?」と思い、また寝た。

翌朝起きてすぐに調べたところ、私が見たものは「ガネーシャ神」そのものだった。
周りにいた数体も、ヒンドゥー教の神のような容姿だとわかった。特に、ガネーシャのすぐ隣にいたのは「クリシュナ」か「ラクシュミー」が一番似ていた。

同様の体験を2カ月後の4月1日にも経験し、合計二度体験した。

一度目の体験以降、ガネーシャのこと、ヒンドゥー教のことに興味が格段に強くなり、詳しく調べることになった。ヒンドゥー教は、密教として仏教とともに日本にも伝わってきたこと。ガネーシャ神はヒンドゥー教で最も人気がある神様で、商売繁盛、学業成就(学問の神)、知恵の神、障害を除去して成功へ導く力などご利益も多く、この世の望みをすべて叶えてくれるパワーがあるとのこと。日本でも名前を変えて「歓喜天(かんぎてん)、聖天(しょうでん)」と呼ばれ、ガネーシャ神を祀っているお寺があることなどを知った。

当時、長男が中学3年生で、高校受験に向けて勉強を頑張っていた。
寝室に勉強道具を持ち込んで、みんなが寝た後も、暗がりにスタンドライトをつけて夜遅くまで勉強していた。
だから、「学業の神様がいらしてくださったんだ。」と勝手に思い、家族へは報告はしなかった。しかし、後日ある出来事をきっかけに報告することになる。(→きっかけとなった出来事

また、長男が3、4歳の時、私が「生まれるとき、どこから来たの?」と問うと、長男は「子どもの象さんに乗って山から降りてきた。親の象さんも一緒にいて、僕を降ろすと、象さん親子は山に帰っていった。」とよく答えていた。だから、象さん=ガネーシャだと思い、長男のもとにガネーシャが現れたことは、なんら不思議にも思わなかった。

下の写真は、その時(長男が3、4歳のころ)おもちゃ屋さんで購入した、象の親子の置物。15年経った現在もリビングに飾っている(笑)

象の親子の置物
象の親子の置物

後で調べたりしたこと

以上2回の体験以来、ヒンドゥー教のことが気になってしまい、今でも何かにつけて調べたりしています。

ある縁日の出店で購入。(2022年9月14日購入)
そのお店は、様々な宗教グッズを売っていたので、店員の外国人女性に聞くと、「すべて『密教』のグッズ(商品)よ」と教えてくれた。その時、恥ずかしながら「密教」を知らなかった私は、そこから「密教」について調べるきっかけになった。

2023年1月、民族雑貨店で見つけて購入した置物。
ガネーシャ(右)とラクシュミー(左)が一緒になっている。私が見たもの(同じキント雲に乗ったガネーシャともう一体)に非常に近いと思い購入した。
ラクシュミーは、ヒンドゥー教では豊穣、富、幸運、美、繁栄を司る女神で、インドでは最も人気のある神様の一人であり、仏教では「吉祥天(きっしょうてん、きちじょうてん)」として知られている。

購入した民族雑貨店は、ヒンドゥー教のグッズを多く販売していたので、会計時に店員女性に「実は先日、私の部屋にガネーシャとヒンドゥー教の神様が現れたんです。そういう方、ほかに聞いたことありますか?」と思わず聞いてしまった。
すると、「神様が現れたって方は今までいませんけど、寝てたら『曼荼羅(まんだら)』が現れた(見えた)というお客様が以前いらっしゃいましたよ。」と教えてくれた。
興味深いなと思い、その後、曼荼羅についても調べることになった。

同雑貨店で購入した、シヴァ神の真鍮の置物、「踊るシヴァ神(ダンシング・シヴァ)」。
シヴァはブラフマー(創造神)、ヴィシュヌ(維持神)と並んで、ヒンドゥー教の三大神の一柱であり、ガネーシャの父親だ。破壊と再生を司っていて、ヨガのルーツとも言われている。日本では、「大黒天(だいこくてん)」や「不動明王(ふどうみょうおう)」の名で知られている。
シヴァは誤って息子の首を切り落としてしまい、あわてて象の頭をとって付けたのがガネーシャ誕生のエピソードだ。
ちなみに、この「踊るシヴァ神」は、素粒子物理学の世界的な拠点「欧州原子核研究機関(CERN/通称 セルン)」にも展示されている。「なぜ、セルンにシヴァ神?」と時にオカルト界隈では騒がれるが、インド政府から寄贈されたのだそうだ。

同雑貨店で購入したガネーシャの真鍮。
私が見たものもこのように手が何本もあった。

同雑貨店で購入した、ガネーシャの真鍮の置物。

2024年、ネパール人が経営するハラルフード店で購入した、「ガネーシャ」と「シヴァ&パールヴァティ」の絵画。ネパールは、国民の8割がヒンドゥー教を信仰している。
シヴァとパールヴァティは、ガネーシャの両親(父がシヴァ、母がパールヴァティ)だ。

同じくハラルフード店で購入した、「ガネーシャ」と、ガネーシャの母親である「パールヴァティ」の絵画。
店主のネパール人に、「実は先日、私の部屋にガネーシャと、一緒に他のヒンドゥー教の神様が現れたんです。」って聞いてみたところ、「あなたはとてもラッキーな人よ。ガネーシャは願い事をすべて叶えてくれる神様だから、なんでも願い事してみてください。」と言ってくれた。
加えて、「ガネーシャの周りにいた神様は○○と○○と○○と○○だったはずよ。」と神様の名前も教えてくれた。残念ながら、メモを取っていなかったので、名前は忘れてしまったので、再度聞きに行きたい。


番外

絵画を描いていたら不思議な感覚になった。

このガネーシャ体験とは、直接は関係ないが、後日(約1カ月後の2022年3月22日)、以下の絵画を描いているときに、不思議な感覚に陥ったので紹介したい。絵を描いていて、そういう感覚になったことのは初めてだったので、記録のためにも書いておきます。

絵画アート「年輪」2022年3月22日制作-Nobuyuki Oshima(大嶋信之)
「年輪(Nenrin)」2022年3月22日制作
(C)2022-Nobuyuki Oshima

上は「年輪(Nenrin)」という作品名のガネーシャとは関係ない絵画作品なのだが、この絵画を描いているときに、不思議な感覚に陥った。ガネーシャを見た体験から約1カ月後の3月22日のことだ。
ガネーシャのことなど一切頭になく、ただ集中して絵を描いていたのだが、この絵が完成間近に差し掛かったとき、急にガネーシャを見た時の感覚がフラッシュバックし始めたのだ。
その時の光景が、鮮明に頭に映し出される感じだった。
絵はリビングで描いていたので、妻や子供もその場にいた。
私はなぜか、顔がニヤニヤしていたらしく、それを見た妻が「なんでニヤニヤしてるの?」と聞いてきた。
私もなぜ自分の顔がニヤニヤしているのかわからず、ドキッとして、そこで迷わず「実は、先月・・・・」と2月17日にガネーシャを見た一部始終をすべて話した。
妻は「なんで、1カ月も経って言うの?」と言うので、「なんか、話したくなかった。信じてもらえる気がしなかったから。でも長男が勉強を頑張っていたから、来たんだと思う。」と答えた。(その後、現に長男は第一志望の高校入学を果たした。)
絵を描いていて、こんな感覚になったのは初めてだったので、自分でもすこし驚いた。思いつくまま筆を動かし、太陽光を光合成する植物、そして永遠に輪を刻む樹木の渦巻きを意識しながら描いた絵画だった。この絵に何か、そういったパワーがあるのかな。自分でもわからない。

待乳山聖天(まちつやましょうでん)

私は仕事柄、浅草(東京都台東区)へ行くことが比較的多いのですが、その浅草に、ガネーシャ(聖天さま・歓喜天)を祀っているというお寺があることを後から知り、浅草へ行った時にはできる限り参拝することにしている。
そのお寺は、「待乳山聖天(まちつやましょうでん)」。浅草寺の子院のひとつで、毘沙門天(びしゃもんてん)も祀られている。推古天皇3年(595年)に一夜で地面が隆起して山(待乳山/標高約10m)となり、金龍が舞い降りて守護したという伝説が待乳山聖天の始まりで、ご利益も大きいと言われています。

写真はお寺(待乳山聖天)の前に並ぶ仏像のひとつ。(2024年7月14日撮影)
キント雲のようなもの(たぶん蓮の葉)に乗った、複数の手を持った仏様の様子が、私の見たものに近いと思い撮影させていただきました。仏像の下には小さな仏像が三体それぞれキント雲(蓮の葉)に乗っているところも、私が見たものに近い。

余談(ガネーシャ出現の本当の意味?!)

2月、4月のガネーシャ出現から約一カ月後の2022年5月下旬、妻の兄が職場で突然倒れ、帰らぬ人となった。くも膜下出血、47歳という若さだった。私の3歳上で年が近かったため、大変親しくさせてもらっていたし、趣味のサーフィンも私と同じで、そんな話でお酒も一緒によく飲んだ。
突然すぎる死に、妻はこのガネーシャ出現は、もしかたら予知だったかもしれないと言うようになった。確かに時期から考えるとそれも不自然ではない。5月に倒れる直前の、2月と4月に体験後、今は3年以上経つが同じような経験は一切ない。また、妻は、首を切られて象の頭を付けられたガネーシャ誕生の由来と、脳出血で亡くなった兄を、重ねて連想したようだった。
それに加え、妻の実家のお墓は訳あって無宗教状態だったが、今回義理兄のお寺は、地元でも由緒ある寺院で、真言密教である真言宗豊山派に義理父が決めたのである。その寺院にはガネーシャ(歓喜天、聖天)は祀られてはいないが、同じ真言宗豊山派のお寺には密教ということもあり(ガネーシャが)祀られているところもある。
もし今回のガネーシャおよびヒンドゥー教の神々出現が、義理兄の死の虫の知らせだったとしても、私は気づく余地などなかった。それはそれで残念な思いだ。

義理兄との別れを惜しんで描いた絵画「The Fun of Surfing is Forever(サーフィンの楽しさは永遠に)」
2022年6月2日制作-Nobuyuki Oshima(大嶋 信之)
義理兄との別れを惜しんで描いた絵画「The Fun of Surfing is Forever(サーフィンの楽しさは永遠に)
2022年6月2日作、絵は一緒に火葬してもらった。

余談だが、義理兄が倒れる日の早朝、私は生涯で初めて坐骨神経痛を発症した。その日の夜、夕方倒れた義理兄の知らせを聞くことになったのだが、坐骨神経痛の症状は重く、座れない&寝られない(横になれない)という日が続き、治るのに3カ月以上かかった。葬儀の時も座った姿勢を保つのが非常にしんどい思いだった。ある動画で、「霊は腰につく」と聞いたことがあったが、それは本当だと思った。私にとっての虫の知らせは間違いなくこの「坐骨神経痛」だった。


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UFO?不思議な光を見た-2025年7月28日東京都板橋区上空(20時15分ごろ)

2025年7月28日(月)、板橋区上空で不思議な光を目撃したので、記録のために記事にしておきます。

上の写真は、加工ソフトで作ったイメージ写真です。
星だと思って見上げていたら、突然消えてしまったので、「え?え?」ってなってカメラに収めることができませんでした。

後から撮影した実際の写真です。
丸で囲った部分に、目立つ星があります。(後から調べた結果、こと座のα星で一等星の「ベガ」だと思われます。)

拡大写真です。
カメラのせいか、四角いのですが。

<ここからは、復元イメージです>

場所は板橋区前野町5丁目付近、時刻は20時15分、ジョギングをしていてふと頭上の空を見上げたところ、ずいぶん明るい星だなと思い、立ち止まって見ることにしました。

二つの星が並んで輝いていました。
北向きに立って、ほぼ真上に向かって見上げている状態です。
上下に二つの星が並んでおり、上(南側)に位置する星の方が、少し明るめでした。
最近、UFOをカメラに収めようと、コンパクトデジカメを常に携帯しているのですが、まさかその星(光)が消えるだなんて思ってもみなかったので、カメラはスタンバイしてませんでした。

すると、突然明るい方の上の星の一瞬光が強くなりました。

強く光った次の瞬間、少し薄くなりました。
「え?」となりました。

そして、そのまま徐々に薄くなっていくのです。
「ま、まさか・・」と思いました。今からカメラの準備は無理です。

みるみる薄くなり、消えてしまいました。

上の明かるかった星は完全に消えて、下の一つの星だけになってしまったのです。
その後、何度見ても消えてなくなっている。二つ並んでいた星が一つになってしまった。
その後ジョギング中、何度もその星を見上げましたが、そのままでした。
もちろん、飛行機やヘリコプターの音は聞こえませんでした。

<復元イメージはここまで>

検証1:飛行機の可能性
夕刻~夜間、飛行機が着陸時に点灯させるランディングライトを、遠くから手前に向かってくる飛行機を見た場合、飛行機の進行方向がずれると、光が急に消えるように見える現象があります。筆者も何度も見たことがあります。ただ、それは遠くの飛行機が正面を向いているときに見えるものであって、頭上で見えるものではありません。
飛行機が頭上を通過する場合は、音を立てながら動いていますし、翼の点滅等が見えるので、明らかに飛行機だとわかります。

検証2:ヘリコプターの可能性
ヘリコプターが地上に向けて光を照射していることがあります。ただ、その場合ヘリコプターの音はしますし、多少でも動いていると思いますので、明らかに違いました。一切音はしてなかったです。

検証3:人工衛星の可能性
この可能性が一番高いと思います。時間的にも7月28日の板橋区の日没時間は18時50分、日没から1時間25分、人工衛星が太陽光を反射する時間内だと思います。現に、その後、近くの公園でしばらく空を眺めていると、人工衛星を見つけることができました。ただ、筆者は今まで何回も人工衛星を見たことがありますが、人工衛星の特徴は一直線に動くというところです。
同じ場所で星のように輝いていて、一瞬強く光って、薄くなりながら消えていく発光体は、今まで見たことがありませんでした。

検証4:流れ星の可能性
もし、私のいた付近の頭上90度(直角)に近い角度で落ちてきた隕石(流れ星)があったなら、そういった光り方になるでしょう。
一瞬光が強くなって、徐々に消えていくのも納得できます。

翌朝、なんとも納得がいかず、星座早見盤を引っぱり出して、当時の空を調べました。

日時を合わせ、北向きに見上げ、頭上(天頂)より少し北西、東京の空で明るく見えるのは一等星なので、その星はおそらく「ベガ」です。

この辺りに、星のように輝く何ものかが見えたことになります。
ベガのやや南側で、ベガと天頂の間くらいでした。

以上ですが、同じようなものを見たという方がいらっしゃいましたら、ご連絡またはコメントいただけると大変嬉しいです。


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YouTubeに出演しました。宇宙人遭遇体験談とUFO目撃談。オカルト好き必見!

このたび(2025年5月19日)、オカルト番組をメインに配信されている、デイトナインターナショナルさんのYouTubeチャンネルに出演させていただきました。
(株)デイトナインターナショナルは、フリークスストアというアパレルショップ(ブランド)を全国に展開している企業です。

今回、私が幼少期に体験した、宇宙人遭遇体験談と、UFO目撃談を、自身で描いたイラストと共にお話しさせていただきました。MCは、お笑いコンビ「ナナフシギ」のノヴ(大赤見ノヴ)さんでした。

私としては、1975年の国内での宇宙人遭遇事件「甲府UFO事件」とコラボ動画のように編集いただけたことに大変感激し、遭遇から数年後(10歳ごろ)に本屋で「甲府事件」を知った時の想いがひとつ叶った感じです。
デイトナインターナショナルさん、動画制作の方々ありがとうございました!

UFO Japanさんにも投稿させていただきました。(→投稿記事


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『私が見たUFO(UAPs I saw)1988 at Tokyo』(1988年頃に東京都豊島区上空で目撃した未確認飛行物体)

私が小学4~5年生くらい(当時10歳くらい)の頃(1988年ごろ)、いつも通る学校の帰り道の途中、UFOを見た。というか呼んだら(念じたら)出現したと言ったほうが良いかもしれない。

場所は、当時自宅のあった東京都豊島区西巣鴨某所の上空、通っていた小学校で「UFOを見た」という友達が頻発していたのだが、自分は見れてなかったので「僕も見たいな」と思っていた。
ある日の学校の帰り道、いつも通る路地裏で立ち止まって、狭い空を見つめながら「UFO来い、UFO来い」と心の中で念じていた。
多分10分~20分くらい念じていたと思う。

すると、一瞬だったが、高速で直線的に移動する、野球ボールのような物体が、空を横切ったのである。

私が見たUFO(UAPs I saw)1988 at Tokyoの再現写真
(実際の現場での再現イメージ写真/2025年撮影)

色は青みがかった緑色で、上空20~40m位と比較的近い距離だった。一定の速度で飛び去ってしまった。目の錯覚や見間違いではなく、本当にはっきり見えた。野球のゴムボールのような真ん丸な形状だった。
大きさは、上空20~40mだったことを考慮すると、ハンドボール~バレーボールくらいの大きさがあったのではないかと推測できる。

近くに公園などなく、家とマンションに挟まれた細い道だったので、ボールが飛んでくるはずもない場所だった。また、ゴミが舞うような風の強い日でもなかった。

帰宅し、仕事中で靴職人だった祖父に「UFOが出た」と伝えたところ、「ああそうか」と反応は鈍かった。
私は5~6歳の頃に、宇宙人と思しき何者かと遭遇した記憶もある(→私が見た宇宙人)ので、それと関連しているのかもしれない。

また、UFOとは直接関係ない話ですが、この現場のすぐ近くで、1,2年後の6年生の時、学校帰りに自殺者を発見し、その数年後に霊魂のようなものに遭遇する不思議体験もしました。ご興味あれば併せてご覧ください。→自殺者を発見した不思議体験

UFO Japanさんにも投稿させていただきました!(→投稿記事

ちなみに、ここ最近、米国海軍などから公開されている、過去のUFO(UAP)映像は、どれも高速で移動する比較的小さな物体が多いが、自分もこの物体を目撃したのですんなり理解できる。空中だけでなく、海中でも高速で移動できるようなので、プラズマ・磁場などを利用し移動する反重力テクノロジーが推進力だと予想する。


追記(2025年5月20日):YouTubeに出演させていただきました。

デイトナインターナショナルさんのチャンネルで、宇宙人の遭遇談とともにこのUFO目撃内容をお話しさせていただきました。よろしければご覧いただけると嬉しいです♪


追記(2025年6月24日):

特に、以下の2025年6月21日ライブ配信された動画で紹介されている、謎の球体(ブガの球体)は私が見たUFOそっくりで驚いた!動きも形状も大きさもそっくり!!

動画は、メキシコの著名なUFOジャーナリストで研究家の、ハイメ・マウサン(Jaime Maussan)氏が、コロンビアだけでなく世界中で大きな話題を呼ぶ謎の物体(球体)「ブガ・スフィア(Esfera de Buga)」についての驚くべき発見を発表するライブカンファレンス内容となっている。

比較的、低空を飛ぶ球体。

目撃者による証言。

よく見ると、緑色に発光しているようにも見えるシーンも。

回収された球体。
文字や模様が刻まれている。厳密な内部調査が行われた。

また、ハイメ・マウサン氏は、別の動画で「球体は電源が入ると緑色に見えたり、時には青色に見えたりします。」と述べている!(動画の3:15あたり)
まさに、私が見た物と全く同じ!青っぽい緑色!!
飛ぶ高度、動き、大きさ、色、どれも酷似している、非常に興味深い!

以前より南アフリカや、ベトナム北部などで謎の球体が落下したニュースがあり、その写真を見ると今回の球体「ブガ・スフィア(Esfera de Buga)」によく似ている。また、古代オーパーツの中でも、「クラークスドルプの鉄球」という磁気を帯びた謎の球体も南アフリカには存在する。クラークスドルプの鉄球の大きさは直径4センチ程度と小さいが、形状は似ている。

南アフリカ・ケープタウン近郊に落下した金属の球体。(2000年/時事通信より)

ベトナム北部に落下した謎の球体。(2016年/AFP BB Newsより)

ナミビアに落下した金属の球体。(2011年/時事通信より)

クレルクスドルプ球体。30億年前とされる奇妙な石。(MRUより)


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